人物

高畑裕太が出演の24時間テレビドラマの代役は誰?母の反応も!

芸能界を激震が襲いました!

俳優の高畑裕太さん(22)が8月23日未明、ロケ先の前橋市のホテル客室で、40代従業員の女性に襲いかかり、逮捕されたという報道です。

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高畑裕太さんといえば、当ブログでもご紹介した日本テレビの24時間テレビのパーソナリティ-、ドラマ「盲目のヨシノリ先生」にも出演していました。

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関口まなとのwiki風プロフィール!彼女や両親の竹下景子との仲は?

女優・竹下景子さん(62)を母、写真家・関口照生さん(77)を父に持つ関口まなとさん(30)。

本日8月23日(火)19:56から日本テレビ「踊る!さんま御殿!!」に出演します。

弟の関口アナムさん(27)も、一緒です。

有名人夫婦の子供として何不自由なく育ったみたいで、独特の品の良さ、育ちの良さを感じますよね。

番組放送前に、まなとさんのWiki風プロフをまとめてみました。

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新井淑則(よしのり)のWiki風プロフ!嫁や子供は?網膜剥離で全盲に

2016年の24時間TVドラマ〈盲目のヨシノリ先生〉は、埼玉県の皆野(みなの)町立皆野中で教えている新井淑則(あらい・よしのり)先生(55)の実話を基にしています。

原作本は、新井淑則先生『光を失って心が見えた 全盲先生のメッセージ』(金の星社)です。

新井先生が、どうして目が不自由になったのか、奥さんやお子さんはどんな方なのか、実際には現在どうやって子供たちに教えているのか、気になるところですよね。

ドラマ放送前に“予習”しておきましょう。

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むのたけじ(たいまつ新聞)の経歴?妻や子供をチェック!

戦争廃絶を訴えたジャーナリストむのたけじ(本名・武野武治)さんが2016年8月21日、老衰のため、さいたま市の次男宅で亡くなりました。享年101。ご冥福を祈ります。

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実は2013年、むのさんの講演会を聴きました。そのときの講演内容に質疑応答で聞けたマル秘エピソードを交えて、直に触れたむのさんの人柄を、当ブログ限定のオリジナル記事にしてみました。

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栄和人コーチの嫁や子供は?韓国籍やカツラ疑惑もチェック!

 

栄和人コーチ(56)率いるリオ五輪女子レスリング代表が、スゴイ状態になっています。

出場6階級中、5階級で決勝へ。惜しくも優勝を逃した53kg級の吉田沙保里選手(33)を除いて、4人が見事、金メダルを獲得しました。

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全日本女子代表コーチだけではなく、至学館大(旧・中京女子大)レスリング部の監督も務める栄和人さんって、どんな人でしょうか。

世界一の選手たちを指導している、世界一の指導者ですよね。

何でも、教え子との結婚、離婚歴があるそうです。

再婚した教え子や、二人の間のお子さんも、気になりますよね。

自身の競技歴は?

栄コーチは1960年6月19日、鹿児島県奄美市生まれ。56歳なのに、身長166cm、体重65kgと中年太りとは無縁の精悍な体形です。

しかし、さすがに頭のほうは、眉もひっくるめてツルッツル。やはり年齢と共に薄くなった髪を、豪快に剃っちゃってるらしいですね。

普段、プライベートではカツラを被って行動という噂ですが、ちょっと考えられませんね。カツラを付けるぐらいなら、普段からカツラを被るんじゃないかと思います。

でも、そのスキンヘッド、決して強面(こわもて)ではなく、愛敬のあるクリクリとした目と相まって、リングサイドでは何とも目立って、かわいいんですよね。

リオ五輪69kg級の決勝で、土性沙羅選手(21)が残り1分を切ってからポイントを奪い、試合終了までの間、リングサイドでたたらを踏む栄コーチ、何ともおちゃめでしたね。

実は韓国籍との噂も、全く根拠がありません。そもそも、日本国籍がなければ五輪に出場はできません。

しかも、栄コーチは奄美大島のご出身。人口4万の小さな街で、韓国籍だったら、たちまち広まってしまいますよね。こちらも、考えられないと思います。

栄さんは相撲、柔道を経て1976年、入学した鹿児島商工高(現・樟南高)で、レスリングを始めました。レスリング選手としては結構、遅いスタートなんですね。

日体大に進学すると、1年生の時点で116戦全勝。

1983年に全日本選手権フリースタイル62kg級で初優勝。同年、アジア選手権にも優勝しました。

でも、1984年ロサンゼルス五輪は、5歳年下の赤石光生(当時日大2年)に敗れ、出場できませんでした。その赤石選手は、五輪本番で銀メダルを獲得。

1987年、仏クレルモンフェランで行われた世界選手権フリースタイル62kg級で銅メダルを獲得しました。

1988年、やっと念願の夢がかなって、ソウル五輪に出場も、4回戦で敗れました。

失意の栄コーチを、更なる非運が襲います。

肝炎で、生死をさまよったのです。集中治療室(ICU)の1カ月間で、人生の目標を改めて考えました。

84年ロス五輪を逃し、87年世界選手権も3位。金メダルが期待されたソウル五輪も4回戦敗退……その自分が果たせなかった夢を、後進に託したいと思ったそうです。

1990年、京樽に入社し、女子レスリング部監督に就任。

2007年に中京女子大付高の教諭。翌08年から中京女子大教授。

2004年から全日本女子ヘッドコーチ、08年から日本協会女子強化委員長を務めています。
これまでに浜口京子(72kg級、アテネ五輪銅)、浦野弥生(70kg級、世界選手権金6回)、成国晶子(65kg級、世金2)、伊調馨(63kg級、アテネ、北京、ロンドン、リオ五輪金)、西牧未央(63kg級、世金2)、宮崎未樹子(61kg級、世金1)、坂本涼子(57kg級、世金1)、小原日登美(51kg級、ロンドン五輪金)、吉田沙保里(55kg級、アテネ、北京、ロンドン五輪金、リオ五輪銀)、伊調千春(48kg級、アテネ、北京五輪銀)といった世界王者を育ててきています。

嫁は?

1993年、教え子の坂本涼子さん(46)と結婚し、翌94年3月14日、長女・希和さん(22)が生まれました。でも、後に離婚しています。

希和さん自身も、中学2年でレスリングを始め、日本選手権60kg級で優勝しています。

リオ五輪51kg級金の登坂絵莉(とうさか・えり)選手とは同学年、至学館大学の同窓生ですね。

坂本涼子さんは離婚後に現役復帰するも引退、母校・中京女子大のコーチを経て現在、芦屋学園レスリングクラブのコーチに就任しました。同クラブは、中高大の10年間を一貫して育成するシステムです。

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栄コーチは2008年5月14日、元教え子の岩間怜那さん(37)と再婚しました。

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岩間怜那さんとの間にも娘が生まれましたが、岩間怜那さんの強い意向で、もう一人子づくりをするそうです。

リオ五輪後の落ち着いた時期に、おめでたとなるかもしれませんね。

娘は?

さて、レスリング選手となった希和さんですが、両親の離婚後は坂本姓を名乗り、愛知県大府市に移り住んでいました。

大府市立大府北中2年のとき、一念発起してレスリングを始めました。

両親から受け継いだDNAのおかげでしょうか、練習3カ月で全国中学生選手権3位。

それまでブラスバンド部に所属し、トロンボーンに熱中していたのに、両親の後を追うと決意します。

3年生になった翌年には見事、中学生選手権で優勝。

至学館高校から至学館大学に進み、大学入学時に「何かと都合がいいから」と坂本姓から栄姓に変えました。

希和選手は2015年6月、全日本選抜選手権60kg級で見事、逆転優勝。

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しかし、60kg級は五輪種目ではないため、今回のリオ五輪に出られませんでした。

でも、希和選手は、将来的には「五輪に出たい」という気持ちもあるそうです。

栄コーチは氏は「58kg級で、伊調馨という大きな壁に挑戦するのも、面白い」と話したとか。

次の東京五輪、伊調馨選手の意志を継いで、希和選手が父娘で金メダルができたら、いいですね。

細川元総理は斜視?息子と嫁や家系図まで調査

 

細川護煕(ほそかわ・もりひろ)元首相(78)が、TBSで8月21日(日)23:00から放送予定の『情熱大陸』に出演が決定、細川護煕さんへの関心が高まっています。

そこで放送前に、細川護煕さんのプロフィールを、もう一度、おさらいしておきましょう。

護熙

生まれは、出身校は?

細川護煕さんは1938年(昭和13)1月14日、東京生まれ。

父は、関ヶ原の戦いなどで活躍した戦国大名・細川忠興(ただおき)と明智光秀の娘、玉(ガラシャ)の間の子孫で、旧熊本藩主細川家第17代当主・細川護貞(もりさだ)です。家系図を見ただけでクラックラしますね。

細川護熙家系図

長男である護熙さんは、生まれながらの“お殿様”ですね。

母は、A級戦犯に指定された近衛文麿(このえ・ふみまろ)元首相の娘、温子さん。つまり、護熙さんは、公家の血も引いています。

近衛文麿

母方のご先祖様をたどれば、あの藤原鎌足(ふじわらの・かまたり)にたどり着くという、とんでもなく高貴なお方です。さすが、ルビなしでは読めない名前の方々が、ご一族に揃っていますね。

藤原鎌足

就職は?

学習院高等科から、祖父の近衛文麿さんと同じ京都大を受験するも失敗。一浪して再挑戦するも失敗、上智大法学部に入って、卒業後は朝日新聞社に入社しました。

鹿児島支局に配属されましたが、お殿様なのに、意外にも、警察ネタの事件記事に強かったそうです。

というのも、当時の鹿児島県警には、熊本の細川家に仕えた人の子孫がいて、護熙さんにそば近く接触できることに感激、ちょくちょく“ご注進”申し上げていたそうなのだとか。

その効果か、東京本社に呼び戻され、社会部記者として配属されました。そのときも、意外に大活躍でした。

あるとき、皇族の一人が病に倒れて、マスコミがお屋敷の周りに張り込み始めました。そのとき、屋敷のドアが開いて中から護熙さんが現れました。

あっけに取られた先輩記者が「お前、何しているんだ」と聞くと、護熙さんは「宮内庁から連絡があって、お見舞いに行ってきました」。

その後、先輩記者と護熙さんは、病床の皇族の具合や家族の様子などを独占スクープ。当たり前といえば当たり前ですが、他の記者に決して真似できませんね。

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