佐田展隆(オーダースーツSADA社長)の嫁や子供は?出身高校と大学にV字回復の理由!












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急成長中の〈オーダースーツSADA〉の佐田展隆社長(45歳)の嫁や子供、出身高校と大学、赤字の家業をV字回復の理由などをリサーチしました。

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「安くて着心地いい」人気のオーダースーツ

氏名:佐田展隆(さだ・のぶたか)
生年月日:1974年9月23日(45歳)
出身地:東京都杉並区
居住地:東京都小金井市
家族:妻、長女・菜波さん(7歳)、長男・海斗さん(4歳)、父、弟・次男(銀行員)、弟・三男(東京海上勤務)
学歴:都立西高等学校(偏差値73)卒業、一橋大学経済学部(偏差値67.5)卒業
職歴:
1999年4月、東レ入社
2003年、佐田入社
2005年、同社社長
2008年、同社退社
2011年6月、再入社、経営企画室長
2012年、社長

「安いのに、着心地がいい」そんな評判が、会社勤めの人たちに広がっているオーダースーツがあります。

全国に50店舗以上を展開する〈オーダースーツSADA〉のスーツです。

全身約20カ所を採寸。フルオーダースーツとほぼ同じに丁寧に仕立て。

それなのに、1着が、何と1万9800円~。

スーツ業界という斜陽の成熟産業において近年、人気爆発、老舗なのに急成長中の会社です。

そんな人気ブランドのトップは、4代目社長の佐田展隆さんです。

ご覧の通り、アラフィフなのにスリムで引き締まった身体。

小学校から高校までサッカー、大学時代はノルディックスキー複合に打ち込んできたスポーツマンです。

そんな爽やかなイメージの佐田展隆社長ですが、実は意外に意外に、苦労人だったんです。

そんな佐田展隆社長の辿(たど)ってきた半生や、プロフィールをご紹介しましょう。

 

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福生・羽村倫理法人会にて講話させて頂きました!参加者の皆さん、とても真剣に私の話を聴いて下さり、私もとても気持ち良く話をすることが出来ました!40分という短い時間で、駆け足の講話となってしまいましたが、「こんなに学びの多い講話も珍しいですよ!」とまで言ってくださる方がいらっしゃり、私も嬉しかったです(^ ^) 最近は講演・講話のお話をしばしば頂戴し、ありがたいことだと思っています。機会を頂きましたら、全国の店回りや出店候補地の物件視察を兼ねて、どこへでも手弁当でうかがわせて頂くつもりです。私の話が、何かのプラスになりそうな場合には、遠慮なくお声がけ頂ければと思います! #オーダースーツsada #オーダースーツ

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佐田展隆は東レを辞めて、家業の再建に

佐田展隆さんは1974年、東京都杉並区出身。

男3人兄弟の長男として、育ちました。

「オーダースーツSADAの前身は、1923年(大正11)、東京・神田で創業されました。初代・佐田定三が独立して、服飾雑貨卸商を開業しました」

戦後、焼け野原となった神田に、2代目・佐田茂司が、羅紗(ラシャ、ウール生地)卸〈佐田羅紗店〉として再建。

さらに縫製業へ進出して〈佐田被服工業〉となり、長らく紳士服の卸売り、注文紳士服の縫製などを展開してきました。

「父の代に、大手百貨店〈そごう〉と取引を始めてから、大きく成長しました」

そんな老舗の御曹司として佐田展隆さんは伸び伸びと成長、名門・都立西高から一橋大学経済学部に進みました。

前記の通り、学生時代はスポーツマンとして鳴らしました。

一橋大学を卒業後は、

「モノづくりがしたい」

と、東レに就職。綿やウールなどの短繊維の事業部で、働いてきました。

当時は、家業を継ぐ気もあまり強くなかったとか。父も、家督相続は長男に限らないとしてくれていました。

しかし、29歳、ちょうど仕事に脂がのってきた頃、佐田展隆さんに転機が訪れます。

「バブル崩壊で〈そごう〉が経営破綻。影響は、わが社にも直撃して、父から『戻ってきてくれ』と連絡があったときは、瀕死(ひんし)状態でした」

佐田展隆さんは東レの上司に相談すると、上司も賛成してくれました。

2003年、佐田展隆さんは株式会社佐田に入社しました。

ところが入ってみると、経営状態は想像以上に悲惨でした。

「経営がうまくいってないとは思っていましたが、想像をはるかに超えていましたね」

年間売上高22億円なのに、有利子負債は、何と約24億円。個人だったら、とっくに破産状態。

しかも、金融機関から要注意債務者として扱われていたため、金利は割高な4~5%。

仮に5%とすれば、24億円の借金の利息は毎月約1000万円、年間1億2000万円です。

利益の大半が、利息の支払いだけで消えている状態でした。

「あまりの惨状に『この会社は、どうやって生きているんだ』と、父に怒りをぶつけてしまいました。しかし、怒ったところで、どうしようもない。あがくしかない。あがいて、何とか会社を立て直そうと心に誓いました」

中国工場を改善・値引き中止でV字回復

冷静に戻った佐田展隆さんは、父親と話し合ううちに、中国の工場が苦境脱出のカギだと思い至りました。

中国で製造するオーダースーツが売れれば、全ては大きく変わるはずだ。

しかし、現状は思うほど、売れていない。

調べるために、佐田展隆さんは、すぐに中国に飛びました。

すると、中国工場は全体的に士気が緩み、品質や納期がきちんと守られていませんでした。

当時の工場長も、公私共に問題のある人物でした。

「父は、資金調達やプレゼンには強いものの、現場には疎い人でした。そこで、現場担当として私が中国工場のテコ入れをしたのです」

佐田展隆さんは、国内の旗艦生産拠点である宮城工場長を北京に配置。

さらに、生産管理のエキスパートらを投入して、クオリティーアップを図りました。

効果てきめん、見る見るうちに不良品は減って、品質が向上しました。

と同時に、営業部門の立て直しを図りました。

当時の株式会社佐田の営業は、注文数を稼ぐために、安易な値引きを繰り返していました。

その結果、売れば売るほど赤字の状態になっていました。

佐田展隆さんは、値下げを止めて、通常価格に戻しました。

また、低価格の商品を希望する客には、中国製を勧めるように提案。

しかし、多くの営業マンは、この方針に猛反発しました。

「安くしなければ、売れない」「中国製じゃ、売れない」

売り上げトップクラスのベテラン営業マン3人が、佐田展隆さんの元に辞表を持ってきました。

佐田展隆さんは、覚悟を決めて、3人から辞表を受け取りました。

さらに、工場直送のオーダースーツをネット通販に。

結果は大成功、入社半年で、会社の営業損益が並びました。

2004年には、1億円の黒字を達成。

V字回復の成果を携えて、佐田展隆さんは2005年、社長に就きました。

再建と引き換えに退任、3年後再び改革に

ところが、経常黒字になった途端、支払いを待ってくれていた取引先が一斉に催促を始めました。

「今すぐ払え、払えないなら取引を止めるぞ」

しかし、黒字に戻ったからと言って、支払いをすれば、手元には1円も残りません。

それで、佐田展隆社長は、当時の小泉政権が推進していた金融再生プログラムを頼りました。

でも審査段階で問題が噴出。税金、社会保険料、仕入れ、退職金未払いなどで次々に新たな簿外債務が発覚。

当初見込みより大幅に増えて、何と85%以上もの債権放棄が必要に。

また、未払い金解消のために、新たに3億円の資金が必要とも判明しました。

仕方なく、佐田展隆さんの父は自己破産して、会長職を退任。

佐田展隆さん自身は、しばらく社長にとどまったものの2008年、再建に入った投資ファンドからクビを宣告されてしまいました。

結局、佐田展隆さんは再び、サラリーマン生活に戻りました。

大学の先輩の紹介で、IT企業の上場準備をしたり、コンサルティング会社で中管理職の教育指導を行ったり。

いずれもなじめず、佐田展隆さんは両社とも、辞めてしまいました。

転職活動を始めた2011年、佐田展隆さんの元に、後任社長から電話が入りました。

「再び営業難に陥ってしまったので『戻ってほしい』と言ってきたんです」

後任社長の話では、佐田展隆さんが去った直後にリーマン・ショックが起こり、投資ファンドは解散。

傘下に入った大手流通企業からは、経営不振と2011年の東日本大震災で見切りをつけられ、どうしようもない状態になっていました。

迷う佐田展隆さんの元へ、昔の部下から次々に電話が入ってきました。直販店長、店舗マネジャー、卸担当らからです。

「いよいよですね!」
「この日が来ると、信じていました」
「“大政奉還”ですね」

断ったら男がすたると考えた佐田展隆さんは、妻に猛反対されたものの、復帰を決意しました。

その陰には、祖父の2代目社長・佐田茂司の言葉がありました。

「迷ったら、茨(いばら)の道を行け」

 

「面白きこともなき世を面白く」

再入社した佐田展隆さんは、再び経営改革に着手。

卸先の開拓にとどまっていたネット通販から、本格的に小売りに進出することにしました。

「一度オーダースーツの着心地を味わってもらえれば、絶対に勝てる自信がありました」

勝負を懸けてオープンした新宿店が大成功。

最初の注文なら全て5000円引き、実質1万9800円からオーダーできる安さがウケて、全国で50店舗以上を展開する急成長に。

佐田展隆社長は2013年から、自ら広告塔を務めています。

自社のオーダースーツを着て富士登山。

スーツを着てスキージャンプに挑戦。

東京マラソンにスーツ姿で出場。

PR活動に力を入れ、メディアやネットで脚光を浴びています。

一度ならず2度までも、試練を自らに課した佐田展隆社長。座右の銘は、高杉晋作の言葉「面白きこともなき世を面白くす」です。

「自分の気持ち1つで、人間はつらい気持ちを面白く感じることができる。だったら、面白くしてやろうじゃないか、と」

祖父と高杉晋作の言葉を胸に、佐田展隆社長は、これからもビジネスの「茨の道」を突き進みます。

佐田展隆は、嫁と子ども2人

佐田展隆社長は、奥さんと2人のお子さんをお持ちです。

再入社を決意した2011年段階で、妻に猛反対されているので、それ以前に結婚していたと考えられます。

おそらくは、家業に戻る前の、東レ時代に結婚したのではないでしょうか。

奥様の知的なルックスから、もしかしたら、一橋大時代からの彼女かもしれませんよね。

お子さんは2人、長女・菜波さん(7歳)、長男・海斗さん(4歳)です。Instagramなどの投稿画像を見ると、とてもステキなファミリーですよね。

 

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うちの2人目・海斗の3歳の誕生日会をやりました!海斗は最近、朝起きるとプラレールを作って、飽きもせず電車を走らせています!「はやぶさ」と「こまち」をくっつけて、「連結!連結!」と騒ぎます!男の子は、何故にここまで電車に惹かれるのでしょうか(^ ^) やんちゃなお姉ちゃんに虐げられ、内気な男になるのではと心配された海斗ですが、最近はお姉ちゃんに対して、反撃をするようになりました。先日はライトセーバーのオモチャでお姉ちゃんを叩き、泣かせていました。昔の自分をさておいて言うと、明らかに海斗の主張が正しいです。頑張れ海斗、お姉ちゃんの理不尽に負けず、強い男になってくれ!

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先週末、雨の合間を縫って、家族で釣りに行かせて頂きました!カサゴの数釣りを楽しませて頂き、更に5歳の娘・菜波の置き竿にホウボウが食って来ました!ホウボウは菜波のお気に入り!水族館に行っても「ホウボウは足があって面白いよね!」と言っているくらいです!とても喜んでくれて、父親冥利に尽きる休日を過ごさせて頂きました! 休みが取れたというと常に家族で何かしようと騒ぐ私に、妻は「普段あれだけバタバタしてて、あんたにはのんびり休もうとか、そういう発想は無いんか?!」と言いますが、「犬も歩けば棒に当たる」、手数を尽くしてこそ幸福はやって来るものだと思っています!小学校の通信簿に「落ち着きがない」と書かれたまんま大人になっただけかもしれませんが(^ ^) #釣り #カサゴ #ホウボウ

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佐田展隆さんは会社でもいい社長で、家庭でも良きパパなんですね。波瀾万丈の生き方をしてきた佐田展隆さんならではの優しさが、家庭でも会社でも、みんなを幸せにしてゆくんでしょうね。

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