辻信太郎(サンリオ社長)の引退はいつ?後任は孫・朋邦かピューロランドの小巻亜矢?












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サンリオの辻信太郎社長(92歳)の去就が注目されています。引退はいつで、後任は孫の朋邦常務(31歳)、それとも功労者の小巻亜矢さん(60歳)? 緊急リサーチです。

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92歳、在職60年の“ドン

氏名:辻信太郎(つじ・しんたろう)
生年月日:1927年12月7日(92歳)
出生地:甲府市
家族:長男・邦彦さん(故人、享年61)=サンリオ元副社長
学歴:山梨県立山梨県第一中学校(現・甲府第一高等学校、偏差値57~68)卒業、桐生工業専門学校化学工業学科(現・群馬大学理工学部、偏差値45.0~47.5)卒業
職歴:山梨県庁、山梨シルクセンター(現・サンリオ)社長

長らく業績が低迷していたサンリオピューロランド(東京都多摩市)。

小巻亜矢さんが2016年にサンリオピューロランドの館長に就任するや、来場者数がV字回復して、2019年は過去最高の200万人を突破。

小巻亜矢さんは2019年、ドキュメンタリー「セブンルール」(フジテレビ系)やNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」などに登場。

2019年の暮れには〈ウーマン・オブ・ザ・イヤー2020〉の大賞にも選ばれました。

また『来場者4倍のV字回復! サンリオピューロランドの人づくり』(ダイヤモンド社)、『逆境に克つ! サンリオピューロランドを復活させた25の思考』(ワニブックス)、『サンリオピューロランドの魔法の朝礼』(総合法令出版)などの著書が、脚光を浴びています。

そんな一躍、2019年の「時の人」となった小巻亜矢さんですが、その陰に“ドン”と呼ばれる長老経営者が君臨しているのを、ご存じでしょうか。

その“ドン”とは、サンリオピューロランドの親会社、サンリオの辻信太郎社長(92歳)です。

辻信太郎社長は、サンリオの創業者にして、もう60年もサンリオの社長の座に居続けています。

誰もが心の底で思っています。もう、社長の座を後進に譲り、引退すべきではないか、と。

どんなに優秀な人でも、さすがに90歳を超えたら、判断力が衰えてくるでしょう。

トップが同じ人であり続ければ、人心も倦(う)みます。

果たして、辻信太郎社長は、いつ、引退するのでしょうか。

辻信太郎の前職は山梨県職員

辻信太郎さんは1927年(昭和2)12月7日、甲府市生まれの92歳。

山梨県下屈指の名門・旧制山梨県第一中学校(現・甲府一高)から、桐生工業専門学校化学工業学科(現・群馬大理工学部)を卒業。

1949年、山梨県庁に入庁しました。

1960年8月、32歳のとき、山梨県の絹製品を販売する外郭団体、山梨シルクセンターを株式会社化して、社長に就任しました。

地方公務員の山梨県職員としては、かなり異色の経歴、思い切った決断ですね。

地方自治体が、外郭団体を株式会社化する手法はよくありますが、県職員としての地位を捨てて、すなわち“片道切符”で行くのは極めて異例です。

そこには、本人の確固とした意思が存在しなければ、そういった人事はあり得ないと思われます。

ともあれ、公務員から事業家に転身した辻信太郎さん。

当初は、苦労の連続でした。山梨県の名産品である絹製品は、思うように売れませんでした。

窮した辻信太郎さんは、絹製品に加えて、小物雑貨を売り出すことにしました。

すると、花柄のゴム草履が、予想外の売れ行きを示したのです。

本当に、小さな、小さなヒットだったのですが、辻信太郎さんは、気付きました。

商品に、かわいいイラストを付けると、売れ行きが大きく伸びるのです。

これを知った辻信太郎さんは、キャラクター商品の開発に乗り出してゆきます。

ハローキティが大売れ、売上高1500億円に

最初は、水森亜土(みずもり・あど)さん(80歳)ら社外のイラストレーターに、デザインを発注していました。

しかし、やがて、著作権を所有できる、自社でのキャラクターづくりを目指すようになります。

1973年、キャラクター事業が波に乗った山梨シルクセンターは、社名をサンリオに変更しました。

サンリオ(San Rio)とは、スペイン語で「聖なる川」の意味です。

サンリオは1974年11月、ハローキティを開発しました。

屈指の人気キャラクターとなったハローキティのおかげで、サンリオは目覚ましい急成長を遂げました。

1982年、東証2部上場。1984年には東証1部に昇格を果たしました。

1990年代になって、サンリオは黄金期を迎えます。

小中生だけでなく、女子高生にも人気が飛び火し、自分の部屋に、買い集めたハローキティグッズを飾るのが流行。それに伴い、サンリオ製品は、爆発的に売れました。

1999年3月期、サンリオの年間売上高は1500億円、営業利益は180億円にまで達しました。

長男・邦彦がスカウトした鳩山玲人

しかし、流行(はや)り物は廃れ物。

ハローキティブームは終焉(しゅうえん)を迎え、2000年代、サンリオは“冬の時代”を迎えることとなります。

そんな中、辻信太郎社長の長男、邦彦さんがサンリオで、地歩を固めてゆきます。

1952年8月生まれの邦彦さんは1976年、日本大学理工学部を卒業後、サンリオに入社します。

1982年10月、29歳の若さで取締役に。

1987年10月に常務、1990年6月に専務。

サンリオが“冬の時代”を迎えた2002年10月には、ついに副社長に就任しました。

事実上の後継者、実質トップとなった辻邦彦さんは2008年、鳩山玲人(はとやま・れひと)さん(46歳)をスカウトして、サンリオに迎えました。

鳩山玲人さんは、名字からも分かる通り、鳩山一族の出です。祖母の父、すなわち母方の曾祖父が、故・鳩山一郎元首相(1883~1959、享年76)です。鳩山由紀夫元首相(73歳)は、従兄に当たります。

ハーバード・ビジネススクールでMBAを取得した鳩山玲人さんを、辻邦彦さんは、サンリオ米国法人のCOO(最高執行責任者)に就けました。

2010年、鳩山玲人さんはサンリオ事業戦略統括本部長に。さらに2013年、サンリオ常務に昇格しました。

物販からライセンスへ、邦彦・鳩山コンビの大改革

辻邦彦副社長と、鳩山玲人常務は、手を携えてサンリオの大改革に突き進みました。

今までの、いわゆる物販から脱却して、ハローキティを主力にしたライセンスビジネスへの大転換を図ったのです。

具体的には、ハローキティの商標使用権を他社に供与して、ロイヤルティー(使用料)を徴収します。

自ら売る物販よりは売り上げが減りますが、製造費などの諸経費が発生しない分、利益率は、ほぼ100パーセントとなります。

このため、サンリオは、鳩山玲人さんが事業戦略統括本部長に就いた2010年から4期連続で、営業増益を達成しました。

2014年3月期、サンリオの営業利益は、210億円になりました。

ハローキティブーム最盛期、1999年3月期の営業利益が180億円。

鳩山玲人さんが入社する前年、2007年3月期の営業利益が62億円です。

辻邦彦・鳩山玲人コンビは、結成7年で営業利益を3倍に増やしたことになります。

この年、ロイヤルティー売り上げは349億円となり、全売り上げの45%を占めるに至りました。

物販からライセンスへ、邦彦・鳩山コンビの目論見通り、サンリオは大変身を遂げました。

邦彦急死、孫・朋邦を専務に抜擢

そのさなかの2013年11月19日午前(現地時間)、辻邦彦副社長は、出張先の米ロサンゼルスで、急性心不全のため、客死しました。61歳でした。

後継者を亡くした辻信太郎社長(当時85歳)は再び、経営の先頭に立つことになりました。

しかし、辻信太郎社長は、せっかく軌道に乗ったライセンス路線を撤回、以前の物販ビジネスに回帰の舵(かじ)を切りました。

2014年5月、辻信太郎社長は、アナリスト向けの決算説明会で、宣言しました。

「販売(物販)を重視し、ライセンスビジネスでない方向に軸足を置く」

辻邦彦さんという後ろ盾を失った鳩山玲人さんに“逆方向”を止める力はありませんでした。

辻信太郎社長の号令で、サンリオは物販中心に舵を切り、ライセンスビジネスは追いやられました。

鳩山玲人常務は、2016年6月の株主総会で、任期満了として退任、一時代を築いたサンリオを去りました。

入れ代わりに、故・邦彦元副社長の息子で、辻信太郎社長の孫、朋邦さん(31歳)が取締役に就任しました。

朋邦さんは慶応義塾高校から慶応義塾大学に進み、2010年に卒業後、サンリオとは別の企業に入社しました。

2014年1月、サンリオに入社。企画営業本部執行役員などを経て2016年6月、取締役に就任。

2017年6月には、28歳の若さで、ナンバー2の専務に昇格しています。

とは言うものの、1人で牛耳るわけにもいかず、母・友子(ゆうこ)さん(51歳)が取締役海外事業本部担当として、朋邦さんを補佐しています。

辻信太郎の社長降板はいつ?

辻信太郎社長の“復古”路線は、はっきり言って、大失敗でした。

210億円に達した営業利益は下がり続け、2020年3月期は、最盛期の2割にも満たない40億円に縮小する見込みです。

全ての誤算は、邦彦さんの急死です。

後継者の長男を失って急きょ、当時85歳の辻信太郎社長が実験を取り返したものの、取った政策は、経営路線を昔に戻しただけ。

何のアイデアもなく、手段を講ぜず、ただ会社の苦況を呆然と見ているだけです。

唯一、辻信太郎社長が打った手は、後継者に孫・朋邦さんを据えただけ。

“復古”路線の失敗の責任を取らず、血族への世襲に最後の執念を燃やす。

そんな辻信太郎社長に、果たして社長の器たり得るのか、はなはだ疑問です。

小難しい理屈を振りかざす以前に、92歳の年齢を考えたら、即引退が当たり前でしょう。

そんな常識が通用しない点に、サンリオの病根があります。

お孫さんを専務に据えて、母親に補佐させるなんて、もはやマンガです。

早ければ、2020年6月の株主総会で、辻信太郎社長は退陣を表明せざるを得ないのではないでしょうか。

小巻亜矢の社長就任はあるか

辻信太郎社長が退陣した場合、後任は、そのまま朋邦専務が社長に昇格するでしょう。

しかし、筆頭株主のセガサミーホールディングスが、実力未知数の孫への世襲を、そのまま認めるでしょうか。

また共同メーンバンクの三菱UFJ銀行、三井住友銀行、そのバックにいる国が、朋邦社長を認めるかどうか、大いに疑問です。

常識的に見て、31歳の創業者の孫が、年間売り上げ591億2000万円(2019年3月期)を簡単に引き継いで、いいものなのでしょうか。

31歳と言ったら、普通の企業なら課長にもなっていない年齢です。10年選手にもなっていません。

一般サラリーマンなら、ようやく仕事にも習熟して、独り立ちし、後輩の面倒を見ることができるようになった時期ですよね。

そのぐらいの年代の若者に、創業者の孫だからという理由で、社長が務まるのでしょうか。

ここで、認知度、知名度の高いサンリオエンターテイメント社長・小巻亜矢さんみたいな人材が、ワンクッションを置くために、起用される可能性は大いにあると思います。

キティ映画を花道に、社長昇格!?

専務である朋邦さんが現在、心血を注いでいるのは、ハリウッドでのハローキティの映画化です。

完成の暁には、米ワーナー・ブラザーズから、世界に配給される計画です。

ただし、実写化されるのか、アニメ版になるのか。脚本家は決まっているものの、具体的な計画は、まだまだ手探りです。

映画の公開時期も、これから詰める予定です。

朋邦さんにすれば、映画大ヒットを手土産に、社長に就任したいところでしょう。

映画に併せて物販に拍車を掛け、グループ全体を活性化したいところです。

いかにも魅力的なプランですが、逆に言うと、キティ映画化ぐらいしか再生の方策が見当たらないことを指しています。

朋邦さんと母・友子さんが、創業家の誇りをかけて、家業を守りたい、興したい気持ちはよく分かります。

しかし、敢えて、お二人に問いたい。

会社は、誰のものですか? 経営者、いいえ。株主、いいえ。お客さま、いいえ。

会社は、社員のものです。社員の働く場であり、生きる場であり、自分を磨く場です。

会社にとって最も大事な財産は社員、働く人たちです。

六百数十人の働く人たちと家族、これらに連なる人たちの生活を支えてゆく気概はあるか。

朋邦さんに一度、直接、問うてみたい。31歳のあなたに、経営者としての資格、適性はあるか。サンリオの中で、誰よりも、社長に向いているか。

もしも少しでも逡巡する心があるなら、潔く他者に会社を委ねるべきです。

サンリオは、辻家の所有物ではありません。朋邦さんの出た慶応義塾が、福澤家の所有物でないように。

まだ若い朋邦さんには、社長に就く以前に、人間として学ぶべきことが山ほどあるように感じるのは、私だけでしょうか。

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