宍戸錠の愛した仙川の行きつけの店は?毎日通った商店街で愛された気さくな人柄!












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俳優・宍戸錠(ししど・じょう)さんは86歳で亡くなった晩年も毎日、歩いて通った東京都調布市の仙川商店街。行きつけの店や愛された人柄エピソードをリサーチしました。

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三十年来、毎日通った仙川商店街

2020年1月21日に、86歳で急死した宍戸錠さん。

銀幕のスターは、料理番組「食いしん坊!万才」(フジテレビ系)のリポーターを務めるなど、私生活でも食通のグルメでありました。

大スターとしての地位を確立した1966年、東京都世田谷区上祖師谷4丁目9-6の敷地150坪(495平方メートル)に、建築家・鈴木恂(すずき・まこと)さん(84歳)設計で、2階建ての豪邸を建てました。

以来、2013年2月4日に火災で全焼するまで、宍戸錠さんは、上祖師谷の家に住み続けました。

自宅を失ってからは、近くの賃貸マンションで、独りで暮らしました(妻・游子〈ゆうこ〉さんは2010年4月16日死去、享年77)。

10畳のリビングと6畳の和室と洋室の2LDK。管理費込みで、月約12万円です。昭和を代表する映画スターとしては、何とも質素な住居ですよね。

その2LDKで、宍戸錠さんは、パンツと靴下だけは自分で洗濯。それ以外は全てクリーニングで出していました。

また、3日に1度、近くのコンビニで弁当6個と飲み物を買っていました。朝昼は、コンビニ弁当で済ませていたのでしょうね。

今にも、電子レンジの音がチーンと聞こえてきそうな、わびしい老後です。

しかし、一方で毎日、遊びに出かけてもいました。行きつけの店への往復2キロを歩いて通ったと言います。

お店の人に「タクシーを呼びますか?」と聞かれても、必ず歩いて帰ってゆきました。

そんなところに“エースのジョー”としての矜持(きょうじ)、こだわり、プライドが感じられますよね。

魚料理が自慢のカウンター割烹〈なみはな〉

そんな宍戸錠さんが最晩年まで通った行き先は、東京都調布市仙川町(せんがわちょう)、京王線仙川駅前の商店街でした。

宍戸錠さんは30~40年前から、仙川商店街に通い続けました。

地図を見ると分かりますが、上祖師谷と仙川は歩いてゆける距離です。

地理的に、上祖師谷は京王線仙川駅と小田急線祖師ヶ谷大蔵駅の中間辺りにあります。

しかし、お屋敷街のイメージの強い祖師ヶ谷大蔵駅前と違って、仙川駅前の仙川商店街は庶民的、生活感の漂う街なんですね。つまり、敷居が低く、行きやすい。

銀座や六本木の“夜の帝王”イメージとは違って、実際の宍戸錠さんは、仙川商店街が“ホームタウン”だったんですね。

チェーン店なども並ぶ中、どこか懐かしさを感じさせる店も。この仙川商店街の飲食店を、宍戸錠さんはよく訪れていました。

中でも、宍戸錠さんの30年来の行きつけの店は、魚料理が名物の〈なみはな〉です。

板前さんが目の前のカウンター内に立つ、本格的な割烹(かっぽう)です。

ここで、割烹と小料理屋の違いをご説明します。

敢えて言い切っちゃうと、カウンターの中で板前さんが日本料理を出すお店が割烹。カウンター割烹と言いますよね。

小料理屋は、カウンターの内側で、女将(おかみ)さんが煮物やお浸しなど家庭料理を出すお店です。もちろん、ダンナさんが板前の、夫婦で営む小料理屋もあります。

でも、基本は料理のジャンル、クオリティーの違いですね。どちらも揚げ物やお刺し身は足しますが、例えば、フグちり鍋を出すのが割烹。湯豆腐を出すのが小料理屋。そんなイメージですね。

穴戸錠さんの通った〈なみはな〉は、もちろん後者。食べログ評価で3.55(2020年1月24日現在)、夜の部の予算3000~3999円と、仙川を代表する日本料理店です。

宍戸錠さんは〈なみはな〉が開店した30年前から通っていました。

女将の白井和子さんは、宍戸錠さんの姿を振り返ります。

「ジーンズをはいて、商店街を闊歩(かっぽ)してたの。ウチに来るときも、そんな恰好(かっこう)ですよ。ラフな恰好で『おお!』って。だいたい2、3人ですよね。あまり多くはなく」

店内に入り、向かって右手奥のカウンター席に、好んで座りました。

――好きな料理は?
「特別には、なかったです。何でも、召し上がられまして。(飲み物も)特別ってのはないんですけど、何でも飲みました」

刺し身の盛り合わせなどを頼んでいたとか。

「私んちは(時間で)閉めちゃいますけど、よそのお店に行って、朝まで過ごすぐらい、お元気な方でした」

 

〈玩舵羅〉英語でカラオケも

また〈玩陀羅(がんだら)〉というお店もよく訪れていました。お店の看板によると1978年創業の、こちらも老舗ですね。

宍戸錠さんは「2軒目のお店」としてよく利用していました。

店主・川崎隆さんによると、宍戸錠さんは逆L字形カウンターの長辺のコーナー、右手奥から3番目の席に好んで座りました。

氷を浮かべた飲み物を5~6杯ほど、口にしていたとか。

テーブル席に10人ぐらいの団体さんが座っていると、カウンター席の宍戸錠さんは、後ろを向いて話し掛けることもありました。

「全然、初対面でも。『写真、一緒に撮ってくれ』って言われて『いいよ、いいよ』って」

陽気で気さくな人柄で、みんなから愛される男だったみたいです。

――カラオケで歌ったりも?
「ありますよ。英語の歌をよく歌ってましたね」

頬の手術で「取ってきたよ」

時には夜明かしして、朝までいる姿を目撃されることも度々ありました。

洋品店の女性は、往時の宍戸錠さんを懐かしみます。

「(2001年に頬のシリコンを摘出したときも)『取ってきたよ』って、それぐらい気さくな人です」

飾らない気さくで陽気な宍戸錠さんの人柄は、仙川の商店街で今も愛され続けています。

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