宍戸錠の急死で長男・開との断絶が判明!焼失した自宅と現在の住所に告別式はいつ?












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俳優・宍戸錠(ししど・じょう)さんが1月21日に死去しました。86歳。長男・開(かい)さん(53歳)とは断絶中で、マンションで独り暮らしでした。周辺の事情を緊急リサーチしました。

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家族の発見時、すでに死亡

関係者の話によると、宍戸錠さんは東京都世田谷区の自宅マンションで倒れ、1月21日午前1時半頃、見つけた家族が119番通報をしました。

しかし、宍戸錠さんはすでに息を引き取っていました。病死と見られています。

宍戸錠さんは1月17日(金)か18日(土)の朝、近所の人と会って、ちゃんと挨拶しています。

「おはようございます」

そのときは、普通の様子でした。

宍戸錠は、豊頬手術でスターに

さて、宍戸錠さんは1954年、日大芸術学部2年のとき、映画会社〈日活〉のオーディションに合格して中退。

日活ニューフェイス第1期生として入所。二枚目スターとして俳優人生をスタートさせた宍戸錠さん。

しかし、1956年、悪役としての凄みを出すため、両頬にシリコン(液状パラフィンのオルガノーゲン)を注入手術を決意しました。

手術は、医師免許のないモグリの医者にやってもらったと言います。ただし、出来映えには、本人は満足していました。

端正な顔立ちから一転、ワイルドな顔に変貌を遂げました。

数々の映画やドラマに出演し、小林旭(こばやし・あきら)さん(81歳)の敵役として人気者に。

1982年からは、料理番組「くいしん坊!万才」(フジテレビ系)のリポーターを務めました。

また、バラエティー番組でも活躍。「スポニチ」の阿部公輔・文化社会部長は振り返ります。

「奔放な言動で注目を集めることもあった豪快な方で、銀幕のスターの方で、テレビのバラエティーに進出したパイオニアの方だったと言えると思います」
「あと“どっきりカメラ”(『なんでもやりまショー』(日本テレビ系、1969~70)ですね。司会を務めて、楽しい面白い軽妙なやりとりのトークで、番組を盛り上げるといったようなことをやったりとか」

2001年、トレードマークの頬のシリコンを取り出す手術を受けると衝撃の発表をしました。

「正直言いまして(顔に)飽きちゃった」

2013年2月には、東京都世田谷区上祖師谷(かみそしがや)4丁目9-6にあった敷地約150坪(495平方メートル)の自宅が全焼。宍戸錠さんは、火事で若い頃からの思い出など全てを失ってしまいます。


しかし、翌2014年3月のイベントで、立ち直った穴戸錠さんは、元気に夢を語っています。

「90歳で、殺し屋の映画を作りたい。家は燃えちゃったけど、土地があるから、売ったら映画1本ぐらい作れるだろう」

しかし、その夢はかなわぬまま、旅立ちました。

芸能界では、悲しみの声が広がっています。

俳優・高橋英樹さん(75歳)は、宍戸錠さんの死を悼んでコメントしています。

「(日活の)試験のときに、錠さんの物まねをして、それで通った。日活に憧れ、日活で育った世代としては悲しい。その頃の大スター、もう少し元気でいてほしかった」

豪邸焼失、終の住処は賃貸マンション

1966年の全盛期に建てた自宅を2013年の火事で失ってから、穴戸錠さんは約1.5キロ離れた調布市仙川(せんがわ)の賃貸マンションで暮らしていました。昭和の映画スターも、晩年は家賃は12万円で、ペット3匹とのつつましい暮らしぶりでした。

その賃貸マンションで、宍戸錠さんは独り暮らしだったかどうかは、不明です。

しかし、倒れているのを発見した家族の通報が午前1時半頃で、救急隊が駆け付けたときには事切れていたことを考え合わせると、ほぼ独り暮らしに近い状態だったのではないでしょうか。

長男・開との確執、最後まで

話は前後しますが、宍戸錠さんは1962年、同い年の元女優・游子(本名・昌子)さんと結婚しました。

1963年8月21日、長女・史絵(現・紫〈むらさき〉しえ)さん(56歳)誕生。

1966年9月4日、長男・開(かい)さん(53歳)誕生。

1968年12月7日、次男・表(ひょう)さん(51歳)誕生。

ご自分の名と長男、次男の名はシリーズになっていて「錠を開けて表へ出る」意味になっています。

3人の子どものうち、長女、長男は芸能界入り、次男だけは一般人です。

長女・史絵さんは、女優として活動していましたが1998年にある事件で逮捕され、懲役1年6カ月執行猶予4年の判決を受けています。

その後は、宍戸錠事務所に入社して父親のマネジャーを務める傍ら、現在では俳優・太田剣(おおた・けん)さん(44歳)と結婚、エッセイストにもなっています。

穴戸開さんは私立桐朋中学校(偏差値57~61)、桐朋高等学校から玉川大学文学部芸術学科(現・芸術学部〈偏差値35~42.5〉)演劇専攻を中退。

1988年、21歳のとき、NHK大河「武田信玄」で俳優デビューを果たしています。

その後は、主に脇役として近作では映画『テルマエ・ロマエ』(2012)、『超高速!参勤交代 リターンズ』(2016年)に出演しています。

2010年4月16日、俳人・エッセイストになっていた妻・游子さん(享年77)を亡くしてからは、独り暮らしでした。

2013年2月4日の自宅火災は、独り暮らしの穴戸錠さんが、外出中の出来事でした。

翌2014年から、宍戸錠さんはマンションで独り暮らしをしていました。

今回の発見は、おそらくは連絡の取れない宍戸錠さんの様子を、紫しえさんか、宍戸開さんらが見に行って、発見したのではないかと思われます。

逆に、宍戸開さんではないと思われます。

と言うのは、宍戸錠さんと開さんは、不仲で有名なんです。

メディアのインダビューなどに答えて、宍戸錠さんは火災当日、近所のホテルで泊まっていたんです。自宅の近くのホテルになぜ泊まったのか、皆さん、ご想像くださいね(#^.^#)

着のみ着のまま、焼け出された宍戸錠さんは、再びホテルを点々と泊まり歩きます。

通常なら、普通の家庭ならば、実家が火事になったら長男が見舞いに来るのは当たり前ですよね。

あるいは、焼け出されたお父さんにしばらく同居するのも珍しくないと思います。

ところが、開さんは、たった一度だけ立ち寄っただけでした。

それで、その頃から、世間的に見て、穴戸錠さんと開さんの親子関係は「何か、変だなー」と思われていたのは事実です。

そんな2人の亀裂が決定的に明らかになったのは、2010年12月です。

開さんが、1年半交際した同い年の一般女性と婚姻届を出したのです。女性には結婚歴があり、連れ子もいました。

婚姻届の提出に当たって、開さんから、宍戸錠さんに何の相談もありませんでした。

開さんの結婚をテレビでしった、礼儀に厳しい宍戸錠さんの怒るまいことか。

ちなみに、姉・紫しえさんも、全く聞かされていませんでした。

上祖師谷の宍戸錠さん方は、敷地だけで約150坪あります。周辺の不動産価格から、約3億円の価値があると見られています。

その土地を売却したらどうするかというメディアの質問に、宍戸錠さんは、

「家があった土地は、絶対に開には渡さない」

と断言しています。

「開さんにも、相続権はあるはずだが」とのメディアの再度の問いに対して、穴戸錠さんは断言しています。

「ない」

また「開さんが、火事見舞いに来たことは、心強かったのではないか」との問いに、

「何も感じなかった。役に立たない奴」

とまでコメントしています。

宍戸錠さんは、上祖師谷の土地は売却するか、売却前に死亡したら、全ては史絵(紫しえ)さんに渡るようにすると言明しています。

そこまで、関係がこじれてしまった2人ですが、宍戸錠さんにも問題がなかったわけではありません。

穴戸錠さんは映画スタートして、家に不在が多く、たまに帰宅しても暴言を吐いたり、暴れたりしたとか。

また、度重なる浮気癖で、家族に迷惑や心労を書けていたのも事実です。

そんな事情もあって、2人の仲は決定的に壊れてしまったみたいです。

昭和の映画スターの突然の死。愛する息子と和解することなく旅立った宍戸錠さんの胸中を思うと、胸が痛みますよね。

葬儀・告別式やお別れの会の予定は?

最後に、宍戸錠さんの葬儀・告別式の日取りや場所ですが、現時点では決まっていません。

自宅で死亡した状態で発見された宍戸錠さんなので、警視庁の検視を受けなければなりません。

これが、想像以上に厳しいものです。私の知る例ですと、自宅で死亡したお年寄りの家に、警察官は複数回来て、遺体を改めては調べていました。

なので、宍戸錠さんも、そういった検視を受けている、あるいは終了した直後だと思います。

いずれにせよ、まだ落ち着いていないので、具体的なスケジュールは出せないのでしょう。

告別式に代えるお別れの会も含めて、情報が入り次第、アップしてゆきたいと思います。

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