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高校サッカー選手権の静岡学園ベンチにいたサングラスにヒゲのおじいさんが話題です。場違いなこわもて老人の正体を探ってみました。
静岡学園ベンチに座る謎のこわもて老人
1月13日の高校サッカー選手権決勝。
静岡学園と青森山田の大会史に残る名勝負、死闘を手に汗を握って観戦された方も多いでしょう。
しかし、時々、テレビカメラに写り込む、こわもてのおじいさんに気付いた、あるいは、気になった方も多いんじゃないでしょうか。
まるで西部警察の大門団長みたいな、ナス形の黒いサングラス。
ヘミングウェイみたいな、顔をグルリと覆う白髪ヒゲ。
キャップを目深にかぶり、ベンチの椅子にどっかと腰を下ろして、周囲にガンを飛ばしています。
やったぜ静学日本一!
井田前監督、川口修監督、お2人ともすごい!そして選手たち素晴らしい!
藤枝順心に続き男女で日本一!
静岡サッカー100周年にふさわしい2020年のスタートになった!
本当におめでとうございます🎉#高校サッカー選手権 #全国高校サッカー選手権大会 #静岡学園 #井田勝通 #川口修 pic.twitter.com/sIKzUXV7dr— 松原良香Yoshika Matsubara official (@yoshika_0819) January 13, 2020
静学井田総監督24年ごし舞い「ガガーリンの気分」 https://t.co/qmK5TChYve @nikkansportsさんから
こういう歴史があって今がある一朝一夕にできたスタイルじゃない
— 山田五郎 (@yamadagorou) January 14, 2020
え、何で、その筋の人が、静岡学園のベンチにいるの?
思わず、そんな風に考えてしまった人もいるんじゃないでしょうか。
もしかして、監督?
いえいえ、川口修監督(46歳)は、別に立って、ピッチに向かって、声を上げています。
髪をちゃんと分けて、ヒゲも生やしていません。日焼けしていなければ、普通にどこかのサラリーマンで通りそうなおじさんですよ。
なのに、このおじいさんったら、ベンチで足を組んだり、テレビカメラを真正面から見て、にらみを利かせたり。
何か、エラソーなんですよね。一種、水戸黄門的な。水戸黄門がサングラスを掛けて、キャップをかぶったら、たぶん、こんな感じ(笑)。
ネット上で、私の周りで「あのおじいさんは、何者なんだろう」との声が聞かれました。
しかも、優勝が決まった後、こわもておじいさんは選手たちから胴上げ。
静岡学園の井田前監督
渋すぎませんかのだ?サングラス外した笑顔もチャーミングで素敵のだ。 pic.twitter.com/jGGjV3Mqan
— ドヤに住み遺品整理をしてたアライさん(ドヤイ (@rom3nen) January 13, 2020
決勝戦に関してだけど、応援するチームがことごとく負ける。
いつになったら勝つかな、静岡学園おめでとさん。
サングラスオヤジは何者?— 桜 (@sakura3blizzard) January 13, 2020
静岡学園のベンチにはサングラスをかけた前の監督が座っているし、矢板中央には全国を制覇した古沼貞夫さんが座っているし、高校野球とは異なる進化をしているようだ
— ʇɟnʞɐƃɐ (@tfukaga) January 11, 2020
静岡学園の井田総監督(前監督)の胴上げ
感慨深いものがありますね#井田総監督#胴上げ#静岡学園 pic.twitter.com/ojt0COAnNw— まっけいさん (@mapi12100501) January 13, 2020
井田勝通は監督37年、95年に選手権優勝
早速、調べてみたら、こわもてのおじいさんは、井田勝通(いだ・まさみち)コーチ(77歳)でした。
氏名:井田勝通(いだ・まさみち)
生年月日:1942年3月3日(77歳)
出生地:満州(現・中国東北部)奉天(現・瀋陽)
学歴:静岡市立城内中学校卒業、静岡県立静岡高等学校(偏差値71)卒業、慶応義塾大学卒業
職歴:1965年、静岡銀行入行。1970年、静岡銀行退職。1972年、静岡学園高校サッカー部監督。2009年3月、監督退任
井田勝通コーチは、1972年から2009年まで37年、静岡学園サッカー部の監督を務めた人です。
1995年の高校サッカー選手権で、鹿児島実と両校優勝に静岡学園を導いた監督。
1976年にも静岡学園を高校サッカー選手権の決勝に導いています。
それで、あんなに威張っているというか、エライ雰囲気を漂わせているんですね。
グラサンにガム、ユニークな指導法
井田勝通コーチ、というか元監督は、慶大を卒業後、静岡銀行で社会人としてサッカーを続けていました。
しかし、サッカー指導者を志して、静岡銀行を退職。日本サッカー協会のコーチ資格を取得した後、世界放浪の旅に出かけました。
ブラジルに行ったとき、ブラジルサッカーに触れて開眼。
「ゾーン」「3バック」といった言葉が知られていないときから、ブラジルサッカーを日本でやろうと手がけました。
「周りには『日本人にブラジルのサッカーはできるわけない。ロボットみたいな人間を作るな』と言われたよ」
1972年12月、創立(1965年)間もない静岡学園高校のサッカー部監督に就任。
当時としては異色の、教員ではないプロ監督でした。
1977年、高校サッカー選手権では、個の力を重視したブラジルサッカーを実践、初出場ながら決勝に導きました。
準優勝に終わったものの、ブラジルサッカーは静岡学園の代名詞ともなり、サッカーファンを喜ばせました。
その後、足踏み状態が続いたものの、1992年の高校サッカー選手権では13年ぶりの出場を果たして、8強入り。
1995年、鹿児島実との両校優勝ながら、静岡学園を日本一に導きました。
また、三浦泰年さん(54歳)、知良選手(52歳)、日本代表の大島僚太選手(26歳)ら、数多くの教え子を育てました。
井田勝通さんの指導法は独特でした。
「俺が監督をしていたときは、茶髪やロン毛の選手がいた。俺もベンチで、サングラスをかけて、ガムをかんで批判された(笑)。でも、授業さえ出ていれば、注意しなかった。サッカーは野球と違って、三百六十度を見ないといけない。自由さ、試合の中で選手が考えるのが、一番大事だから」
それで、今でもサングラスを掛けて、ベンチにいるんですね。
でも、井田勝通さんは、選手や教え子たちから慕われていて、今大会も2019年12月31日、初戦の岡山学芸館戦の後、三浦知良選手が駒沢競技場の控室に激励に来ました。
「レジェンドOBに会うと、選手たちは感動する。試合後、カズが控室に来て『俺も、井田さんに叱られた』って話を、皆の前でした。選手たちは『カズさんが、まさか』と思う。とんでもないパワーを与えたはず」
そのかいあってか、静岡学園は、うれしい初の単独優勝を決めました。
三浦知良選手は、今回のご褒美に、グアム旅行を検討しているとか。
「何か、考えなくてはいけないと。皆さんが期待しているグアム旅行も含めて。静学の関係者と話し合って、何か協力できることがあったら」
こわもての元監督にレジェンドのOB。
このユニークさこそ、静岡学園の最大の強みなのかもしれませんね。
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