
スポンサードリンク
箱根駅伝2020で、青山学院大が総合優勝しました。原晋監督(52歳)の名言や作戦に年収、母校を常勝軍団にした“経営手腕”をリポートします。
総合力の勝利、原晋監督の経営手腕
氏名:原晋(はら・すすむ)
生年月日:1967年3月8日(52歳)
出生地:広島県三原市
家族:妻・美穂さん(51歳)=青山学院大町田寮寮母
住所:東京都町田市中町2丁目、青山学院大町田寮管理人室
学歴:三原市立第一中学校卒業、広島県立世羅(せら)高等学校(偏差値40~46)卒業、中京大学体育学部(現・スポーツ科学部、偏差値50~57.5)卒業、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科(修士課程)修了
職歴:1989年、中国電力入社。1994年、27歳で競技引退、山口県の徳山(現・周南)営業所で営業マン。2004年、中国電力退社、青山学院大陸上競技部長距離監督(嘱託職員)。2019年、青山学院大学地球社会共生学部教授
まずは、2年ぶり5回目の総合優勝おめでとうございます。
凄かったですね、青山学院大学のレースっぷり。
2019年1月2日の往路(107.5キロ、5区間)では、5時間21分16秒の新記録で優勝(従前の記録は2019年、東洋大の5時間26分31秒)。
1月3日の復路(109.6キロ、5区間)では、5時間24分7秒で2位(同、2015年、青山学院大の5時間25分29秒)。復路の優勝こそ、5時間23分47秒の東海大に譲りました。
しかし往路、復路を合わせた総合で、青山学院大は10時間45分23秒の新記録で優勝(同、2012年、東洋大の10時間51分36秒)。
ナイキの厚底シューズ〈ズームXヴェイパーフライネクスト%〉の使用効果もあって、全10区のうち、7区で区間新記録の飛び出た戦国大会。
青山学院大の区間賞は、4区・区間新の吉田祐也選手(4年)=東農大三=、9区の神林勇太選手(3年)=九州学院=の2つのみ。
2位東海大の2つ、9位創価大の2つ、10位東洋大の2つ、5位東京国際大1、6位明大1を見ると、青山学院大は個の強さではなく、総合力で優勝したと分かります。
それだけ、就任16年目の原晋監督のプロデュース力が凄かった、経営手腕の勝利だったんですね。
そこで、当ブログでは、スポーツ紙やテレビが伝えない、経営者としての原晋監督の実力に迫ってゆきたいと思います。
異端児・原晋、TV出演は大歓迎
大手町で、10区のアンカー湯原慶吾選手(2年)=水戸工=が歓喜のゴールに飛び込んだ後、原晋監督は青山学院大の優勝回数と同じ5回、選手らに胴上げされ、宙に舞いました。
#湯原慶吾 選手と監督の胴上げ#原晋監督#青山学院大学#やっぱり大作戦#箱根駅伝
本当にお疲れ様でした! pic.twitter.com/CzslkuKDMb— () (@fleshgreen__) January 3, 2020
総合優勝から一夜明けた翌1月4日(土)、原晋監督と青山学院大の選手10人は早朝6:28から「ズームイン!!サタデー」(日本テレビ系)に生出演。
1月5日(日)は7:30から「シューイチ」(日本テレビ系)に生出演。
番組内で、原晋監督は、上村臣平主務を入れたチーム11人でのハワイ旅行プレゼントを発表。推定250万円の費用は、原晋監督のテレビ出演料、講演料から賄われます。
他にも、原晋監督のテレビ出演、メディア露出は目白押し。
こういった型破りなスタイルから“大学駅伝界の異端児”とも言われています。
高校時代、小川の水で給水
そんな原晋監督のルーツは、広島県三原市にあります。
小2からランニングを始め、三原一中時代に陸上部に入部。
すぐに頭角を現し、高校駅伝の名門・県立世羅高校に進学しました。
高3で、主将を務めました。当時の1984年頃は、真夏でも「水を飲むな」という指導が常識でした。
しかし、早生まれの17歳だった原晋監督は、本能的に感じました。
「これは、間違っている」
水を飲みたい、飲むべきだ。でも、グラウンドでは、指導者の先生の目が光っています。
原晋監督は、一計を案じました。
「クロスカントリー練習に、行ってきます!」
山の中に入って、小川の水を飲みました。
「お前らも、飲め」
後輩たちにも、小川での給水を勧めていました。
さらに、主将として、先輩が後輩を奴隷扱いする陸上部の悪習を廃止。
寮長と話し合いながら、和を重視するチーム環境を作ってゆきました。
そのかいあってか、1984年12月の高校駅伝で、原晋監督のいる世羅高校は、全国で2位に入りました。
逆境から、ナンバーワン営業マンに
大学は、世羅OBが監督を務めていた中京大に進学。3年時に、日本インカレ1500メートルで3位に。
1989年、中京大卒業と同時に、地元企業の中国電力に入社。創立1年目の陸上部に参加。
1993年には、主将としてチームを全日本実業団駅伝の初出場に導きました。
しかし1994年、故障のため、27歳の若さで競技を引退、もっと有り体には、退部に追い込まれました。
原晋監督は志願して一般社員に転身、山口県徳山市(現・周南市)の営業所の営業マンとなりました。
大卒社員の多くが本社(広島市中区)で勤務するのにもかかわらず、原晋監督に出された辞令は、広島県外、県庁所在地でもない都市の営業所員でした。
これは左遷です。暗に「辞めてくれ」とのメッセージが、込められています。
PRのためのアスリートとして、お前と契約した。陸上選手を辞めたのなら、会社も辞めろ。郷里で、店でも開いたら どうだ?
ご存じないかもしれませんが、電力会社は公益企業で、民間企業なのに半ば公的な企業です。行政や許認可に保護され、絶対につぶれません。大卒社員は、基本的にエリートです。
経営は、クリーンでなければなりません。無駄な出費は止めて、その分、電気料金をさげなければなりません。
だから、1人でも無駄な社員を置くわけにはいかないんです。
しかし、原晋監督は、屈辱に耐えて、地方の営業所勤務をのみました。
当時を、原晋監督は、振り返ります。
「営業先の社長さんに営業を懸けるため、まず秘書や受付嬢と仲良くなって、社長のスケジュールを聞き出しました」
さらに、蓄熱式空調システム〈エコアイス〉を社内で一番売り上げ「カリスマ営業マン」とまで呼ばれました。
そんな営業マン生活を10年、原晋監督は続けました。
「男、勝負の時」正社員とマイホームを捨て監督に
そんな原晋監督に2003年春、世羅高校の後輩で青山学院大OBから、青山学院大陸上競技部のオファーが届きました。
当時の青山学院大は、1976年の出場を最後に27年、箱根駅伝に出られない状況でした。今の慶応(慶大)と似ていますよね。
「陸上競技で、自分は、何をしてきただろう」
くすぶっていた陸上魂に、火が付きました。
原晋監督は悩んだ末、安定した中国電力の社員の座を捨て、嘱託職員として青山学院大陸上競技部の長距離監督を引き受ける決断をしました。
「中国電力を退社し、青山学院大の陸上競技部監督になる。箱根駅伝で必ず優勝するから、夫婦で東京の寮に住み込もう」
中国電力時代に結婚した妻・美穂さん(51歳)は、夫の話を聞かされて最初は何の話か、全く理解できませんでした。
美穂さんの驚くまいことか。当時、原晋監督と美穂さんは、広島で家を購入したばかり。美穂さんは、自宅近くで仕事を見つけて、働き始めたばかりでした。夫からは、事前に何の相談もありません。
原晋監督と全く縁もゆかりもない、東京の青山学院大学!? 原晋監督の出場経験もなく、当時は全く盛り上がっていない箱根駅伝!? 何で、私が故郷を離れて、東京で大学の寮母をするの!?
美穂さんは猛反対しましたが、実は心の中で、こうも思っていました。
「陸上が好きだし、反対しても無理。だから、いいよではなく、反対して反対して行かせたほうが、夫も強い覚悟ができる」
原晋監督の意思は固く、住宅ローンを残して、自宅を引き払いました。東京都に転居、町田市の青山学院大町田寮の完成と共に、移り住みました。
子供のいない原晋監督と美穂さんにとって、選手たちが自分の息子になりました。
原晋監督は、中国電力の社員だった時と同じ給与保証のものの、任期3年。3年で結果を出せなければ、お払い箱です。美穂さんは、全く未経験の寮母として働き始めました。
原晋監督の年収は推定1400万円
ここで、原晋監督の年収を推測します。
中国電力の大卒社員だった2004年当時、37歳の原晋監督の年収は、ざっと700万円ぐらいだったはずです。
中国電力の有価証券報告書によると、2016年の社員の平均年収は777万円です。それより12年前ですので、ざっと1割減として700万円の概数がはじき出せます。
2019年4月から、青山学院大地球社会共生学部教授になった原晋監督ですが、厚労省の賃金構造基本統計調査によると、2018年の大学教授の平均年収は1081万円となっています。
大学の規模による変動はあるものの、教授としての年数の浅い原晋監督ですから、だいたいこの数字は妥当でしょう。
1081万円のベース収入に、年間12回の講演料が、1回10万円として120万円。
さらに、テレビ出演料や著書の印税収入が、ほぼ同額として120万円。
これだけで、合計で1321万円になります。他に雑収入があって、約1400万円が原晋監督の年収と推定できます。
会社員としては高いですが、有名人としては決して高くはありませんよね。生活費を除いて、監督としての出費を考えたら、意外にカツカツなのではないでしょうか。
苦節5年、青山学院大を33年ぶり箱根に導く
青山学院大の陸上競技部長距離監督になったものの、実績のない青山学院大ではスカウトも、ひと苦労しました。
2004年の着任当初、青山学院大の陸上競技部には専用グラウンドも、寮もありませんでした。
出来合いチームに規律を植え付けるのにも、時間がかかりました。
原晋監督の指導理念は、自立です。
「サラリーマン時代のノウハウを、陸上に当てはめました」
週、月、年単位で、選手に目標を立てさせました。さらに、互いに達成度をチェックさせ合いました。
「素人が故に、できることもある。固定観念がないから、いろいろなアイデアが浮かびます」
原晋監督は常に、選手が自分たちの言葉で、自主的に考えて行動できるような指導を心掛けています。
例えば、1年生の意見にも、丁寧に耳を傾ける。選手同士が自主的に、問題解決に向けて話し合いをする機会を持たせる。
寮の掃除などの雑用は、学年に関係なく回り持ち。どころか、
「4年生が率先して、やれ」
地道な努力、指導が実を結んでいます。
最大の危機だった2006年10月の予選会
ここに至る間、最大の危機は、2006年10月の箱根駅伝予選会でした。
2004年の監督就任から3年目、契約の切れる最終シーズンでした。
上位9校までが本戦に出場できるレースで、青山学院大は16位と惨敗。
チームはまとまりを失い、崩壊しました。
女子マネジャーが、原晋監督に詰め寄りました。
「選手の前で、謝ってください」
混乱のさなか、しどろもどろに謝りかけた夫に、美穂さんは、必死で割って入りました。
「謝る必要はありません。謝ったら、今までやってきたことの全否定になる」
1年だけ契約が延びた2007年10月の箱根駅伝予選会。青山学院大は10位で、上位9校までの本戦出場を逃しました。
しかし、原晋監督はあと一歩に迫った実績が評価されて、嘱託職員からやっと大学の正規職員に昇格できました。
2008年10月の箱根駅伝予選会。前年の箱根駅伝2007で、関東学連が4位に入ったため、ルールで出場19校は1校増えて、20校に。
さらに本戦の箱根駅伝2009は第85回の記念大会のため、出場は3校増。トータルで4校増えて、予選会で13位までが本戦出場権が与えられることになりました。
その予選会で、青山学院大はギリギリの13位。原晋監督が就任してから初、前回参加から実に33年ぶりの箱根駅伝出場が決まりました。
その後は順調に進み、青山学院大は箱根駅伝2020まで、12年連続出場、10年連続シード権獲得を続けています。
「夢やミッョンが明確にある人は、それを目指せばいい。
そういうものがない人は、
夢やミッションがある人を応援し、支えればいい。そうしているうちに、自分の支えた人の夢を叶え、
ミッションを遂行することが、自分の喜びになる。」(青山学院大学陸上競技部町田寮寮母 原美穂) pic.twitter.com/pZ6l7mZ2WK
— 土屋 敬 (@doyakei0506) August 23, 2019
原美穂軍団 pic.twitter.com/mi0HGpD7pT
— Soushi (@ido________) January 2, 2017
続いて原美穂さんによる
乾杯のご挨拶。
#キナーリ pic.twitter.com/rGfxM7wvOE— EKIDEN News (@EKIDEN_News) December 2, 2018
花王 キッチン泡ハイター のCM 「寮母さん」篇。青山学院大学 陸上部 原晋 監督の奥さん 原美穂 さんが出演。 https://t.co/AI5kopNKJ1 pic.twitter.com/XvZRu2jlq8
— 動画NOW (@douganow) May 7, 2018
原美穂「森田が神だよ」「お前たち、これから森田様って呼べよ」 #原美穂のお供隊 #青学駅伝 pic.twitter.com/BG1mhfcmg0
— Mugen Takimoto (@mugen0905) January 2, 2019
鋭い観察眼、当日変更で湯原慶吾を起用
原晋監督の特徴の1つに、きめ細かい選手の見極めがあります。
初優勝を遂げた箱根駅伝2015から2020までの6回。延べ60人の出走選手のうち、56人が1ケタの順位です。10位以上の2ケタ順位は、わずか4人です。それだけ、原晋監督の観察眼は鋭く、優れています。
テレビに出演して、有名人になった今でも、原晋監督と妻・美穂さんは、青山学院大町田寮の管理人室で生活しています。
寮の近くに自宅を持って、通いもできるのに、選手たちとずっと一緒に暮らしています。
このため、選手のわずかな体調の変化にも気付けるんです。
今大会の箱根駅伝2020、青山学院大の10区(23キロ)には当初、区間エントリーした新号健志(しんごう・たけし)選手(3年)=秋田中央=、早田祥也(はやた・しょうや)選手(2年)=埼玉栄=、湯原慶吾選手(2年)=水戸工=の3人の候補がいました。
往路の終了後、原晋監督は、スタッフが撮影した3人の前日調整の様子を、動画でチェックしました。
原晋監督は、1月3日の当日変更で、湯原慶吾選手を10区のアンカーに起用しました。
結果、湯原慶吾選手は1時間9分48秒で、区間5位で逃げ切り、見事に1位ゴールイン。
追いかける東海大の郡司陽大選手(4年)=那須拓陽=は1時間9分8秒で、区間3位。
6区の館沢亨次主将(4年)が区間新で3位から2位に浮上した東海大は、追いかけても追いかけても、青山学院大をついに捕まえられませんでした。
弱いチーム2カ月で立て直した名将
新チームがスタートした2019年当初、原監督は、酷評していました。
「今季の4年生は、だらしない。下手をすると、シード権(10位以内)も危ない」
1年後、教え子の選手たちに5度、宙を舞った原晋監督は、感激の面持ちで、最大級の賛辞を贈りました。
「やっぱり、やっぱり、4年生は強かった」
弱かった青山学院大。2019年10月の出雲駅伝では5位、11月の全日本大学駅伝では2位。何かが、足りなかった。何かを、取りこぼしていた。
そんな弱いチームを2カ月で、日本一に導いた。
原晋監督、やっぱり、やっぱり、あなたは名将です。
#湯原慶吾 選手と監督の胴上げ#原晋監督#青山学院大学#やっぱり大作戦#箱根駅伝
本当にお疲れ様でした! pic.twitter.com/CzslkuKDMb— () (@fleshgreen__) January 3, 2020
湯原慶吾(青山学院大)の中学や高校に彼女は?箱根駅伝2020の10区の予想順位は?
スポンサードリンク