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フリーの笠井信輔アナウンサー(56歳)が12月19日、ワイドショー「とくダネ!」(フジテレビ系)に生出演し、患った悪性リンパ腫や今後を語りました。笠井信輔アナの復帰時期や嫁や子供などをリサーチしました。
古巣「とくダネ!」生出演で、癌告白
氏名:笠井信輔(かさい・しんすけ)
生年月日:1963年4月12日(56歳)
出身地:東京都世田谷区
家族:妻・茅原(ちはら)ますみさん(55歳)=テレビ東京編成局勤務=、長男、次男、三男
学歴:東京都町田市立本町田東(ほんまちだひがし)小学校卒業、町田市立薬師(やくし)中学校卒業、都立狛江(こまえ)高等学校(偏差値60)卒業、早稲田大学商学部(偏差値70)卒業
職歴:1987年、フジテレビ入社。報道・情報番組を中心に担当し、1999年から「とくダネ!」に20年間出演。2019年9月退社、フリー
趣味:映画、舞台観賞
身長:170センチ
体重:62キロ
血液型:A型
所属事務所:オールラウンド(東京都千代田区)
悪性リンパ腫のため近く入院することを発表したフリーの笠井信輔アナが12月19日、古巣のワイドショー「とくダネ!」(フジテレビ系)に生出演しました。
番組の冒頭、笠井信輔アナは、病気公表の12月17日に講演先の福岡県香春町(かわらまち)で取材に応じたビデオを放映。
「2カ月間、めちゃめちゃ働いて、これから結構いい感じでいくぞという時に、ガーンてきましたからね。いや、これは焦りましたわ」
12月上旬、悪性リンパ腫と診断された笠井信輔アナ。9月いっぱいでフジテレビを退社してからは、テレビやラジオ、さらに講演会と多忙な日々を送っていました。
「今も日々、いろんなところが痛いんですよ。まあ、癌は全身に散らばっているらしいんで。その日によって痛いところが腰であったり、肩だったり、反対側の肩だったり」
だが、そんなそぶりなど一切見せず、笠井さんはいつものように講演を始めました。
「何としても今日は、ここの講演会には来なきゃいけないなと思ってました」
この日の講演のテーマは「人権問題」。難しいテーマをどう伝えるか。これまで何度も足を運んだ被災地など、自ら取材した体験を交え、熱く語りました。
講演時間は1時間半、立ちっぱなしでした。
「今日、1時間半、ちょっと頑張んなきゃなって」
「どこかに自分の話を聞きたいと思ってくれる人がいるはずだって思って(会社を)辞めたわけですよ。『講演に来てください』と依頼があったことは『先週、病名が分かったんで、すみません、じゃ、やめます』ってわけにはいかないと思うんですよ。楽しみにしている人もいると思うし」
この日、病気については、一部メディアが報じたばかり。まだ知らないお客さんもいる様子でした。
「私に対してのちょっとしたニュースを、皆さん、目に触れると思いますけれども。私は大丈夫でございます。えー、それだけを皆さんにお伝えして最後、お別れしたいと思います。どうもありがとうございました」
結局、病気の話をすることはありませんでした。
入り口ロビーで、来てくれた人、1人ひとりに握手してお礼をする笠井信輔さん。
すると、女性のお客さんが笠井信輔さんの手を握りました。
「もう、ヤフーニュースで見てしまいました」
「ああ、そうですか」
「(涙声で)すごく感動しました。絶対またお会いしたい」
「まあ、自分との闘いだからね、今度はね。頑張ります」
さらに、笠井信輔アナは、血液の癌である悪性リンパ腫を公表した理由を語りました。
「ワイドアナウンサーとして32年間生きてきて、どれだけの有名人のプライバシーを紹介してきたか。それを仕事にしてきたわけですよ。で、巡り巡って、今度は自分がそうなったわけですよ。そしたら、自分は、そっとしておいてくださいというのは、全くもってお門違いというか。みんなに、いろんなものを見てもらう必要がある。これは自分の義務だと思うんですよ」
自分の病気を隠すことは、全く考えなかったと言います。
スタジオで、小倉智昭さんの隣席に着いた笠井信輔アナは、病気を公表した理由を語ります。
「32年間、ワイドアナウンサーとして、まあ、いろんな芸能人、有名人の方のプライバシーを自分の言葉で放送してきて。で、いざ、自分が病気になった時にそっとしておいてくださいというのは、やはり自分の生き方としては、それは許さない、という。話せることは、皆さんに知ってもらう義務があるなと思ったことと、もう1つは、小倉さんですよ。小倉さんが癌になって、自分の病状を事細かく公表する姿を見ていて、いや、そこまで話さなくてもいいのにってことまで語っている姿を見ながら、やっぱり、我々のような仕事をしている人間というのは、そういう覚悟とか立場とかにいく瞬間があるなあということを、そこは小倉さんを見ていて学びました」
また、病気を知った時の気持ちを振り返りました。
「何で今、何で俺がって、そればかりでしたね。フジテレビを辞めて、フリーになって、これからっていうときに、まあ、そういう宣告を受けるのは青天の霹靂(へきれき)を超える衝撃でした」
医師から、生存率は7割程度と告げられました。
「調べた結果、癌は全身にもう散らばっているので、最低4カ月は入院しましょう、と。抗癌剤治療しかないので、抗癌剤治療によって、癌を消してゆきましょう、と。まあ、そういうお話だったものですから、全身に癌が散らばっていると聞いたときは、ちょっと目眩(めまい)がしましたね。自分、大丈夫なのかなあ、え、死ぬのって、そのときは思いましたけども。先生は『しっかり向き合ってゆけば、大丈夫ですよ』って言ってくださったので、その言葉を信じて闘ってゆこうと今は思ってます」
笠井信輔アナは体の痛みや倦怠(けんたい)感を訴えて11月に検査したところ、血液の癌一種である「悪性リンパ腫」と診断を受けた。
番組のメーンキャスター小倉智昭さん(72歳)も所属する事務所が12月18日、マスコミ各社にファクスを送信していました。
「(笠井信輔は)体調不良により、療養させていただく運びとなりました」
笠井信輔アナは、以前からスケジュールに入ってた仕事を終えた後、近日中に入院し、治療に専念します。
笠井信輔の嫁はテレビ東京社員、息子3人
笠井信輔アナは、東京都世田谷区出身の東京都町田市育ち。
町田市内の小中学校を卒業した後、都立狛江高校に進学。
高校時代は、教師になっていた翻訳家・田口俊樹さん(69歳)に英語を教わりました。
都立狛江高校は、女優・門脇麦さん(27歳)も卒業した高校です。
大学は、早大商学部に進学。大学に学ぶ傍ら、東京アナウンスアカデミー(東京・恵比寿)に通い、アナウンサーの就職試験に備えました。
結果、見事に難関のフジテレビの入社試験を突破。
1987年4月、フジテレビにアナウンサーとして入社しました。
難関の就職試験に合格した経験者だけあって、教養バラエティー番組「林先生の初耳学」(TBS系)で、コーナー「絶対キー局!吉川美代子先生の女子アナ学」に出演しています。
コーナーでは、笠井信輔アナは、元TBSアナウンサー吉川美代子さん(65歳)、元日本テレビアナウンサー森麻季さん(38歳)と共に模擬面接官に扮(ふん)しています。
自らが経験者であるばかりではなく、面接官も務めた笠井信輔アナの面接は、リアルで真剣そのものですよね。
それでいて、底に温かみがある。受験生の女性たちへの優しさ、アナウンサー愛を感じられるんですよね。
また、笠井信輔さんには、1990年に結婚した茅原ますみさん(55歳)という奥様がいます。
ますみさんは、テレビ東京の編成局勤務です。なので、笠井信輔さんが病気で休業しても、すぐには生活に困らないだけの収入があるはずです。
また、笠井信輔アナには、3人の男の子のお子さんがいます。年齢は非公表ですが、笠井信輔アナの年齢(56歳)や結婚29年を考えれば、長男はとっくに社会人の可能性が高いですよね。
そういった面も、闘病生活を支えるには心強いですよね。
フリー転身から3カ月、癌闘病へ
笠井信輔アナは1999年から2019年9月まで20年間「とくダネ!」に出演しました。
メーンキャスター小倉智昭さんに引っ張られるた形でフジテレビを退社、フリーアナウンサーになりました。
フリーアナウンサーを志した理由は、2つ考えられます。
1つは収入。会社員の局アナはMAXで年収2000万円ほど。しかし、フリーになれば、笠井信輔アナほどの知名度があれば、億単位の収入が望めます。
もう1つは、生涯アナウンサーとして現場にいたいからでしょう。どこの企業も同じですが、60を超えたら定年、第一線を引かなければなりません。
その後は、取締役となってフジテレビの経営に携わるか、あるいは嘱託として後輩の指導に当たるかのいずれかを選ばなければなりません。まあ、サラリーマンの宿命ですが。
おそらく、笠井信輔アナは生涯、現場のアナウンサーとしてテレビカメラの前に佇(たたず)もうと決意したのでしょうね。
笠井信輔アナは2018年5月頃、フジテレビ退社=フリーについて、テレビ東京アナウンサーからフリーに転身した先輩、小倉智昭さんに相談してきました。
ところが、小倉智昭さんが2018年11月、膀胱(ぼうこう)癌の手術を受けたため、フリー転身の話はいったん中止、延び延びになっていました。
小倉智昭さんの容体が安定した2019年、笠井信輔アナは改めて相談したところ、小倉智昭さんのいる事務所〈オールラウンド〉が迎え入れてくれると決まりました。
満を持して2019年9月、フジテレビを退社し、20年間出演し続けてきた「とくダネ!」を卒業したばかりでした。
それから3カ月、運命のいたずらか、笠井信輔アナは、血液の癌である悪性リンパ腫と診断され、闘病生活入りを余儀なくされたのでした。
今後の治療は? 復帰はいつ?
番組での笠井信輔アナの話では、今後4~6カ月間、抗癌剤治療を受ける予定です。
血液の癌で、全身に癌細胞が散っていることから、強力な抗癌剤を使用した治療になります。
これは、人体にとって相当なダメージを伴うと、お医者様からは告げられました。
抗癌剤治療の後、さらに1~2カ月間、安静にして予後を観察します。
合計すると最大で8カ月、最短で5カ月の治療期間が必要です。
常識的に見て、半年は必要とされていますので、復帰時期は2020年の6月前後が濃厚です。
こちらのほうは、詳しい情報が入り次第、追記してゆくほか、そのつど別記事で、お伝えしてゆきたいと思います。
フジテレビのアナウンサーと闘病した人と言えば、故・逸見政孝さん(1945~93、享年48)が有名ですよね。
逸見政孝さんは、進行性胃癌で手術を繰り返した揚げ句、亡くなりました。
しかし、逸見政孝さんの死後から26年、当時とは打って変わって、医療も進歩を遂げています。
笠井信輔さんにはじっくり治療をして、しっかり治った状態で、またテレビでお目にかかりたいですね。
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