木内みどりの夫や子供は?「たけしの元気が出るテレビ」裏話や降板の理由に現在も












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女優・木内みどりさん(69歳)が最近、再び人気です。木内みどりさんの夫や子供、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の裏話に降板理由、現在などをリサーチしました。

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高校が嫌で、劇団四季に

芸名:木内(きうち)みどり
芸名:水野(みずの)みどり
生年月日:1950年9月25日(69歳)
出身地:名古屋市
家族:夫・水野誠一(みずの・せいいち)さん(73歳)、長女(30代)
学歴:私立日本大学桜丘(さくらがおか)高等学校(偏差値61)中退
血液型:O型
趣味:写真、旅行、車
特技:茶道

女優・木内みどりさんが最近、再び脚光を浴びています。

2019年には、5年ぶりに出演映画が3本も公開されました。

主人公の兄弟の母親役を演じた『こはく』、故・樹木希林さん(1943~2018、享年75)のプロデュース作『エリカ38』、鹿児島県最北端の長島町(ながしまちょう)を舞台にした『夕陽のあと』。

1971年の映画『潮騒』で映画デビューした木内みどりさんですが、1年間に出演映画3本公開は初めての出来事です。

70歳を目前にして個性派俳優として、脇を固める役が増えています。

話は前後しますが、木内みどりさんは名古屋市生まれ。

生命保険会社に勤める父の関係で、名古屋から千葉県、岐阜県、鹿児島県と、引っ越しを繰り返しました。

幼少時代は、ボーッとしている子だったと自ら振り返っています。

1963年、中学1年からは、東京で暮らし続けています。

1966年、東京都世田谷区の私立日大桜丘高校に入学。日大桜丘高校は、日大の直系附属高校で、生徒の7割が日大に内部進学します。

卒業生には郷ひろみさん(64歳)=中退・堀越高校へ転校=、佐藤隆太さん(39歳)、ウエンツ瑛士さん(34歳)らがいます。

そんな日大桜丘高校に入ったものの、木内みどりさんは学校に行くのが嫌で、劇団四季の研究生オーディションを受験。

1967年、高校2年で、劇団四季研究所に入りました。

同じ頃、高校は中退しています。

1971年、映画『潮騒』に出演。

1973年、ドラマ「安ベエの海」(TBS系)で初主演。

1976年、山口百恵さん主演の人気ドラマ「赤い運命」「赤い衝撃」(いずれもTBS系)に出演。

その後、テレビドラマ、映画、舞台に多数出演しています。

木内みどりがブレーク「たけしの元気が出るテレビ!!」

しかし、木内みどりさんがお茶の間に強烈な記憶を残したのは、1985年4月から始まったバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)への出演です。

木内みどりさんは当初、企画段階ではドラマだと聞かされていました。

「収録の直前、10日ほど前に全員集められて『ドラマはやりません。バラエティーです。いまだかつてないようなものをやります』って言われて……」

日曜よる8時から9時までの放送、ちょうどNHK大河ドラマの裏で、まともに競り合ったのでは勝てません。

前番組の「久米宏のTVスクランブル」ともども、どれだけ斬新(ざんしん)な企画を盛り込むか、アイデア勝負の番組です。

「ビートたけしさん(72歳)がやっている『元気が出る商事』の秘書という役割なんだけど、私は『ハハハ』って笑っているだけ。生きている大道具みたいなの(笑)」

しかし、素人を取り上げた企画が当たり、一躍、ヒット番組に。

「だから、2年ぐらい経ったときに『そろそろ、辞めたい』って言ったんだけど『この番組が何とかやれているのは、奇跡的にバランスが取れているからなので、いてくれ』と言われて。それからまた何年かして『辞めたい』って言ったんだけど、結局6年半もいました」

同時期の1988年、木内みどりさんは38歳で、西武百貨店に勤務していた水野誠一さん(73歳)と結婚しました。

実は、再婚です。木内みどりさんは、それ以前に男性と結婚して、離婚しています。

水野誠一さんは当時、渋谷店の店長でした。

結婚後、木内みどりさんは長女を出産しました。出産の前後、木内みどりさんは、今では考えられませんが、産休も育休も取らず「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の収録を続けていました。

「一回も、休みませんでした。妊婦なのに、お腹が目立たなかったので。収録が終わって、家に帰って、翌日の夜に陣痛が来て。朝まで待って、病院に行って、産んで。2日病院にいて帰宅。次の日が収録だったので、自分で車を運転して行きました(笑)」

凄いですよね~。初産で、これですよ。昔のテレビ人は、ガッツがあったんですね~。決して、褒めているわけではありませんが。

夫・水野誠一は西武百貨店社長に

1990年、水野誠一さんは西武百貨店の社長に就任。

木内みどりさんは、寝耳に水でした。

「私が結婚したときは渋谷店の店長さんで、そのあと、本社に勤めるようになったんだけど、私がそういうのが嫌いだって知っているから、社長になることも言ってくれなかったんですよね」

子育てに追われながら、映画やテレビ出演を続けていた木内みどりさん。

「それであるとき、突然家に『祝・社長』って書いてあるコチョウランが届くんですよ。『なに、これ?』って思っていたら、また『ピンポン』ってコチョウランが次々に十何鉢も届いて……。仕上げは、桶に入った生きている鯛(たい)が届いちゃって(笑)」

さすがに、事情を察した木内みどりさんは、水野誠一さんを問い詰めました。

「帰ってきた主人に聞いたら『ちょっとね、社長になったんだよね』って。『何、それ。何で言わないの?』って言ったら『そういうの嫌いでしょう? 今、言ったから、いいじゃん』みたいな感じで(笑)」

水野誠一さんは、社長昇格の動きがあることを、ずっと木内みどりさんに黙っていたんです。

「逃げ出すと思ったんじゃないですか(笑)、そういうのが嫌いだから。私はそんなことがやりたいわけじゃないんだけど、覚悟を決めましたね」

しかし、困ったのは、社長令夫人として、出席しなければならない公式行事の多さです。

「社長の奥さんとして行かなければいけないことが、いっぱいあるわけでしょう。パーティーとか、結婚式とかね。それなのに、洋服は自分で買えって言うのよ。しかも西武で」

おお、夫の会社で買うなら、もしかして、無料サービス!? いえいえ、違います。

「社員割引で、2割ぐらい引いてくれても、まだまだ高いわけよ。その頃の私は稼いでいたから、買えたからいいけど、本当にあの頃は随分、買いましたね。私の名前なんか、関係ない。日本の社会は、立場主義ですよね」

夫の政治家転身、引退、病気

1991年12月、木内みどりさんは「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」を降板しました。

折から、バブル景気は下降局面に入り、西武百貨店の売り上げは低迷。不祥事も重なって1993年4月、水野誠一さんは社長を降り、副社長に。1994年には非常勤取締役に退きました。

1995年7月、新党さきがけから参院選比例区に立候補して当選。

2001年7月、静岡県知事選に立候補して落選。

以後、政界の第一線からは身を引いています。

その間に、水野誠一さんは、心筋梗塞(しんきんこうそく)を患い、大変な時期を過ごしています。

「今はもう元気になりましたけど、イタリア料理を半分食べて、その後また別の会合で、中華料理を食べたりとか、食生活がひどかったですからね」

すでに50を越えていた木内みどりさんは、水野誠一さんの闘病を目の当たりにして、自分自身の残り時間も少なくなっていることに改めて気付かされました。

「残り時間は少ないと実感してからは、私はやっぱり、自分のやりたいことをやりたいので『あなたが健康で暮らすご飯と、清潔に暮らす生活を整えることはやるけれども、それ以外は、もう放し飼いにして』と。どこに行くとか、何をするとかいうことも構われたくないから、娘にもそう言ったの。だから、ウチはどこに行くとか、何時に帰るとか一切なし。それで、出かけるときは『さようなら』って言うの(笑)」

ロケ地に溶け込み、地元の人と間違われ

2011年3月、東日本大震災。木内みどりさんの人生も、また大きく変わりました。

「前は小さいながらも、自分の事務所をやっていたんですけれども、そこにいた人たちに行くところを決めてもらって、閉めたの。そこの電話番号を転送にしていたんだけど、引っ越したら、転送が不可能になっちゃった。つまり、私、芸能界、役者の世界から消えちゃったんですよ」

しかし、そこからの巻き返し、復活。

「たまたま連絡が来たり、頼まれたことをやっていたんだけど、これで消えるんだったら、それでいいやと思っていました。やっぱり、役者って旬の役者と、過去の人ってある。私なんて過去の人だから、若い人は知りませんよ。それでも、ちょこちょこっと、頂ける仕事を丁寧に丁寧にやっていこうって思っています」

人生って、分からないものですよね。2014年、映画『0.5ミリ』を最後に5年も仕事を休んでいた木内みどりさん。2019年は立て続けに出演映画3本が公開されました。

最新作『夕陽のあと』のロケでは1週間、舞台の島、長島に滞在しました。

「島の漁師の方と仲良くなって毎晩、そこの家で、ご飯を食べさせてもらって。その家のおばあちゃんの服を借りて、劇中で着ていたんですよ」

島の空気に本当になじんで、撮影に臨んだ木内みどりさん。

「小さな漁村の、そこだけで生きてきた漁師の奥さんで、ばあちゃんなのね。撮影しているときに待ち時間が長いから、その扮装(ふんそう)のまま、地元の人とずっとしゃべっていたの」

漁師さんの家のおばあちゃんの服を着込み、地元の人と団らんしていた木内みどりさん。もうすっかり、島の人になりきっていました。

「そうしたら、地元の人が、私を見ながら、スーッと前を通り過ぎて、バタッと足が止まったの。それで、バッと私の顔を見て『あんた、木内みどりじゃないの』(笑)。通り過ぎたときには、分からなかったのね。完全に、島のばあちゃんと思われていたわけで」

書籍、WEBラジオ、本業以外も絶好調

本業以外でも、木内みどりさんは絶好調です。

2018年には『私にも絵が描けた!コーチはTwitter』を出版しました。

元々、絵のド下手だった木内みどりさん。酉年(とりどし)の2017年元日に、娘さんにおちょくられて鳥の絵を描きました。

「私が描いた鳥の足は4本だったの。それを見て噴き出した娘が『毎日描いてよ。毎日笑いたいから』って。悔しいからその挑発に乗って、1日1枚描いて、ツイッターに載せることにしたの」

自分の描いた絵をツイッターにアップする人はいるでしょうが、それを365日続ける人はめったにいません。何気に偉大ではないでしょうか。

「ツイッターで、いろんな方からコメントを頂いて、励みになりました。それに、描くことは、発見の連続でした。最初の4本足の鳥もそうだけど、猫や犬もなかなか描けない。いったい、私はこれまで何を見てきたのかって。それから少しずつ変化して、絵を描く時間が楽しくなっていったんです」

自分の思いの記念して、木内みどりさんは、一冊の本にしました。

 

ほかにも、木内みどりさんは「木内みどりの小さなラジオ」というインターネットラジオ番組を制作・公開しています。

老いてますます盛ん。この言葉を、まさに地で行く木内みどりさん。

人生の新しいステージ、今後の活躍が楽しみです。

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