吾妻ひでおの本当の死因は?嫁や子供は何してる?破天荒人生や失踪のエピソードも












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漫画家・吾妻ひでおさんが10月13日未明、都内の病院で死去しました。享年69歳。吾妻ひでおさんの本当の死因、嫁や家族、失踪、破天荒人生のエピソードをリサーチしました。

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吾妻ひでお本人のTwitterに訃報

筆名:吾妻ひでお(あづま・ひでお)
本名:吾妻日出夫(あづま・ひでお)
生年月日:1950年2月6日
没年月日:2019年10月13日(享年69)
出身地:北海道(道東)浦幌町(うらほろちょう)
家族:妻・紀三代(きみよ)さん、長女(39歳)、長男(36歳)
学歴:北海道立浦幌高等学校(2010年閉校)卒業
活動期間:1969~2019年

漫画家・吾妻ひでおさんが10月13日未明に、東京都内の病院で亡くなっていたと、10月21日に明らかになりました。

吾妻ひでおさんのツイッターで、発表されました。


享年69。直接の死因は公表されていませんが、食道がんで療養中でした。

すでに通夜、告別式は近親者のみで行われています。

後日、ファンや一般の方も参加できる形で、お別れの会を開く予定です。詳細が決まり次第、アップロードしてゆきたいと思います。

吾妻ひでおさんは1969年にデビュー。

ギャグ漫画『ふたりと5人』やアニメ化もされた『ななこSOS』、SF作品『不条理日記』などで人気を得ました。

また、美少女漫画の先駆者で、現在の「萌え」「おたく文化」の源流とも言われています。

その後、依存症や失踪(しっそう)を経験して、そのときの経験を基に描いた『失踪日記』を2005年に発表。

第34回日本漫画家協会賞大賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞などを受賞していました。

吾妻ひでおの本当の死因は?

吾妻ひでおさんは2017年3月のTwitterで、がん治療を告白していました。

その後も、入退院を繰り返していると、ツイッターで明かしていました。


吾妻ひでおさんは、石ノ森章太郎さん(1938~98、享年60)の漫画入門書『マンガ家入門』(1965)を読んで、漫画家を志すようになりました。

北海道立浦幌高校に在学中、漫画誌「COM(コム)」の読者投稿コーナーから派生した同好団体「ぐら・こん」北海道支部に参加。

当時の「ぐら・こん」北海道支部には、後の少女漫画家・大和和紀(やまと・わき)さん(71歳)や忠津陽子(ただつ・ようこ)さん(70歳)=共に札幌市出身=がいました。

1968年3月に浦幌高校を卒業。

上京して、凸版(とっぱん)印刷に就職しました。

当時の凸版印刷は、本社が台東区、工場が板橋区にありました。なので、吾妻ひでおさんも板橋工場で働いたのでしょうね。

しかし、吾妻ひでおさんは、入社1カ月で退職。自伝的作品『逃亡日記』(2007)によると、親をだまして、上京するための就職だったんですって。

その後、アシスタントを経て、1969年に月刊「まんが王」(秋田書店)で漫画家デビューした吾妻ひでおさん。

翌1970年には「まんが王」で連載を獲得して独立。「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)に出世作『ふたりと5人』を連載し、人気漫画家の地位を確立しました。

しかし、1980年代半ばから、吾妻ひでおさんは低迷期に入ります。

思うように作品が描けなくなり、うつ病や依存症の果てに失踪、行方をくらましてしまいます。

それは後ほど触れるとして、当時の過労や飲み過ぎ、うつ病、不摂生などが、吾妻ひでおさんの健康を確実にむしばんだと思います。

石ノ森章太郎さん60歳、手塚治虫さん60歳と、漫画界の巨匠に比べれば長命の吾妻ひでおさんですが、当時の不摂生がなければ、もっと長生きしただろうとは思われます。

国立がんセンターのサイトによると、食道がんの発症には、喫煙や飲み過ぎが関係しています。

吾妻ひでおさんが闘病していた食道がん。

しかし、真の死因は、吾妻ひでおさんが漫画家として、命を全うしたことにあります。

換言すれば、漫画家でなければ、もっと長生きしていたかもしれません。

そうなれば、私たちも吾妻ひでお作品に出合えなかったわけで、何とも言い難いですよね。

やはり、天命だったと考えるべきなのでしょうか。

破天荒・吾妻ひでおの失踪エピソード

吾妻ひでおさんは低迷期に入った1980年代半ばから、2回の失踪を繰り返しています。

1回目の失踪は、1989年11月から90年2月までの4カ月間。

重症化したうつに耐え切れず、埼玉県入間市の雑木林でホームレスとして生活をしていました。

深夜の駅前で偶然、警察官に発見・保護されて、吾妻ひでおさんは、東京都練馬区の家に帰宅できました。

2回目の失踪は、1992年夏から93年春までの9カ月間です。

作家・評論家で編集者でもある大塚英志(おおつか・えいじ)さん(61歳)に自著『夜の魚』のあとがき原稿を宅配便で送った直後、その足で発作的に失踪しました。

失踪とは、残された家族・関係者から見た状態で、本人にすれば家出ですね。

うつ病に苦しむ吾妻ひでおさんは日常をリセットするために、失踪したみたいです。

東京都小金井市と西東京市などにまたがる広域公園〈小金井公園〉やその周辺で、ホームレスとして生活を送りました。

あろうことか、吾妻ひでおさんは、たまたま知り合った男性に誘われ、東京ガスの関連会社で、配管工としてガス工事の仕事に携わりました。

それも、アルバイト感覚ではなく、東京ガスの社内報や広報誌に〈東英夫〉名義で4コマ漫画を投稿して採用、掲載されたほどでした。

1993年春ごろ、吾妻ひでおさんは、男性から譲られた盗難自転車に乗っていたため、職務質問した警察官に逮捕されました。

このため、家族に連絡がゆき、吾妻ひでおさんの所在は分かりました。

しかし、な、な、なんと、吾妻ひでおさんは帰宅を拒否。そのまま、配管工としての生活を続けました。

その頃には、もうホームレスではなく、きちんと部屋を借りて生活していたほどでした。

結局、半年間ほど配管工の生活を続けてから、家族の元に帰りました。

妻と息子に両腕を掴まれ強制入院

しかし、帰宅してからも、吾妻ひでおさんの奇行は収まりません。

さすがに、失踪こそしなかったものの、ほぼ終日、幻覚と幻聴に悩ませられる状態に陥るようになりました。

手に震え(振戦)が出るようになり、深夜や未明の不規則な外出も繰り返すので1999年12月25日、見かねたご家族が吾妻ひでおさんを東京都三鷹市の病院に強引に入院させられました。

わめき叫ぶ吾妻ひでおさんを奥さんと息子さんが両手をガッチリ掴んで、タクシーに押し込んだのでした。

3カ月の治療プログラムとセラピーを受け、吾妻ひでおさんは以後、通常の健康的な生活に戻ることができました。

やはり、最後には家族の愛が、吾妻ひでおさんを救ったのです。

吾妻ひでおの嫁や子供は?

そんな吾妻ひでおさんを支えた家族は、妻・紀三代(きみよ)さんと長女(39歳)、長男(36歳)の3人です。

紀三代さんは年齢非公表ですが、元々は、吾妻ひでおさんのアシスタントをされていました。

吾妻ひでおさんが漫画家としてブレークする直前の1973年、お2人は結婚されました。

娘さんと息子さんの名前も非公開ながら、一時期、吾妻ひでおさんのアシスタントでした。

なので、もしかしたら、漫画業界に携わっておられるかもしれませんね。

しかし、娘さんと息子さんは本当はアシスタントをやっていなかったという説もあります。

あるいは、息子さんは後に漫画家デビューしたという情報もあります。

情報が分かり次第、アップロードしてゆきますね。

3人の家族に、吾妻ひでおさんは、作品やSNSの中で別の名前をかぶせていました。

妻・紀三代さんはアシスタントA、長女はアシスタントB、長男はアシスタントCです。


終生、吾妻ひでおさんは、アシスタントAを愛されて逝ったのでした。

不世出の漫画家、吾妻ひでおさんのご冥福(めいふく)をお祈りします。

 

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