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元プロ野球投手・金田正一さん(享年86)の死で、長男の俳優・金田賢一さん(58歳)を久しぶりに見ました。金田賢一さんの今、嫁や子供、父との思い出をリサーチしました。
17歳で映画主役デビュー、破格の特別待遇
氏名:金田賢一(かねだ・けんいち)
生年月日:1961年8月22日(58歳)
出身地:兵庫県
家族:妻・梓のぼる、長女(33歳)
学歴:私立成城学園中学校(偏差値56)高等学校卒業、成城大学中退
身長:184センチ
靴サイズ:27.5センチ
趣味:料理、コンピューター
血液型:B型
所属事務所:オフィスコットン(東京都目黒区)
プロ野球で歴代最多400勝を達成し、ロッテ監督も務めた金田正一(かねだ・まさいち)さんが10月6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、東京都内の病院で、娘さん2人に見とられて、亡くなりました。86歳でした。
通夜と葬儀・告別式は、近親者のみで執り行います。喪主は長男・賢一(けんいち)さん。後日「お別れの会」を行う予定。
日曜の夜に、テレビで訃報のテロップが流れました。
翌10月7日付の新聞には、自宅前で取材に応じる金田賢一さんの写真が載っていました。
久しぶりに、金田賢一さんの姿を見たという人も多いのではないでしょうか。
金田賢一さんといえば、ひと昔前、金田正一さんの長男として、騒がれて俳優デビューを果たしました。
今で言えば、プロ野球の元投手で、福岡ソフトバンクホークス監督・工藤公康さん(56歳)の長男で俳優・工藤阿須加(くどう・あすか)さん(28歳)みたいな感じですね。
いや、もっと人気があったかもしれません。
父・正一さん譲りの184センチの長身。ワイルドな中に、甘さを漂わせるルックス。
1978年、金田賢一さんは17歳で、父・正一さんの友人だった故・長門裕之さん(1934~2011年、享年77)が製作に携わっていたATG映画『正午(まひる)なり』で、いきなり主役としてデビューしました。
原作は、丸山健二さん(75歳)の芥川賞受賞第1作の映画化作品。
お相手のヒロインは、売り出し中の清純派女優、結城しのぶさん(65歳)、鮮烈なラブシーンあり。
半ば、ヒットは約束された映画での主役デビューです。金田賢一さんがいかに特別扱いだったか、分かりますよね。
さらに1980年、映画『不良少年』で主役。同年のNHK大河ドラマ「獅子の時代」出演。
1981年、東邦の大作映画『連合艦隊』出演。
1983年、NHK銀河テレビ小説「青春前後不覚」主演。
1984年、同名人気漫画が原作の映画『月の夜 星の朝』出演。
と、まあ、特別あつらいのレールを順調に走り、あっという間に、俳優としての地位を確立しました。
1985~86年には、人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ系)に、デューク刑事役で出演もしました。
当時の「太陽にほえろ!」は制作終了の直前で、いわば末期でした。
しかし、金田賢一さん演じるデューク刑事は、大人気だった渡辺徹さん(58歳)演じるラガー刑事の後任で、期待の高さがうかがえますよね。
1986~87年には、料理バラエティー番組「料理天国」(TBS系)の司会を務めました。
「料理天国」は元々、タレント西川きよしさん(73歳)が司会を務めていた人気番組ですが、西川きよしさんが1986年、参院選大阪選挙区に初立候補したのを機に一時、降板していました。
西川きよしさんがトップ当選を果たし、司会に復帰すると、金田賢一さんは西川きよしさんと1年半にわたって共演しました。
父・金田正一さんの現役生活は1950~69年、ロッテの監督は1973~78年です。
金田賢一さんは、父と入れ替わる形で、メディアに登場してきたんですね。
それだけ、周囲も“400勝投手”の息子さんに気を使った、大事にしたんだと思います。
金田賢一は、父・正一とキャッチボールたった3回
通算400勝、沢村賞3回、史上最年少ノーヒット・ノーラン(18歳35日=18歳1カ月4日)、不世出の大投手・金田正一さんの長男、金田賢一さんは、野球経験がありません。
正確には、成城学園中学校時代に野球部に所属していましたが、本人いわく「下手だった」。
父・正一さんと野球をしたのは、たった3回。
小学生の頃に、近所でキャッチボールをしただけです。
まあ、それは、ある程度、仕方のないことです。
金田賢一さんの小学生時代(1968年4月~1974年3月)、金田正一さんは国鉄から巨人に移り(1965年)、1969年の引退までの最後の5年間の選手生活でした。
キャンプで、遠征で、そもそも自宅にあまりいません。しかも、職業がプロ野球選手なので、休日に野球をするはずもないです。休みの日に、野球をしたら、休みがなくなってしまいますから(笑)。
おそらくは、金田正一さんの引退後に、金田賢一さんは近所でキャッチボールをしただけなのでしょうね。
でも、お父さんと同じ身長184センチです。鍛えれば、金田賢一さんも、野球ができたはずです。
現に、叔父の金田留広(とめひろ)さん(1946~2018、享年71)も東映/日拓、ロッテ、広島で13年間活動して128勝109敗の成績を収めています。
母も嫁も宝塚出身、多趣味な才能発揮
金田賢一さんの母は、雅章子(みやび・のりこ)さんと言って、元宝塚の女優さんです。
雅章子さんは宝塚35期生。1947年、宝塚家政学校から宝塚音楽学校に入学して、1960年に退団しています。同期には、故・高島忠夫さん(1930~2019,享年88)の妻・寿美花代さん(87歳)がいます。
宝塚音楽学校に入学したのは16歳だとして、現在88歳です。ご存命かどうかは不明ですが、金田賢一さんは、雅章子さんが30歳を過ぎての子となりますね。
金田賢一さんが生まれたとき、正一さんは28歳ですから、雅章子さんは、金田正一さんにとって姉さん女房だったのでしょうね。
実は、雅章子さんは、金田正一さんの最初の奥さんではありません。
金田正一さんの最初の妻は、元歌手の故・榎本美佐江(えのもと・みさえ)さん(1924~98、享年74)です。金田正一さんより9歳年上ですね。
1955年、金田正一さんは21歳だった1955年3月からから榎本美佐江さんと同棲(どうせい)。1960年、金田正一さんは日本国籍を取得し、榎本美佐江さんは引退して結婚しました。
しかし、同時期の1960年、金田正一さんは、宝塚を退団した雅章子さんと出会い、交際。
翌1961年、金田賢一さんが生まれると、1963年8月、金田正一さんは榎本美佐江さんと離婚、雅章子さんと再婚しました。
その後、金田正一さんと雅章子さんの間には、長女・金田幸子さん(56歳)、次女が生まれています。
金田賢一さん自身は1986年、母・雅章子さんの後輩で宝塚出身の梓のぼるさんと結婚。同年に長女(33歳)が生まれています。
近年、金田賢一さんは、単発ドラマの犯人役など深みのある演技を披露している傍ら、夫人と温泉旅行番組にも出演しています。
なぜか、ホームヘルパー2級の資格をお持ちです。
また、少年時代から現在まで、ボーイスカウト活動を続けており、ボーイスカウトのモットー「歩け、歩け」を信条としています。
テレビ局に行くときも車は使わず、できるだけ電車と徒歩で行くようにしています。
時には、自転車で行くときも。
また、料理もセミプロ級で、料理教室を開くほどです。
2007年からは、音楽家・丸尾めぐみさん朗読ユニット〈朗読三昧(ろうどくざんまい)〉を組み、定期的に朗読公演を行っています。
こうやって振り返ると、金田賢一さんは、お父さんほどの偉大で不世出の大投手ではありませんが、多趣味でステキなナイスミドルという感じですね。
父・金田正一さんも安心して、天国に旅立っていったのではないでしょうか。
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