岡田有希子と竹内まりやが新アルバム!2人の出会いや共通点に没後33年の友情とは












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故・岡田有希子(おかだ・ゆきこ)さん(享年18)とシンガー・ソングライター竹内まりやさん(64歳)の共演アルバムが発売されます。2人の関係や制作の経緯などをリサーチしました。

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デビュー曲など最多11曲を提供

芸名:岡田有希子(おかだ・ゆきこ)
本名:佐藤佳代(さとう・かよ)
生年月日:1967年8月22日
没年月日:1986年4月8日
出生地:愛知県一宮市
学歴:名古屋市立高蔵(たかくら)小学校、名古屋市立沢上(さわかみ)中学校、名古屋市立向陽(こうよう)高等学校(偏差値70)から堀越(ほりこし)高等学校へ編入して卒業
血液型:O型
身長:155センチ(1985年時点、公称)
体重:44キロ(1985年時点、公称)
スリーサイズ:B86(Eカップ)-W58-H84センチ
瞳の色 黒
所属事務所:サンミュージック
レコード会社:キャニオンレコード
法名:侑楽院釈尼佳朋(ゆうぎょういんしゃくにかほう)
墓所:愛知県愛西市(あいさいし)の成満寺(じょうまんじ)

氏名:竹内(たけうち)まりや
本名:山下(やました)まりや
生年月日:1955年3月20日(64歳)
出身地:島根県大社町(現・出雲市)
家族:夫・山下達郎(やました・たつろう)さん(66歳)、長女・絵里(えり)さん(35歳)=シンガー・ソングライター
学歴:島根県立大社高等学校(偏差値41~54)卒業、慶応義塾大学文学部(偏差値65)英文科中退
身長:165センチ?
血液型:A型
略歴:実家は出雲大社門前の竹野屋旅館。慶大在学中に軽音楽サークル〈リアル・マッコイズ〉の先輩、杉真理(すぎ・まさみち)さん(65歳)のレコーディング参加を機に1978年「戻っておいで・私の時間」でデビュー。79年「SEPTEMBER」で日本レコード大賞・新人賞。「不思議なピーチパイ」「元気を出して」「駅」「シングル・アゲイン」などヒット曲多数
所属事務所:スマイルカンパニー(個人事務所)
レコード会社:ワーナーミュージック・ジャパン

1986年に死去した伝説のアイドル、岡田有希子さん(1967~86年、享年18)をオマージュしたコンピレーション(企画)アルバムが発売されることが分かりました。

「岡田有希子 Mariya’s Songbook」というタイトルで、10月16日(水)にポニーキャニオンから発売されます。新消費税率10パーセントで、税込み2750円です。

岡田有希子さんのデビュー曲「ファースト・デイト」(1984年4月発売)を楽曲提供したシンガー・ソンライター、竹内まりやさん(64歳)。

意外と言っては失礼かもしれませんが、竹内まりやさんが楽曲提供した歌手の中で、最多は岡田有希子さんなんです。

日本音楽著作権協会の作品データベースでアーティスト「岡田有希子」、権利者名「竹内まりや」で検索すると、全11曲がヒットします。念のために、掲載します。

曲名 作詞 作曲 発売 所収
ファースト・デイト 竹内まりや 竹内まりや 1984年4月21日 1stシングル
リトルプリンセス 竹内まりや 竹内まりや 1984年7月18日 2ndシングル
さよなら・夏休み 竹内まりや 竹内まりや 1984年9月5日 1stアルバム『シンデレラ』
憧れ 竹内まりや 竹内まりや 1984年9月5日 1stアルバム『シンデレラ』
-Dreaming Girl-恋、はじめまして 竹内まりや 竹内まりや 1984年9月21日 3rdシングル
気まぐれTeenage Love 竹内まりや 竹内まりや 1984年9月21日 3rdシングルB面
哀しい予感 竹内まりや 竹内まりや 1985年7月17日 6thシングル
恋人たちのカレンダー 竹内まりや 竹内まりや 1985年7月17日 6thシングルB面
ペナルティ 竹内まりや 杉真理 1985年9月18日 3rdアルバム『十月の人魚』
ロンサム・シーズン 竹内まりや 竹内まりや 1985年9月18日 3rdアルバム『十月の人魚』
二人のブルー・トレイン 竹内まりや 杉真理 1985年10月5日 7thシングル「Love Fair」B面

全11曲のうち「ペナルティ」(1985年9月18日発売、3rdアルバム『十月の人魚』所収)、「二人のブルー・トレイン」(1985年10月5日発売、7thシングル「Love Fair」B面)のみ、竹内まりや作詞、杉真理(すぎ・まさみち、65歳)作曲です。

しかし、権利者は竹内まりやさんになっています。竹内まりやさんと杉真理さんはアマチュア時代、慶大の軽音楽サークル〈リアルマッコイズ〉で一緒、先輩後輩の間柄です。

思うに、現代ほど、著作権意識が強くなかった当時、杉真理さんはレディーファーストで、竹内まりやさんにクレジットを譲ったのではないでしょうか。

岡田有希子と竹内まりやの共通点は?

しかし、こうやって改めて気付かされたのは、岡田有希子さんと竹内まりやさんの関係です。

1967年8月生まれの岡田有希子さん、1955年3月生まれの竹内まりやさん。竹内まりやさんが年齢で11、学年で10、年上です。

愛知県一宮市生まれの岡田有希子さん、島根県大社町(たいしゃまち、現・出雲市)出身の竹内まりやさん。

名古屋市立向陽高校から私立堀越高校を卒業した岡田有希子さん、島根県立大社高校から慶大文学部英文学科中退の竹内まりやさん。

一見、全く共通点のない2人ですが、実は“根っこ”の部分で、2人は似ているんだと思います。

まず、第一に、2人の雰囲気。どちらもキュートでガーリー、それでいてポップな空気を醸し出しているんです。

実は、竹内まりやさんは、41年前のデビュー直後は、シンガー・ソンライターでありながらも、実質アイドル歌手的な扱いだったんですよ。

2人は、元アイドルと言ってもいいと思います。

また、うまく言えないんですが、竹内まりやさんの作った楽曲って、どれも岡田有希子さんのワールドにピタリと、はまっているんです。

それでいて、明るさ一辺倒ではなく、底の部分のどこかがチョッピリ暗い。ね、似ていますよね。

あと、不思議なことに歌声、特に中低音のビブラートが、とっても似ているんですよ。

例を挙げましょうか。

竹内まりやさんの初期の作品「不思議なピーチパイ」(1980年)、「元気を出して」(1988年)、「カムフラージュ」(1998年)……どれも、岡田有希子さんがカバーしたら、今にも歌声が聞こえてきそうな気がしませんか。頭の中で、岡田有希子さんが歌っていませんか。

ね、分かりますよね。

橋渡しをした故・渡辺有三さん

そう思ったのは私だけではありません。

もともと、2人を結びつけたのは、岡田有希子さんのプロデューサーで、ポニーキャニオン元常務、渡辺有三(わたなべ・ゆうぞう)さん(1949~2014、享年64)です。

慶大商学部卒の渡辺有三さんは、竹内まりやさんとは大学の先輩後輩です。

1967年4月、大学入学と同時に、慶大卒の加山雄三さん(82歳)のバックのベーシストを務め、自らもバンドデビューした渡辺雄三さん。

竹内まりやさんに取って、公私にわたる先輩であり、日本ポップス界の大先輩でもあるんです。

そんな渡辺有三さんも、岡田有希子さんと竹内まりやさんに共通する、ある種の“匂い”を嗅ぎ取っていたに違いありません。

渡辺有三さんが、ヒットメーカー竹内まりやさんに楽曲制作を依頼したことが、2人の出会うきっかけでした。

活動期間2年、永遠のアイドル岡田有希子

1984年に菊池桃子さん(51歳)、荻野目洋子さん(50歳)らと同期デビューし、憂いを秘めた清楚なルックスと、抜群の歌唱力で、人気を集めた岡田有希子さん。

1984年4月21日のデビューから86年4月8日の死まで、アイドルとしての実質活動期間は717日、1年11カ月18日しかなかった岡田有希子さん。

短かいながら、日本レコード大賞最優秀新人賞など当時の新人各賞を総なめにし鮮烈な岡田有希子さんの人生と、竹内まりやさんの音楽が再びクロスオーバーします。

2018年4月8日の命日で、岡田有希子さんの三十三回忌を迎えたこともきっかけになりました。

一般に、人が亡くなると99日後の百か日法要、1年後の1周忌、2年後の3回忌(亡くなったときを1回忌と考えるので、1つ増えます)、6年後の7回忌、12年後の13回忌、32年後の33回忌を年忌と呼んで、法要の区切りとします。

33回忌より先は、故人のお子さんが法要を営むぐらいで、普通は行いません。いわば、人の死を悼む、最後の区切りなんですね。

そんな岡田有希子さんの33回忌で、ファンの間で、記念盤の制作などを望む声が上がっていました。


一方、竹内まりやさんは1978年11月デビュー。2020年はデビュー41周年ですが、9月4日にデビュー40周年アルバム『Turntable』を発売。

アルバムには、岡田有希子さんのデビュー曲「ファースト・デイト」の逆カバーも収録しています。

そんなことが重なり合って、今回の企画アルバムが実現しました。

今回の新アルバムで、竹内まりやさんは楽曲提供した全11曲を収録。

ライナーノーツの秘蔵2ショット写真も、一足早く公開しています。

音源は、すべて2015年のリマスター音源を使用。

「ファースト・デイト」「リトルプリンセス」「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」の岡田有希子“デビュー3部作”をはじめ、竹内まりやさん制作の岡田有希子曲を1枚で聴けるCDは初めてです。

竹内まりやさんは、岡田有希子さんへの思いを、書き綴っています。

「彼女が生きていたら52歳…

没後33年経った今も、あの愛くるしい笑顔と、ほのかな憂いを含んだ歌声が私の胸の奥に深く残っています。

思い入れの深かった有希子ちゃんへの提供作品がここに1枚のソングブックとしてアルバム化できることを心から嬉しく思います。

まぶしいティーンエイジャーのまま姿を消してしまった彼女は、まさに『永遠のアイドル』となり、あの頃と変わらぬ歌声で青春のときめきとせつなさを私たちに与え続けています」

岡田有希子と竹内まりやのコンビは最高

岡田有希子さんと竹内まりやさんの“共作”は1985年1月16日発売の4thシングル「二人だけのセレモニー」で転機を迎えます。

デビュー以来、3作連続で起用された竹内まりやさんに代わって、シンガー・ソングライター、尾崎亜美(おざき・あみ)さん(62歳)が起用されたのです。

当然ですが「二人だけのセレモニー」は、以前の岡田有希子曲とはノリが全く違います。
竹内まりやさん提供の楽曲はキュートでポップだったのですが、尾崎亜美さん提供の曲はウエットで情感たっぷりな感じなんです。

どちらがいいとか、悪いとか、聴く人によって違うと思います。

敢えて異論を承知で、一括りにまとめると、竹内まりや曲は「希望」を歌っているのですが、尾崎亜美曲は「愚痴」っぽいのです。

※2019年9月19日追記

竹内まりやさんの青春の曲イメージを一言で表せば「5月の風」。

尾崎亜美さんは「夏の光線」。

同じ青春サウンドでも、爽やかな竹内まりや曲に対して、尾崎亜美曲は情熱的でウエットなんです。

視覚的な尾崎亜美さんの作品世界に対して、竹内まりやさんは触覚的。正反対なんです。

※追記終わり

そのせいか「二人だけのセレモニー」「Summer Beach」と続いた尾崎亜美さんの曲を、6thシングル「哀しい予感」で再び竹内まりやさんに戻しています。

7thシングル「Love Fair」では、かしぶち哲郎さん(1950~2013、享年63)を起用して、初の男性から楽曲提供を受けています。

B面は、竹内まりやさん作詞、杉真理さん作曲の「二人のブルー・トレイン」です。

つまり、推理すると、岡田有希子さんの制作陣は、竹内まりやさんから尾崎亜美さんに代えたものの、イマイチだったので、もう一度、竹内まりやさんに戻した。

しかし、それに飽き足らず、男性からの楽曲提供を模索していた。

かしぶち哲郎さん、8thシングル「くちびるNetwork」の坂本龍一さん(67歳)と実験中に、岡田有希子さんは亡くなった――そんな構図が成り立つんです。

岡田有希子さんの遺作が実験的な「くちびるNetwork」だったため、岡田有希子=坂本龍一のイメージが強くなりすぎています。

しかし、私は、真にユッコ(岡田有希子)らしかった作品は、やっぱり竹内まりや曲だったと思います。

中でも、2ndシングル「リトルプリンセス」が岡田有希子・竹内まりやポップスの最高傑作だったと思います。

岡田有希子さんは、竹内まりやさんにとっても、私たちにとっても、いまだに、永遠にオンリーワンの存在で輝き続けているのですね。

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