三原じゅん子が大臣に入閣!学歴や家族に自宅は?歴代彼氏や金銭トラブルも調査!












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9月11日に控えた内閣改造で、自民党の三原じゅん子参院議員(54歳)が初入閣しそうです。学歴や家族に自宅、歴代彼氏や金銭トラブルなどをリサーチしました。

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参院議員当選2回、党女性局長も

氏名:三原じゅん子(みはら・じゅんこ)
本名:中根順子(なかね・じゅんこ)、旧姓・三原
生年月日:1964年9月13日(54歳)
出身地:東京都板橋区
家族:夫・中根雄也(なかね・ゆうや)さん(31歳)
学歴:私立淑徳小学校卒業、私立十文字中学校(偏差値50)中退(2年2学期)、板橋区立志村第一中学校卒業、明治大学付属中野高等学校定時制(当時の偏差値45)中退
身長:164センチ
体重:47キロ
血液型:B型

政府・与党筋からの消息では、9月11日に予定されている第5次安倍晋三(64歳)内閣の改造で、女性閣僚として、自民党の三原じゅん子参院議員を初入閣させる方向で調整に入りました。

女性では、橋本聖子(はしもと・せいこ)前自民党参院議員会長(54歳)の初入閣も検討されています。

また、茂木敏充(もぎ・としみつ)経済再生相(63歳)の外相への起用が固まったほか、自民党の加藤勝信(かとう・かつのぶ)総務会長(63歳)が経済閣僚として再び入閣する模様です。

世耕弘成(せこう・ひろしげ)経産相については、韓国に対して「交代させれば、誤ったメッセージを送ることになる」と、留任を求める声が出ています。

三原じゅん子参院議員は2010年7月11日の参院選比例区から立候補、16万8342票を獲得。自民党内で5位で当選しました。

2016年参院選では神奈川選挙区(改選数4)に転出、100万4877票を獲得して1位で再選を決めました。

現在、参院では内閣委員会、行政監視委員会に所属し、消費者問題に関する特別委員会では理事を務めています。

自民党の派閥には属しておらず、無派閥(22人)の参院議員として活動しています。

三原じゅん子参院議員は自ら子宮頸癌を患い、摘出した体験から医療、介護問題に知識、関心が強く、政策課題として取り組んできています。

また、自民党内では女性局長を務め、リベンジポルノや児童虐待の防止などに取り組んでいます。

 

三原じゅん子はツッパリ? 実はお嬢様育ち

さて、50歳以上のシニアの方には、現在の「三原じゅん子」より「三原順子」の芸名のほうが通りがよかったりします(笑)。

タレントとしての三原じゅん子さんは1979年、ドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)で、一気にブレークしました。

山田麗子役で出演した「3年B組金八先生」では、ツッパリ(当時のヤンキー)の役柄で、人気が急上昇しました。

中でも、クラスメートの女子に焼きを入れるとき、仲間への指図は強烈の一言、三原じゅん子さんの代名詞とも言うべき名ゼエリフになりました。

「顔はヤバイよ、ボディーやんな、ボディーを」

スターダムにのし上がった三原じゅん子さんは翌1980年4月、明治大学付属中野高等学校(明大中野)定時制に入学。

しかし、ドラマを地で行くように、わずか2日で退学。歌手デビューを果たすと、1982年に中森明菜さん(54歳)が現れるまでツッパリ、不良のイメージの女性歌手として活躍しました。

とはいえ、実物の三原じゅん子さんは、全く不良やツッパリとは無縁の、お嬢様育ちでした。

三原じゅん子さんは1964年(昭和39)、板橋区のメッキ工場を営む家庭に生まれました。

現在の貧しい町工場をイメージしないでください。当時は、東京五輪のあった高度成長期で、人々や街に夢があった時代です。

三原じゅん子さんのご家庭は、父、母、兄(58歳)の4人家族、メッキ工場は父、母、従業員の5人で営なんでいました。

三原じゅん子さんの父は昭和一ケタの厳格な方で、礼儀に厳しい人でした。

そのせいか、幼少期の頃の三原じゅん子さんは、お兄さんともロクロク口を利かず、感情を表に出さない子でした。

たまに笑うと、ご近所で話題になるほどだったと言います。

このため、小2の7歳で、お母さんが三原じゅん子さんを児童劇団に入れました。それが、切っ掛けで三原じゅん子さんは芸能生活をスタートさせてゆきます。

お嬢様育ちで、小学校も公立に入らず、同じ板橋区の私立淑徳小学校に入りました。

淑徳小学校は、学校法人・大乗淑徳学園の仏教系の小学校です。地元では、お嬢様進学校として知られています。

大乗淑徳学園は、板橋区のほかに豊島区に淑徳巣鴨中高、さいたま市に淑徳与野幼中高、千葉市に淑徳大学があります。

ちなみに、名古屋にある愛知淑徳学園とは全く別の学校法人です。

それはさておき、淑徳小学校に入った三原じゅん子さんは、女子をイジメる男子を絞めて周りから“スケバン”と呼ばれていました。

その頃、知人の連帯保証人になっていたお父さんは、借金を抱え込み、工場を倒産させてしまいます。

強面(こわもて)の借金取りが、自宅にまでおしかけて来るようになりました。

今までの生活とは一変して、お母さんは夜の勤めに出て、家計を支えるようになりました。

ごはんのおかずも、連日、ジャガイモかサツマイモのてんぷらばかりに。

思春期に入りかけたばかりの三原じゅん子さんには、つらい生活が続きました。

中学時代にツッパリ、ヌンチャク持ち歩く

苦しい生活にかかわらず、三原じゅん子さんは中学は豊島区北大塚の私立十文字中学校に進みました。

偏差値50の十文字中学校は、今もそうかもしれませんが、エリート校、進学校というより、1970年代当時の荒れた公立校からの避難という意味合いが強いですよね。

誰でも入れる公立中学に行くと、それこそ番長やスケバンがいたりして、3年間、息を潜めて暮らさなければなりません。

その子たちが授業をメチャメチャにしたり、マジメに勉強する子に言い掛かりをつけていじめたりするかもしれません。

そういう時代性だったんですよね。

部活は、バレーボール部に入りました

その頃にはもう、三原じゅん子さんはかなりヤンチャになっていて、ヌンチャク系の武器を持ち歩いていました。

いわゆる不良ですよね。実は、隠れてディスコにも行っていました。大人びたルックスのおかげで、補導されたりはしませんでしたが。

小学2年から児童劇団に所属していた三原じゅん子さんは、芸能活動のせいで、十文字中学校では無視されるなど、イジメを受けていました。

中2になり、ドラマの仕事が忙しくなってきました。十文字中学校は、校則では生徒の芸能活動を認めていません。

それで、中2の2学期で退学し、板橋区立志村第一中学校に転校しました。

中3になった1979年、ドラマ「3年B組金八先生」がスタートします。撮影を終えて、そのままの格好で登校したら、数人の生徒が喜んで話しかけてくれました。

その頃にはすっかり、スターになっていたんですね。

芸能活動と両立させるために、三原じゅん子さんは定時制高校を志望しました。

1980年当時、東京で定時制高校と言えば、都立代々木高校、明大中野が有名でした。

それで、三原じゅん子さんは、両校を受験したんですね。同学年で「3年B組金八先生」の共演者、マッチこと近藤真彦さん(55歳)も両校を受験しました。

どちらかと言うと、都立代々木高校が第1志望校だったんですって。

え、何で!? 驚かれるでしょうが、制服があって校則の厳しい明大中野に対して、都立代々木は私服可、ピアスはNGだけど、お化粧はOKという自由な校風なんです。公立のほうがフリーって面白いですよね。

それで、三原じゅん子さんは、マッチと一緒に1980年3月、入試に臨んだんですが、2人のファンが殺到する大騒ぎになり、受験を断念しました。

2人は共に明大中野に進みました。一般に定時制高校は4年制なのですが、明大中野は3年で卒業できるカリキュラムを組んでくれています。

三原じゅん子さんも出席さえしていれば、高校卒業の資格は取れたのでしょうが……2日で学校が嫌になり、登校しなくなりました。

留年を2回繰り返した後、明大中野を中退してしまいました。ちなみに、同期入学の近藤真彦さんは殺人的スケジュールにもかかわらず、明大中野をきちんと卒業しています。

私生活では3回結婚、2度流産

三原じゅん子さんと言えば、芸能活動のほかに、レーサーや監督としても活躍しています。

10代の頃から車が大好きで、カー雑誌を愛読、18歳になるとすぐに免許を取りました。

初めて買った車が、トヨタのセリカ。

芸能活動が波に乗った三原じゅん子さんは1981年、高校2年生時分に、両親に一戸建てをプレゼントしています。どんだけ、収入があったんでしょうね。

お兄さんは、もう閉店してしまいましたが、港区虎ノ門で〈さんしん亭〉という居酒屋を営んでいました。お世辞抜きに、おいしくて安いお店でしたって。

私生活では、1983年から7年間、水野雄仁(みずの・かつひと)巨人コーチ(53歳)と交際が噂されました。

一説には、水野雄仁さんが「野球に専念しろ」と周囲に叱られて、泣く泣く別れたとも言われています。

1990年11月、カーレーサー松永雅博(まつなが・まさひろ)さん(59歳)と結婚するも、1999年5月20日に離婚。その間、1990年に妊娠3カ月で流産。

1999年11月28日、芸人コアラさん(50歳)と再婚。2000年、妊娠4カ月で流産。2007年10月6日に離婚。

とまあ、2回の結婚に破れた後の2016年、24歳年下(!)の元公設秘書・中根雄也さんと結婚。中根雄也さんのご両親は、三原じゅん子さんよりも年下と話題になりましたよね。

中根雄也さんは、国会議員の夫として、国から給与をもらう公設秘書を辞任。公私混同や、給料の二重取りを避けるために、三原じゅん子事務所の所長を務めています。

余談ですが、三原じゅん子さんは、元カレ・水野雄仁さんと金銭トラブルを抱えていると報じられたこともあります。

最初の夫・松永雅博さんとの慰謝料1000万円を水野雄仁さんが、三原じゅん子さんに貸したそうですが、半額を返したところで返済が滞り、水野雄仁さんが返済を催促しているとのトラブルでした。

国会議員の三原じゅん子さんは、資産を報告しなければなりませんが、借入金はゼロになっており、法律違反ではと取り沙汰されました。

三原じゅん子さん側は「「係争中の借入金なので記載義務はない」と主張していますが。

お騒がせと言えば、2016年、三原じゅん子さんの公私混同問題がメディアで報道されました。

東京都港区の議員宿舎に両親を住まわせ、時分は中根雄也さんと横浜みなとみらい地区のタワーマンション(推定家賃70万円)で暮らしているというのです。

また、前夫・コアラさんとの籍があった2005年頃から、内縁関係にあるミュージシャン山口智之(やまぐち・さとし)さん(43歳)を公設秘書に据えました。

中根雄也さんと出会ってからは、中根雄也さんを公設秘書にして、山口智之さんを私設秘書に変えました。

それでも、山口智之さんの給料、約800万円は自民党への政党助成金を原資として支払われています。勤務実態のほぼない山口智之さんに、政党経由で国民の税金、約800万円が支払われていたんですね。

これは形式的には合法であっても、道義的には許されるものではありませんよね。

三原じゅん子さんが、その後、この問題をどう解決したかは分かりませんが、閣僚候補に擬せられたからには解決しているものと考えたいです。

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