静岡高校の栗林俊輔監督の嫁や子供は?経歴と進学校で甲子園7回の強さの秘密も!












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夏の甲子園に通算25回目の出場を果たした静岡高校。名将・栗林俊輔監督の嫁や子供、経歴や指導法、静岡高校の強さの秘密を野球部OBからリサーチしました。

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采配ズバリ、夏の甲子園出場を決めた

氏名:栗林俊輔(くりばやし・しゅんすけ)
生年:1972年9月8日生まれ(46歳)
職業:静岡県高等学校教諭(保健体育)
出生地:静岡県磐田市
家族:妻、長女、長男
学歴:磐田市立青城(せいじょう)小学校卒業、磐田市立豊田南(とよだみなみ)中学校卒業、県立磐田南高等学校(偏差値66~69)卒業、筑波大学体育学群(偏差値67)卒業
守備位置:捕手
球歴:青城小2年で豊田クラブで野球を始める。磐田南では1年秋からレギュラー。筑波大では2年から学生コーチ
監督歴:清水南(2年6カ月)、磐田北(1999~2002)、浜松工(2003~2007)、静岡(2008~)
身長:178センチ
体重:82キロ
血液型:A型

7月29日、静岡市駿河区の草薙総合運動場硬式野球場。

第101回全国高校野球選手権静岡大会の決勝が行われました。

U18侍ジャパン候補、プロ注目の紅林弘太郎内野手(3年)のいる駿河総合と、静岡県屈指の進学校で伝統校の県立静岡高校の、共にノーシード対決です。

ゲームは2回表に駿河総合が好機を生かし、2点を先取しました。

ここで、静岡の栗林俊輔監督は、決勝までの6試合で553球を投げ込んできたエース右腕・松下静(3年)を諦め、左腕・松本蓮投手(2年)にマウンドを託します。

栗林俊輔監督の決断が、試合の空気を一変させました。

救援した松本蓮投手は、後続をピシャリと断ちます。要所でスライダーが低めに決まり、二塁すら踏ませない好投。

3回には駿河総合の3番・紅林弘太郎遊撃手のあわやホームランとの右翼への大飛球を、斎藤来音右翼手(3年)がジャンピングキャッチ。バックがもり立て、味方の反撃を待ちます。

チャンスは、ラッキーセブンに訪れました。

静岡打線は7回裏、一挙5連打。7番・夏目武尚一塁手(3年)が適時打。

準々決勝の東海大静岡翔洋戦で同点打を放った代打・樋口裕紀選手(3年)が右前安打でつなぎ、9番・片平吉信中堅手(3年)が決めるなど、勝負どころで逆転に成功しました。

結局、試合は3-2で静岡が勝ち、4年ぶり25回目の夏の甲子園出場を決めました。

序盤、中盤の劣勢に慌てず、ワンチャンスを生かした静岡の集中力が光りました。

決勝にふさわしく、両校とも失策、暴投はゼロでした。

栗林俊輔監督は名将、11年で甲子園7回

出場した夏の甲子園で、静岡高校は8月7日、初戦の1回戦、津田学園(三重)に3-1で敗れました。

夏の甲子園に、静岡高校は相性が悪いですね。栗林俊輔監督が就任してから1勝も挙げられていません。

それでも、栗林俊輔監督は就任した2008年からの11年間で、静岡高校を春夏7回の甲子園に導き、4勝8敗、最高ベスト8の戦績を収めています。

2011 1回戦敗退 ●習志野6-1
2014 1回戦敗退 ●星稜5-4
2015 8強 〇7-1立命館宇治 〇4-2木更津総合 ●岡山東商3-0
2015 1回戦敗退 ●東海大甲府8-7
2017 2回戦敗退 〇12-3不来方 ●大阪桐蔭11-8
2018 3回戦敗退 〇7-0駒大苫小牧 ●東海大相模8-1
2019 1回戦敗退 ●津田学園3-1

延べ21回のチャンスで甲子園出場に7回成功、成功率33.3パーセントですよ。打率だって3割3分3厘を打てば、じゅうぶん強打者ですよね。

それをチーム監督として、野球強国・静岡県で成し遂げちゃうんですから、凄(すご)いです。

しかも、公立の県立校。それも県下トップの進学校で、ですよ。

ある調査では、公立の進学校で、甲子園出場ランキングは、静岡高校が42回で1位です。

2位は36回の桐蔭(和歌山県)ですが、旧制和歌山中時代の出場が大半で、桐蔭高校になってからは6回しかないんですよ。

その点、静岡高校は戦前15回、戦後27回の出場で、掛け値なしに凄いです。

栗林俊輔監督は、隠れた名将ではないでしょうか。

静岡高校の強さの秘密は

そんな静岡高校の強さと栗林俊輔監督の指導法の“秘密”を、静岡高校野球部OBの方から伺ってきました。

その方の話では、静岡市葵区(あおいく)長谷町(はせちょう)にある県立静岡高校は創立141年、野球部は創立123年の超伝統校です。

県立校であるがゆえに、グラウンドは狭く、サッカー部と共有です。とはいえ、サッカー部も強豪で(1950年全国高校サッカー選手権出場)、グラウンドの独占は不可能です。

しかし、グラウンドは校内にあるので移動に時間がかからず、昼休みでも練習できたりします。

文武両道で、スポーツが盛んな静岡高校ですが、野球は「校技」と位置づけられて、格別の扱いを受けています。

具体的には、野球部員は勉強“免除”で、授業中の昼寝OK、早弁OKです(笑)。授業中に睡眠を取って体力を回復、午前の休み時間に弁当を食って、昼休みの昼練に備えます。

放課後は、掃除免除なので、一目散に教室を飛び出し、部室まで走ります。部室では、下級生ほど早く、競争で着替えて、グラウンドに飛び出します。

2019年度の野球部員は41人、主将は小岩和音(こいわ・あのん)捕手でした。

小岩和音主将といえば、10人きょうだいの大家族の長男で、テレビで話題になりましたよね。可愛い弟さんや妹さんの応援する眼前で、意地のタイムリーを打ちました。

親しみやすい小岩和音選手の素顔とは裏腹に、静岡高校野球部にとって普段はキャプテンは権威のある存在で、1年生はとても話しかけられる雰囲気じゃないです。

練習メニューは、もっぱら、直井勇人(なおい・ゆうと)野球部長(33歳)=掛川西、日大卒=と栗林俊輔監督が話し合って決めますが、時にはキャプテンの意見が反映されたりもします。

練習は、ごく普通の野球部と同じです。全体練習は基礎、キャッチボール、守備(投球)練習、打撃練習、ストレッチで上がりです。

後は個人練習で筋トレ、素振り、シャドーです。寮や合宿所はなく、大半の自宅外通学の野球部員専用の集団下宿先(名称は寄宿舎)があるだけなので、大会前や秋季を除いて、あまり遅くまで練習に打ち込めないんです。

代わりに寄宿舎で朝晩、栄養も量も満点の食事を摂(と)って、食トレをしています。

栗林俊輔監督のモットーは「凡事徹底」。特別なマル秘特訓はありませんが、ロングティー打、ポジション別課題練習、トレーニングと、基本を徹底して反復します。

おっかなくはないけれど、超マジメで愚直、絶対に手抜きをしない厳しさがあります。いかにも、A型ですよね。

しかし、不思議なことが1つ。栗林俊輔監督みたいな、野球指導者って多くないですか? てか、大抵の公立校の指導者は、栗林俊輔監督みたいですよね。それだけで、強くなるのかしら。

実は、もう1つ、大きい秘密があるんです。

裁量枠で野球特待生9人、県内で1強状態

大きい秘密とは――裁量枠です。

静岡県では公立高校に2008年度から、入学者選抜に学校裁量枠が当てられ、各校が裁量枠で生徒を入学させ、特色を出しています。静岡県独自の制度です。

静岡高校の場合、裁量枠を“校技”野球の強化に特化しています。

「本校は、伝統を誇り地域からも活躍が期待される野球部の活動を、学校の活性化と生徒の愛校心の醸成に生かすため、野球(男)において選抜段階Ⅰを設定する。
入学した生徒には、部活動の競技成績の向上に資するとともに、校訓「〓高(こうこう、〓は仰の字のつくり、高きを仰ぐ)」を極めつつ、生活面での模範となることを期待する」

定員320人の3パーセント(9.6人)程度を裁量枠で選抜、例年約10人が入ってきます。

「調査書の学習の記録における9教科の評定合計が一定水準に達しており、調査書の諸項目の記載事項及び面接の結果に問題のない者を対象に、調査書の諸活動の記録及び実技検査の結果に優れた者を合格者とする。ただし、学力検査の結果に著しく問題のある者を除く」

1学年で、野球特待生が10人って結構、凄いですよね。あの早実や慶応高校でさえも、いまや野球特待生はいないのに毎年、1チームを作れる人数を野球で選抜できるんですから。

他方、一般生からの野球部入部は例年約3人。静岡高校の野球部員は、大半が野球特待生です。

また、伝統校は大抵、OBが監督や野球部長を務めるものですが、静岡高校は監督が磐田南、野球部長が掛川西の出身です。

これは、名門・静岡高校の野球部を強くするというより、強豪野球部を静岡高校に設置する県営事業なのかなとも思います。

実際、静岡高校野球部OB(その方は野球特待生ではないのですが)、野球特待生と一般生徒とは完全に別コースで、野球部員以外の一般生徒とは、クラスでしか交流がありません。

それでも、例年10人前後の野球特待生は、1学年8クラスにバラバラに割り振られます。やはり、野球特待生の学力は一般生に比べて落ちるのですが、必死に授業についてゆこうと、努力はしているそうです。

まあ、やはり、一種の公立“野球学校”ですよね。

2010 ――
常葉橘 1回戦敗退
2011 静清 2回戦敗退
静岡 1回戦敗退
2012 ――
常葉橘 1回戦敗退
2013 常葉菊川 3回戦敗退
常葉菊川 3回戦敗退
2014 ――
静岡 1回戦敗退
2015 静岡 ベスト8
静岡 1回戦敗退
2016 ――
藤枝明誠 1回戦敗退
2017 静岡 2回戦敗退
藤枝明誠 1回戦敗退
2018 静岡 3回戦敗退
常葉菊川 3回戦敗退
2019 ――
静岡 1回戦敗退

ご覧の通り、過去10年間で春夏15回の出場は、静岡7、(私)常葉菊川3、(私)常葉橘2、(私)藤枝明誠2、(私)静清1となっています。

過去10年間の甲子園出場の15校中、公立校が過半7を制しており、県営高校野球事業としては一種の成功を納めています。

しかし、静岡高校以外の公立校は、甲子園に出場できなかったわけで、公立校で野球を続けたい有力中学生を静岡高校が独占しているとも言えます。

裁量枠での野球部優遇は、公立の名門校、春夏甲子園出場4回の清水東(偏差値66~70)、夏1回の沼津東(偏差値67~70)、春夏2回の富士(偏差値68~70)、磐田南(偏差値66~69)にもありますが(春2回の浜松北、春夏2回〈春は全国優勝〉の韮山はなし)、野球に特化しているのは、春夏42回〈夏の全国優勝1〉の静岡高校(偏差値71)だけです。

公立校で裁量枠で入学して野球をやるにしても、最も伝統と実績があって、県庁所在地にある静岡高校に入るに決まっています。

結果的に、静岡高校が寡占し、1強状態になっているのは問題です。

また、春夏15回出場、春優勝1回、多くのプロ野球選手が輩出した名門、県立静岡商を“殺し”た形になっています。春夏12回の県立島田商も同様です。

小田義人・元ヤクルトスカウト部長が陰の功労者

しかし、裁量枠による野球特待制度があっても、それだけでは強くなりません。もう1つ、秘密がありました。

それを明かす前に、現在の静岡高校の姿を振り返ってみます。

2019年度、静岡高校の生徒数(全日制)は972人(男510人、女462人)です。男女がほぼ同数です。これは高校野球にとって不利ですよね。

それと、野球をしている有望中学生は、こちらからスカウトしないと、来てくれないものです。黙っていたら、私立の強豪にさらわれてしまいます。

そこで、面積の広い静岡県(47都道府県中、全国13位)に野球の情報網をガッチリ敷いて、スカウト網を作った人物がいます。

静岡高校OBで、早大から大昭和製紙でプレーし、1972年ドラフト2位でヤクルトに入団した小田義人(おだ・よしと)さん(1947~2018、享年71)です。

小田義人さんは、中心打者の一塁手としてヤクルト、日本ハム、南海(現・ソフトバンク)、近鉄(現・楽天)でプレーし、通算11年で610安打、274打点、67本塁打を記録しました。

プロ3年目の1975年、日本ハムに所属していた小田義人さんは僅差(きんさ)で首位打者を逃しています。

この時の首位打者は太平洋クラブ(現・西武)の白仁天・元外野手(75歳)。379打数121安打で.3193、小田義人さんは411打数131安打で.3187。

小田義人さんが、もう1本ヒットを打つか(.321)、あと1打席少なかったら(.3195)、首位打者を獲得していました。

一方、白仁天・元外野手はシーズン規定打席(403)キッチリに達した102試合を最後に、残り28試合を欠場しました。

2シーズン制の当時、前期2位で後期4位、プレーオフ出場の目のなくなった太平洋クラブのチーム事情も、それを後押ししました。小田義人さんにとっては、何とも悔しい結果だったでしょうね。

1983年に現役を引退した小田義人さんは、近鉄のスカウトに転じ、静岡高校の後輩で投手だった赤堀元之(あかほり・っもとゆき)さん(49歳)をドラフト4位で近鉄に入団させています。

ヤクルトの二軍コーチを経てスカウトになり、早大の後輩である青木宣親外野手(37歳)や武内晋一選手(35歳)の入団に尽力。後にスカウト部長を務めました。

ヤクルトを退任後の2017年2月、学生野球の資格回復。学生野球選手への指導が可能となり、母校・静岡高校の校外コーチになりました。

校外コーチと言っても、自らノックバットを振るうわけではなく、仕事はヤクルト時代に培った“スカウト”。

静岡県内に張り巡らせた情報網で、有望中学生を見いだしては声を掛け、静岡高校に進学させました。

しかし、2018年6月5日、肺がんのため死去、享年71でした。

訃報に、元ヤクルト監督の野村克也さん(84歳)は、談話を出しています。

「あまりにも若い。チームの心臓部は編成というのが私の持論。その意味で、スカウトとして(野村)ヤクルトの黄金時代(1990~97、8年間で日本一3回、リーグ優勝4回、Aクラス5回)に貢献してくれたと思う」

1990年代のヤクルト黄金時代を演出した小田義人さんは晩年、最後の夢として静岡高校の黄金時代を築こうとしたのでしょうね。

実際、2017、2018、2019と3年連続で甲子園出場を果たした静岡高校は、小田義人さんの思い描いた黄金時代を迎えようとしているのかもしれません。

栗林俊輔監督の家族は、妻と一女一男

栗林俊輔監督は、夫人との間に長女、長男が生まれています。

夫人やお子さんたちの詳細な情報は明らかになっていませんが、常識的に考えて、46歳の栗林俊輔監督のお子さんは中高生の世代ですよね。

息子さんは、お父さんと同じく野球をやっていないか調べたのですが、それらしき名は見当たりませんでした。

野球の厳しさを人一倍知っている栗林俊輔監督ならでは、生半可な覚悟では野球を続けられないと戒めているのかもしれませんね。

あるいは、息子さんにすれば、偉大な父とは敢えて別の土俵に上がったのかもしれません。

いずれにせよ、詳しい情報が分かったら、アップしてゆきたいと思います。

2019年3月の国公立大入試シーズン。

静岡高校野球部OBの奥田隆成(おくだ・たかしげ)外野手(19歳)が、一浪して、東大文科二類(経済学部)に合格しました。

奥田隆成外野手は2016年秋季東海大会の優勝メンバーです。

165センチと小柄ながら、奥田隆成外野手は。力強い打撃が持ち味です。

高校入学時は、小柄な体格に、

「3年間、ベンチに入れないかもしれない」

しかし、努力の結果、2年秋の地区大会でベンチ入り。2016年の秋季県大会、東海大会、明治神宮大会でも背番号を付けました。

2017年、春のセンバツを前に、腰を痛めてメンバーから外れました。

憧れの甲子園出場はかなわなかったものの“頭脳班”のリーダーとして、献身的にチームを助け、3年夏まで野球をやり遂げました。

1年間の浪人生活を経て吉報に、奥田隆成外野手は、母校を訪れて栗林俊輔監督に合格を報告しました。

栗林俊輔監督は、奥田隆成外野手の努力を称え、激励。

「最後の夏に背番号をもらえなくても、大学で野球を続けてくれるのが嬉しい。濃密な3年間の経験を生かし、神宮で活躍してほしい」

東大野球部の浜田一志(はまだ・かずし)監督(54歳)には、すでに入部の意思を伝えています。

「レベルの高い六大学リーグで、野球を続けた。打撃で貢献したい」

目下、奥田隆成外野手は、神宮でのプレーを夢見て、練習に汗を流しています。

栗林俊輔監督は2019年、教え子を東大に送り込み、指揮するチームを甲子園に連れて行った稀有(けう)の監督となりました。

これまた凄い功績です。日本で過去に例がないのではと思います。

松本蓮が次期エースに

8月7日の夏の甲子園初戦。

津田学園(三重)に3点先行され、8回裏に小岩和音主将のタイムリーで1点を返すにとどまった静岡高校。

結果は、悔しい力負けですが、内容を見ると、2020年に希望が持てます。

先発・松下静(まつした・しずか)投手(3年)に代わり、4回からリリーフ登板した左腕の松本蓮(まつもと・れん)投手(2年)。

6回を投げて被安打5、無失点とキッチリ抑えました。奪三振5、与四死球1。

奪三振÷与四死球のK/BBは、投手の制球力を測る数値としてメジャーリーグで重視されています。松本蓮投手のK/BBは、ちょうど5.00です。

一般に、K/BBが5を超えると優秀な投手と言われています。

2018年のパ・リーグに当てはめると、塩見貴洋(楽)6.63、有原航平(日)5.80、岸孝之(楽)5.48に続き4位に相当します。

セ・リーグでは、桑原謙太朗(神)5.42、菅野智之(巨)5.41に続き、
3位です。

実際、テレビで見ていて、松本蓮投手が相当にいい投手、もしかしたら先発の松本静投手以上かもしれないと思っていました。

3回までに3点を挙げた津田学園を4回以降“完封”したんですから。179センチの身体から、キレのいい球を右打者の内角にズバッと放り込んできます。

球速よりは、コンビネーションで抑える投手で、かつての桑田真澄さん(51歳)を思わせます。

静岡大会の決勝、駿河総合戦では、先発・松下静投手の後を継いで、3回から7回まで5イニングを被安打1、奪三振5、無失点とほぼパーフェクトに抑えています。

7回裏逆転チャンスに代打を送られ(逆転に成功)、降板しましたが実質、松本蓮投手のほうがエースの雰囲気を漂わせていました。

2020年、静岡高校は、松本蓮投手が背番号「1」を背負って、試合に臨むことでしょう。
栗林俊輔監督の采配に、今度も注目です。

頑張れ、静岡高校、頑張れ、栗林俊輔監督。

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