佐賀北の久保貴大の嫁や子供は?監督として再び甲子園で「がばい旋風」起こせるか












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感動のVから12年、佐賀北が甲子園に帰ってきた。指揮を執る、かつてのエース久保貴大監督(30歳)の嫁や子供、再び旋風を起こせるか、リサーチしました。

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地味にスゴイ!初回無死三塁からのスクイズ

氏名:久保貴大(くぼ・たかひろ)
聖値月日:1989年6月13日(30歳)
出身地:佐賀県
家族:妻、長女(0カ月)
学歴:武雄市立山内(やまうち)中学校卒業、県立佐賀北高等学校(偏差値51~61)卒業、筑波大学体育専門学群(偏差値67)卒業、佐賀大院
球歴:社会人野球〈ジェイプロジェクト〉(名古屋市)
守備位置:投手
投打:右投げ右打ち
身長:178センチ
体重:89キロ

7月25日、佐賀市のみどりの森県営球場。第101回全国高校野球選手権佐賀大会の決勝が行われていました。

佐賀北は1回表、先頭打者・中村一翔左翼手(1年)が、いきなり三塁打を放ちました。
指揮を執る2年目の指揮官、久保貴大監督(30歳)は、迷わずスクイズのサインを送りました。

2番・久保公佑二塁手(2年)が2球目をガッチリ決めて、手堅く先制点です。

2回表は、ヒットで出塁した7番・宮口紘輔一塁手(3年)を、8番・川崎大輝投手(3年)が犠打で走塁。

9番・宮崎翔大三塁手(3年)は強振、打球は三塁線を破るタイムリー二塁打となり、2点目。

2回裏に鳥栖に1点を返され、2-1となった4回表。

2死から8番・川崎大輝投手が左翼線への二塁打で出塁。

9番・宮崎翔大三塁手は二塁ゴロを打つも、内野安打となりセーフ。さらに、一塁への悪送球の間に、川崎大輝投手がホームを突いて、1点を奪いました。

3-1で迎えた7回表には、1死二、三塁から、4番で主将の小野颯真捕手は詰まった遊ゴロ。だが、本塁送球は間に合わず、貴重な4点目となりました。

まるで“昭和の高校野球”を見ているような手堅い、手堅い野球。ヒットなしで得点。相手のエラーを誘う全力の内野ゴロ。ゲームを見ていて何だか、タイムスリップした感じでした(笑)。

しかし、佐賀北は泥臭く4点を守り切り、5年ぶり5回目の甲子園を決めました。

歓喜するナインを見つめていたのは、12年前の「がばい旋風」で甲子園初優勝を遂げた久保貴大監督です。

高校生の頃から老成した感じで地味な風貌の久保貴大監督でしたが、目指す野球もやっぱり地味にスゴイ! 失礼、手堅い野球なんですね。

采配ズバリ!久保貴大の代打策的中

佐賀大会の5試合で、佐賀北の犠打は「27」。伝統の手堅い野球をしっかり踏襲しています。

日本一になったチームを率いた恩師で前監督の百崎敏克・野球部副部長(63歳)は話します。

「選手をしっかり掌握し、それぞれの特徴を把握していた。『あそこで何で』という采配(さいはい)がこの大会、全くなかった」

久保貴大監督は、就任2年目での優勝です。

あの「がばい旋風」で全国優勝を遂げた2007年夏の甲子園。

佐賀北高校を卒業したエース久保貴大投手は、プロを見向くでもなく、まっすぐ筑波大体育専門学群に進学しました。

この段階で、一般人からすれば、かなり地味ですよね。プロ野球は無理でも、せめて華やかな東京六大学野球や東都大学野球リーグに進めばいいのに。

でも、久保貴大監督は渋く筑波大学を選び、首都大学野球でプレーしました。その甲斐(かい)あってか、3年時からはエースに。

しかし、大学卒業後はプロから声は掛からず、名古屋の社会人野球チーム、ジェイプロジェクトでプレーしました。ジェイプロジェクトは、元近鉄の盗塁王、大石大二郎さん(60歳)が監督を務められていますね。

社会人野球を引退した後は、郷里に戻って佐賀大の大学院に籍を置き、教員採用試験を目指しました。

2016年に母校・佐賀北高校に着任して野球部副部長。

2017年秋、2017-18シーズンから、恩師で優勝監督だった百崎敏克監督が退いて野球部副部長となり、入れ替わる形で久保貴大さんは監督に就任しました。

だから、2018-19シーズンは、久保貴大監督にとって就任2シーズン目、すなわち2年目なんです。

順風満帆に見える経歴ですが、2018年夏は初戦で敗退しています。

1回戦の有田工戦、6回を終えて1-1で競った展開でしたが、7回表に重い4失点。

9回裏に2点を返すも、反撃はここまで。結局、5-3で振り切られました。

その後、新チームに変わっても、秋季県大会は3回戦で鹿島に3-1と完敗。

さすがに、選手たちの間で不満が出始めました。

「百崎さんに、監督に戻ってほしい」

さすがに甲子園優勝投手の神通力も、今の子たちには、通じませんでした。

それでも腐ることなく、久保貴大監督は日誌を通じて部員たちと意見交換をしたり、県外の強豪に出向いて指導法の教えを請い続けてきました。

明けて2019年、春になってチームがまとまり始め、キャプテンの小野颯真捕手は、声を上げました。

「みんな、人のせいにはせず、日本一になった監督に付いてゆこう」

チームに一体感が生まれて、甲子園出場を決めるチームにまでなりました。

試合後、報道陣の質問には目を潤ませて、数十秒、言葉を詰まらせました。

「(勝たせることができて)よかったです。選手のときの経験が生きるかは分からないですが、監督として行けるので、本当に幸せです。子どもたちに感謝したい。自分のできることを、精いっぱいやりたい」

百崎敏克・副部長は、

「寡黙で真面目。器用ではない。表には出さないが、悩みはいっぱいあったと思う。きついことも、自分で乗り越えていくしかない。大会の中で生徒が成長し、監督も成長しているように見えた」

県予選中に長女出生、忘れられない夏に

佐賀北にとって、激戦続きだった佐賀大会。

初戦の2回戦、鹿島戦。佐賀北は、4回を終えて3-0でリードされる重~い展開。

しかし、5回表、佐賀北は9番・諸富公太朗三塁手に代えて、代打・宮崎翔大内野手(3年)。

代打策が功を奏して、宮崎翔大内野手は2点タイムリー。この一振りがチームを勢い付かせて、4-3で振り切ったのでした。

準々決勝の伊万里農林戦。5回まで0-0の息詰まる投手戦。

6回、ゲームが動きました。伊万里の7番・吉田投手が自らのバットで叩きだしたタイムリーで先制点。

7回表、1-0で迎えたシビれる場面。同点の好機に、久保貴大監督は、またも代打策。
2番・久保公佑二塁手(2年)に代えて、代打・碇僚太朗選手(2年)。碇僚太朗選手は、監督の起用に応えて、またも2点タイムリー打。

怖いほどあたった久保貴大監督の代打起用。まさに采配で勝ったと言える試合でした。

結果的に、この勝利が、佐賀北の甲子園出場を呼び寄せたと言ってもいいでしょう。

実は、連日の激戦のさなか、久保貴大監督には、長女が誕生して父になっていました。

夫人の情報はまだ明らかになっていませんが、分かり次第アップしますね。年齢的に見て、おそらく新婚なんじゃないかなという気がします。

久保貴大監督にとって、12年前に負けない、熱い夏の始まりです。

「自分たちの野球ができるようにしたい」

そんな佐賀北の初戦は8月6日、13:00からの第2試合、鹿児島県代表の神村学園です。

頑張れ、佐賀北。頑張れ、久保貴大監督。

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