誉(ほまれ)高校の矢幡真也の嫁や家族は?経歴や監督就任のきっかけや指導法も!












スポンサードリンク




夏の甲子園愛知大会で、ノーシードの誉(ほまれ)高校が、初出場を決めました。誉の矢幡真也監督(46歳)の嫁や家族、指導法などをリサーチしました。

スポンサードリンク

先発全員安打で快勝、決めた初の甲子園

氏名:矢幡真也(やわた・しんや、旧姓寺沢)
生年:1972年(46歳)
出身地:愛知県犬山市
学歴:私立美濃加茂高等学校(偏差値43~65)卒業、私立朝日大学(偏差値35~40)卒業
球歴:1990年夏の甲子園出場

7月29日、愛知県岡崎市の岡崎市民球場。夏の甲子園こと全国高校野球選手権愛知大会の決勝が行われました。

シード校・私立桜丘(さくらがおか、愛知県豊橋市)に、ノーシードから勝ち上がった私立誉(愛知県小牧市)が、どちらも初出場を懸けて挑みます。

1回、先攻の誉は先頭打者の内田力斗三塁手(3年)の中前安打などで2死一、三塁の好機を作ると、5番・林山侑樹捕手(同)が左越えに適時二塁打を放って先制しました。

4回、2四球などで得た1死満塁で、2番・手塚陸斗二塁手(2年)が「技あり」の適時打で2点。

5回には、死球と失策が絡んだ1死二、三塁の好機に、8番・杉本恭一投手が2点適時打。

5回までに5-0と押しまくると、誉は八回、1死二塁から3番・沢野聖悠遊撃手(3年)、4番・吉田卓矢一塁手(3年)、5番・林山捕手の3連続長短打などで3点を奪い、勝負を決めました。

投げては、先発の左腕・杉本恭一投手(3年)、右腕・山口伶生投手(同)の継投で桜丘打線を6安打に抑えました。

桜丘は6回、9番・藤野翔多三塁手(2年)、1番・藤代実成中堅手(3年)の連続安打と四球で無死満塁の好機、併殺打の間に1点を返すにとどまりました。

終わってみれば、誉は先発全員12安打で8得点、左右両投手の継投で桜丘を6安打、1失点に抑えました。

9回裏2死一、三塁で、最後の打者、8番・吉見二塁手が打ち上げた中飛をガッチリ松田中堅手が取ると、バッテリーは抱き合い、ナインの歓喜の輪ができました。

栄光の瞬間、矢幡真也監督は感無量で見つめていました。

「信じられない。野球の神様っているんだなと。勝ち上がっていくごとに付けた力は本物だった」

学校出入りが縁で、矢幡真也監督が誕生

誉の地道な「甲子園10年計画」が実を結びました。

2007年、野球部強化を目的に、矢幡真也監督が就任。

矢幡真也監督は、1972年生まれ、愛知県犬山市出身。旧姓は寺沢。

岐阜県美濃加茂市の私立美濃加茂高校3年だった1990年、背番号「1」を背負うエースとして、夏の甲子園に出場しました。

しかし1回戦の宇部商(山口県)戦で、3-2と惜敗しました。

岐阜県瑞浪市の朝日大学に進学、東海地区大学野球連盟の岐阜県リーグでプレー。大学3年次に全日本大学野球選手権に出場して、1回戦で敗退しています。

卒業後、社会人野球の阿部企業に入社しました。

阿部企業とは、かつて神戸市にあった警備業、不動産業、建設業の会社です。明徳義塾の馬淵史郎監督(63歳)が所属し、コーチや監督を務めていたチームですね。

馬淵史郎監督も回顧していますが、阿部企業は、相当に厳しい練習環境でした。決まった練習場を持たず、警備に従事する野球部員は徹夜明けで、午前9時から正午までの練習をこなしたりしていました。

阿部企業で約3年間、社会人野球でプレーした後、引退。

引退後は、犬山市に帰郷し、ハローワークに通った経験もあります。幸い、工場に採用され、働いているときに、夫人と知り合い結婚。

入り婿で入った夫人の実家が、犬山市内の電器店。跡取りとして、家電製品販売を営む傍ら、愛知県立犬山南高の外部コーチを務めました。

犬山市のお隣の小牧市にある誉(当時は尾関学園)は、取引先の1件でした。エアコンを納入したり、教室の蛍光灯を交換したりと出入りするうちに、当時の事務局長と親しくなりました。

事務局長は2004年頃、犬山南野球部でコーチとして指導する様子を見て、矢幡真也さんに思い切って頼み込みました。

「ウチで野球を教えてくれませんか」

2007年、矢幡真也さんは不安を抱えながらも、監督を引き受けました。

「自分は勝負にこだわらず、楽しくやりたいほう。俺なんかに、監督ができるのか」

就任当時、部員は7人。試合でスライディングした相手チームに内野手が暴言を吐くなど、やんちゃな選手が多かった。まさに、リアルROOKIESです。

周囲からは「猛獣使い」と同情されました。

部員集めで中学生の野球チームをまわっても「アンタんとこに、行きたがる子はおらんて」と相手にされません。

ぎりぎりの部員数で出場した秋季大会の地区予選を、選手の負傷で途中辞退したこともあった。

「何くそ」

負け続けるうちに、持ち前の負けん気に火がつきました。

県外から有力選手をスカウトするのではなく、地道に県内のクラブチームなどを回って、選手の情報を収集。チーム力の底上げを図ってきました。

強豪校出身のコーチらの紹介で人脈を広げ、部員が少しずつ増えてゆきました。

それに伴い、チームは地区予選を突破、県大会で1勝を挙げるなど結果が出始めます。

2012年夏の愛知大会。初めての8強入り。

2014年秋、初めて秋季県大会で優勝を飾りました。監督就任から7年、ついに愛知県で一番になったんです。

「この喜びのためなら、苦労を顧みずにやる価値がある」

2015年夏、再び8強。それでも甲子園は遠かった。

2018年春、春季県大会で優勝。この時から再び、甲子園の鼓動が聞こえ始めていました。

誉がリアルROOKIESなら、矢幡真也監督はリアル川藤でしょうか。川藤語録を地でゆく行き方です。

「夢にときめけ、明日にきらめけ」
「志の大きさは、その人間の大きさだ。夢を持った人間をバカにするな」
「自分たちが信じないことには、何もできないぞ。まず自分たちが信じて、それに向かって一生懸命、やっていこう」

選手育成に定評があり、元ソフトバンクの伊藤大智郎(いとう・だいちろう)投手(26歳)らを輩出。教え子からは、毎年のように、好素材の選手が現れます。

メジャー流測定機器、自作の豚汁

どんなことに貪欲にチャレンジするのが、矢幡真也監督流です。

メジャーリーガーも愛用する、ベンチプレスを上げる際のスピードを測る最新機器を導入。瞬発的なウエートトレーニングを、取り入れてきました。

「筋肉が落ちれば、パフォーマンスも落ちる」

矢幡真也監督は普段から、監督の枠を超えて、選手のサポート役に徹しています。

取得した「スポーツフードスペシャリスト」の資格を生かし、半年ほど前から毎日、朝練する選手たちのために豚汁を作り続けてきました。

練習で筋肉を鍛えた直後に、動物性たんぱく質を補給するためです。マネジャーや部員任せにせず、自ら調理してきました。

「選手の体重が落とすことがないように」

決勝の当日も、午前4時起きで“勝負飯”を準備し、選手たちはペロリと平らげました。
験(げん)担ぎもしました。

愛知大会前に、降臨してきた「気合」の文字から「気」を、初戦から、ベンチのホワイトボードに書かせました。

3回戦からは「デザインが得意なので」と菊野(3年)を担当に指名。

菊野塁椰選手は、決勝まで毎試合ごとにペンを持ちました。ホワイトボードがない球場には、自らボードを持ち込みました。

「気持ちを込めて、しっかりチーム一丸となって戦うという気持ちです」

優勝候補の愛工大名電を破った4回戦から、改めて効果を実感するようになりました。

菊野塁椰選手に試合後、声を掛けました。

「甲子園でも書こうな」

大物食いを続け、快進撃

1回戦 8-0 豊橋工
2回戦 4-3 愛知
3回戦 4-2 向陽
4回戦 4-2 愛工大名電
5回戦 9-4 愛産大工
準々決勝 7-4 星城
準決勝 5-4 中京大中京
決勝 8-1 桜丘

全国最多の188チームが参加する愛知大会で、大物食いを続けてきました。

激戦区Hブロックに入った誉は「私学4強」の愛工大名電や愛知産大工などに勝利してブロックを突破。

準々決勝では「私学4強」でセンバツ王者の東邦を破った星城、準決勝では「私学4強」の中京大中京に勝利して決勝に臨みました。

2018年の春季県大会では、強豪を退けて優勝を果たしました。

しかし、2018年の秋季県大会、2019年の春季県大会では、左の杉本恭一投手や手塚陸斗二塁手ら主力メンバーをケガで欠きました。本来の力を出し切れず、悔しい結果となっていました。

それでも、2018年春季県大会の優勝メンバー4人が残るチームに、故障者の杉本恭一投手らが戻り、夏の快進撃につながりました。

「8回戦っていく中で、選手たちの成長を見ることができました。監督冥利に尽きます」

今大会最大のターニングポイントとなった2回戦の愛知戦。

3-2と1点ビハインドで迎えた9回に、2点を取って逆転勝ち。これで勢いに乗れました。

「杉本と山口怜生(両投手)が、星城などの強豪校相手によく勝ってくれました。2人を引っ張った林山侑樹(捕手)もよくやりました」

バッテリーを中心に勝ち上がった誉。初の甲子園に向けて、矢幡真也監督は意気込みます。

「愛知大会を勝てたのは、誉の野球をやってきたからです。なので、特に変えることなく甲子園でも戦いたい」

休みなし報酬なし、矢幡真也監督の嫁や家族は?

そんな矢幡真也監督ですが、現段階で、嫁や家族の存在は明らかになっていません。

しかし、高校時代から姓が変わっているので、結婚されたことは確かだと思われます。

ご承知の通り、高校野球の監督は、土日祝日は大会や練習試合などで、まず潰(つぶ)れます。家族サービスなど望むべくもありません。

しかも、ご存じじゃない方も多いのですが、高校野球の監督は無給です。教員や職員としての給料はあっても、監督としての報酬はないのです。

当然です。監督としての報酬をもらったら、それは「プロ」になっちゃいます(笑)。

休みを潰して、報酬もなくて、無休で無休の高校野球監督。

大抵の監督さんは、ご家族の犠牲の上に成り立っていますから、むしろ独身のほうがナチュラルなぐらいです。

矢幡真也監督も“野球ひと筋”を貫いているのかもしれませんね。

新しい事実が判明次第、アップロードしてゆきたいと思います。

秋田中央の佐藤幸彦監督の嫁や子どもは?出身校の学歴や経歴に指導法も気になる!

スポンサードリンク

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください