高島忠夫の死んだ自宅の場所は?葬儀告別式なし!妻の寿美花代に看取られた最期












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俳優・高島忠夫さんが、老衰のため、6月26日に自宅で死去した。88歳。高島忠夫さんの亡くなり方や波瀾万丈の人生をリサーチしました。

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老衰のため、自宅で死去

芸名:高島忠夫(たかしま・ただお)
本名:高嶋忠夫
生年月日:1930年7月27日せず」
没年月日:2019年6月26日(享年88)
出身地:兵庫県御影町(みかげちょう、現・神戸市東灘区御影町)
家族:妻・寿美花代(本名・節子)さん(87歳)、次男・政宏(まさひろ)さん(53歳)、次男の嫁シルビア・グラブさん(44歳)、三男・政伸(まさのぶ)さん(52歳)、三男の嫁(一般人、39歳)、孫・三男の長男(1つ)
学歴:旧制・兵庫県立第一神戸中学校(現・神戸高校)中退、関西学院高等部(偏差値65)卒業、関西学院大学法学部中退
身長:181センチ
血液型:O型
活動期間:1951~2019年
所属事務所:東宝芸能(東京都千代田区)

俳優の高島忠夫さんが6月26日午後1時1分、老衰のため、自宅で死去しました。88歳。

所属事務所が6月28日にファクスで発表しました。通夜や葬儀・告別式はなく、遺族の希望により、27日に家族のみで密葬を執り行いました。

所属事務所によると、妻・寿美花代(すみ・はなよ)さん(87歳)の「最後は家族で見送りたい」という希望で、家族のみの密葬になりました。お別れ会などの予定はありません。

上野毛の自宅で高島忠夫を襲った悲劇

高島忠夫さんは1951年、新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生に選ばれ、芸能界入り。

1952年、映画『恋の応援団長』で映画デビューを果たしました。

さらに同じ1952年に映画『チョイト姐さん思い出柳』で初主演、以後、新東宝で主役クラスの歌うスターとして活躍しました。

妻で元宝塚の寿美花代さんとは1961年、寿美花代さんが司会を務めていたテレビ番組「季節のミュージカル」にゲスト出演したことで出会いました。2年間の交際を経て、1963年に結婚しました。

1964年8月24日、高島忠夫・寿美花代夫妻の長男・道夫くん(5カ月)を、住み込みの当時17歳の家政婦に風呂(ふろ)に投げ込まれて殺害される悲劇に見舞われました。

夫妻が他の使用人たちにはアメリカ土産を買ってくると約束したのに、自分は何も言われないので、一人だけ、のけ者にされたとひがんだことが犯行の動機でした。

1965年6月、東京地裁で、懲役3~5年の不定期刑の判決が下されました。犯人の家政婦は生きていれば72歳、常識的に見て存命の可能性が高いですよね。

現代の感覚からすれば、非常に軽い判決ですが、少年犯罪が現代ほど社会問題化していなかった当時、妥当な判決でした。

しかし、高島忠夫・寿美花代夫妻は、悲劇を乗り越え、1965年10月29日に現在は俳優として活躍する次男・政宏さん(53歳)、1966年10月27日には年子で三男・政伸さん(52歳)をもうけました。

しかし、寿美花代さんはトラウマのため、いまだに風呂に入れず、シャワーで済ませています。

病気続きだった後半生

波瀾万丈の半生を送った高島忠夫さんですが、後半生は闘病続きでした。

1970年代半ばには、糖尿病を発症。暴飲暴食により、身長181センチで、一時は体重が120キロ近くになりましたが、和食中心の食事にして3年後、体重を70キロ台に落としました。

ダイエットに成功した頃から、不眠症に悩まされ、睡眠薬などに頼って眠る日々を送っていました。

それでも、1980年代後半に次男・政宏さん、三男・政伸さんが、相次いで俳優デビュー。芸能一家として親しまれてきました。1993年からは、家族4人でファミリーコンサートを定期的に開催し続けました。

しかし、1996年3月、1971年の番組スタートから26年間、月曜から金曜まで、寿美花代と夫婦で司会を続けた料理番組「ごちそうさま」(日本テレビ系)が司会交代。

さらに、母親の入院などがきっかけで、1998年に重度のうつ病を発症しました。

うつ病の治療のため、高島忠夫さんはレギュラー番組の『ゴールデン洋画劇場』(フジテレビ系)、『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)など4本を降板して、治療に専念しました。

翌1999年、高島忠夫さんはテレビの仕事に復帰したものの、無理がたたって、うつ病が再発。再び、療養生活に入り、完全に復活したのは2007年春でした。

ほかにも、パーキンソン病や、2010年には不整脈のため心臓にペースメーカーを取り付ける手術を行うなど、病と闘い続けた後半生でした。

最高月収2000万円、生涯夫婦げんかせず

高島忠夫さんの次男・政宏さんは、こんなコメントを出しています。

「病院からの、あと5分後にご家族集まってください!のエマージェンシーコールが頻繁にあるようになったのが2年前。その度に全身が総毛立つような感じにはなりましたが、ここ数カ月、寝たきりの状態が多くなり、呼吸も弱まり、母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです。マスコミそして父のファンであった皆様、報告が遅くなりましたことお許しください。ありがとうございました」

三男・正伸さんのコメントです。

「父は、最後まで明るくよく通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだったフリオ(・イグレシアス)の歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました。このような穏やかな最期を迎えられましたのも、長きにわたり父、高島忠夫を応援して下さった皆様のおかげだと思います。心より感謝を申し上げます」

二人のコメントから、高島忠夫さんは、病院ではなく、自宅でなくなったことが分かります。

高島忠夫・寿美花代さんの自宅は、東京都世田谷区上野毛(かみのげ)にあって、近所では有名なお宅です。

長男・道夫さんの事件も、上野毛の自宅が犯行現場でした。

また、

しかも、臨終の瞬間には、大好きだったスペインの歌手フリオ・イグレシアス(75歳)の曲が流れる中、息を引き取ったと読み取れます。

政宏さんのコメントを見ると、高島忠夫さんは病院に入院していたみたいです。想像するに、もはや治療の施しようがなくなったので、最期を自宅で迎えるために退院したのでしょう。

政伸さん、政宏さんは共に臨終に立ち会えず、寿美花代さんが最期を看取りました。

フリオ・イグレシアスと高島忠夫・寿美花代夫妻は親交があり、フリオ・イグレシアスのワールドツアーにプライベートジェットで同行したこともあります。

また、フリオ・イグレシアスの広大な自宅に夫婦で遊びに行ったこともあります。

そんな友人の歌声を聞きながら、旅立ったとは、実に高島忠夫さんらしいおしゃれな最期だったと思います。

2017年のテレビ番組で、政伸さんは、高島忠夫さんは最盛期に週6本のレギュラー番組を持ち、月収2000万円だったと教えられたと明かしていました。

高島忠夫さんが「クイズ・ドレミファドン!」(フジテレビ系)、「ごちそうさま」「ゴールデン洋画劇場」を同時に抱えていた1988年当時の2000万円を、消費者物価指数から2019年の貨幣価値に換算すると約2511万円になります。

12カ月分の年収に換算すると、現在の約3億円になります。高島忠夫さんは、1年間でサラリーマンの生涯賃金を稼いできたことになりますね。

また、政伸さんが子供時代に野球を始めた時には、後楽園球場(現・東京ドーム)の技術者を自宅に呼び、約200万円かけて庭に野球のマウンドを作りました。相当な子煩悩だったんですね。

家でも、仕事で着たトレードマークのタキシードをそのまま着用し、政伸さんらの友達が家に来た時もタキシードで迎えていました。

「クイズ・ドレミファドン!」での決めセリフ「イェーイ!」で代表されるように、明るくてファミリーマンだった高島忠夫さん。その生涯で一度も夫婦げんかをしたことがなく、また不倫騒動などもなかった「良きパパ」でした。

高島忠夫さんのご冥福をお祈りいたします。

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