SNOB(スノッブ)ゆかがジャマイカで急死した死因!夫や家族に学歴と告別式はいつ?












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お笑いコンビ、SNOB(スノップ)ゆかさんが6月14日、滞在先のジャマイカで亡くなりました。享年54。夫や家族、学歴や経歴、告別式など緊急リサーチです。

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循環器疾患で急死、告別式は大阪で

お笑いコンビ〈SNOB〉のSNOBゆか(本名・橋本由可)さんが6月14日、滞在先のジャマイカで、循環器疾患のため、亡くなっていたと、6月26日に分かりました。54歳でした。所属する吉本興業が発表しました。

吉本興業の発表によると〈SNOB〉は漫才のほかに、DJコンビとしての活動もしており、毎年、本場ジャマイカで、DJ修業を行っていました。

今年も6月4日(火)から、7月5日(金)までの予定で、ジャマイカに滞在していましたが、現地で体調を崩し、そのまま帰らぬ人となりました。

通夜・告別式は、大阪市内で執り行われますが、具体的な日にちや場所は非公表です。なので、何か情報が入り次第、アップしてゆきたいと思います。

SNOBゆかの経歴や夫、家族は?

SNOBゆかさんは1964年8月3日生まれ、大阪市出身。1987年に吉本新喜劇に入団し、1991年8月に、SNOBツネとコンビ〈SNOB〉を結成しました。

ジャマイカ発祥の音楽であるレゲエの番組をプロデュースするほか、本場ジャマイカでDJJプレー修業をしたりや、現地の音楽番組に出演したり、数多くのレゲエ音楽のMVにもダンサーとして出演するなど、グローバルに活躍していました。

近年は、お笑いよりも、レゲエDJとしての活動を中心にしていました。

SNOBゆかさんが結婚しているかどうかは、公表されておらず、確認できませんでした。なので、家族の情報も未確認です。分かり次第、アップしてゆきたいと思います。

学歴も不明ですが、SNOBゆかさんは1987年、23歳になる年に吉本新喜劇に入っています。
高卒で芸人を目指す場合、とりわけ女性はまっすぐに芸能事務所に入ると思いますので、おそらくSNOBゆかさんは大学を卒業されているのだと思います。

日本語がほぼ通じないジャマイカに毎年行き、1カ月近く滞在するのですから、語学力もなければなりません。

ルックスとは裏腹に、SNOBゆかさんは相当、知的な方だったと推察します。死の前々日、フェイスブックでジャマイカに到着してSNOBツネさんや仲間と楽しく過ごしている状況を載せています。ただ「日本からの疲労も騙し騙しやってきたんですが、ここに来て、ピーク! 毎日が、眠た過ぎですw!」と気になる記述があります。

ツイッターでも、直前のFMラジオ出演中のショットを載せていますね。

SNOBゆかの急死したジャマイカとは

私はジャマイカに行ったことがありませんし、レゲエ音楽に詳しいわけでもありません。
それでも、友人の女性がジャマイカに交換留学し、現地で知り合ったジャマイカ人男性と結婚して、現地で男の子も1人産んでいます。

結局、その人は離婚してしまったのですが、ジャマイカの珍しい話はいろいろと聞いています。なので、SNOBゆかさんの死に絡めて、背景の事情などを解説してゆきたいと思います。

まず、ジャマイカは中米、カリブ海に浮かぶ島国です。近くには大きな島が2つあって、ジャマイカの北にキューバ島、北東にイスパニョーラ島があります。イスパニョーラ島は、2つの国があって、東がドミニカ、西がハイチです。

キューバやドミニカは野球が盛んで、多くのメジャーリーガーが輩出していますが、ジャマイカとハイチは、なぜか野球は不人気で、盛んではありません。

日本や韓国、台湾は野球が盛んで強いのに、中国やロシアは野球が不人気で、やる人も少ないのに似ていますね。

ちなみに、ジャマイカとは日本式の発音で「ジャミーカ」が現地の発音に近いです。アメリカではロサンゼルスとは言わないで「ロサンジェリー」と発音するのと一緒ですね。

ジャマイカは、よく日本の秋田県にたとえられます。ジャマイカの総面積は1万991平方キロで、秋田県(1万1638平方キロ)とほぼ同じです。

人口は289万人(2017年、世界銀行調べ)です。ちなみに、秋田県の人口は96万9462人(2019年6月現在)です。

まとめると、ジャマイカは秋田県とほぼ同じ面積で、約3倍の人口の島国です。コーヒーで有名なブルーマウンテンもジャマイカにある山です。

秋田県とほぼ変わらない広さの国なのに、ジャマイカには、世界をリードする2つの大きな優れた点があります。

1つは陸上、それも短距離です。

2016年リオ五輪、男子100メートル、200メートルの金メダリストは、ジャマイカのウサイン・ボルト(32歳)でした。

女子100メートル、200メートルの金メダリストは、ジャマイカのエレイン・トンプソン
(26歳)。100メートルでは、同じジャマイカのシェリー・アンフレーザー・プライス(32歳)が銅メダルを獲得しています。

400メートルリレーでは、男子金がジャマイカ、男子銀が日本。女子は、米国が優勝し、ジャマイカは銀でした。

ご覧の通り、ジャマイカは100メートル、200メートルの短距離走がメチャメチャ強いのです。秋田県ほどの小さな国で、人口だって茨城県(288万5625人、2018年4月)ぐらいなのに、世界一の短距離陸上王国なのです。

ケンブリッジ飛鳥選手(26歳)のお父さんもジャマイカ人ですよね。

友人は、ダンナさんから、こういう話を聞きました。

「アフリカから奴隷船で連れてこられた黒人のうち、足の速い者だけが逃げて生き残れた。だから、彼らの子孫のジャマイカ人は足が速い」

ジャマイカは、米国と違い、アフリカから連れてこられた黒人奴隷たちが反乱を起こし、自らを奴隷から解放したのです。そうした戦乱の際、足の速い人が生き残ったのはうなずけますね。

そういった歴史的背景から、とても誇り高いのもジャマイカ人の気質です。

もう一つ、ジャマイカが世界に誇るもの、それは音楽です。1960年代後半にジャマイカで起こったレゲエ音楽、50年代のスカ、1966~68年に流行したロックステディなど、ジャマイカのポピュラー音楽文化は極めて豊かです。

ヒップホップの音楽やカルチャーも1970年代、ニューヨーク市でジャマイカからの移民が始めたものです。

ちなみに、ジャマイカは中米にありますが、航空路の玄関口はニューヨークです。日本から行くにしても、ニューヨークで乗り換えて、首都キングストンで降りる形になります。
つまり、ジャマイカは、ニューヨークのお隣なんです。なので、ニューヨーク市民は、バカンスによくジャマイカに行きます。ジャマイカの人たちも、出稼ぎにニューヨークによく来ます。

そういった事情から、ジャマイカの音楽やダンスカルチャーは、アメリカ経由で世界に発信されてきたわけですね。

DJとレゲエダンスの本場ジャマイカ

日本人がカリブ海諸国に旅行に行ったら「ディスコやクラブで、決して踊ってはいけない」とよく言われます。それだけ、現地の人は上手なんです。

ジャマイカでは、日本のクラブに相当する施設をダンスホールと言います。野外でのダンス大会は、サウンドシステムと呼ばれ、空き地や砂浜で開かれます。日本の盆踊りと同じ感覚です。

ところが、エグザイルみたいな日本のプロのダンサーが、現地では町内のダンス名人と同じレベルなんです。

友人は一度、日本のプロの男性ダンサーを野外のサウンドシステムに連れて行ったところ、さすがに踊りの輪の中で最高に目立っていました。

ところが、次の瞬間、大喜びした子どもたちがダンサーの周りに寄ってきて、たちまち同じ振り付けで、一緒に踊り始めたんです。子どもたちはすぐにコツを飲み込んで、ダンサーと同レベルに踊ったほか、中には自分でアドリブを入れて、ダンサー以上のダンスをしてみせた子もいました。

友人いわく、プロのダンサーがこれなんだから、素人は決して、踊りの輪に入ってはダメ。邪魔なうえに、笑われるから。

ジャマイカ人の凄いのは、ダンスだけではありません。ターンテーブルで掛ける音楽に合わせて、DJが即興で合いの手の掛け声を入れてゆく。それが重なって、元歌以上の音楽世界が広がってゆく。

でも、さすがにジャマイカでも、プロのDJになれる人は、ほんの一握りのセンスのある人だけ。その他大勢の人は、人のDJに合わせて踊るだけしかできません。

こうしたジャマイカの音楽カルチャーは、世界有数の地位を築いています。

SNOBゆかさんみたいに真剣にDJやダンスの勉強をしたくて、本場ジャマイカに渡る日本人は年々、増えています。

ジャマイカでは豊満な女性が美人!?

レゲエダンスというジャンルのダンスがあります。

レゲエ音楽やDJの合いの手に合わせて、主に女性がセクシーな振り付けで踊る、アクロバチックなダンスです。

元々は、女性から男性への求愛ダンスだったとも、言われています。

そんなレゲエダンスの本場が、やはりジャマイカです。

毎年、世界各地の都市でレゲエダンスのコンテストが行われます。優勝した女性は、ダンスホールクイーンの称号がもらえます。ダンスホールクイーン・ジャパン、ダンスホールクイーン大阪といった感じですね。

そうしたレゲエダンスコンテストの最高峰が、ジャマイカで行われます。

その名も「インターナショナル・ダンスホールクイーン・コンテスト」です。

ジャマイカという国名が冠せられず、インターナショナルとなっているのがキモですね。

タイのムエタイ(キックボクシング)と同じく国技なので、ジャマイカ大会とは銘打たれません。ダンスホールクイーン・ジャマイカも存在しません。

優勝者は、単に「ダンスホールクイーン」とだけ呼ばれるのです。

そんなジャマイカの世界大会で、2002年に優勝した日本人女性がいました。工藤純子(Junko)さんです。Junkoさんは完全アウェーのジャマイカで、現地の女性ダンサーたちと競い合って、初の外国人優勝者になりました。

そんなレゲエダンスですが、ジャマイカでは豊満な女性が美しいとされるので、日本人の感覚から見てはポチャなダンサーが結構います。

SNOBゆかさんも、体形を逆手に取って、レゲエダンスの世界を追求したのかもしれませんね。

しかし、54歳になって、あの体形では、さすがに心臓などへの負担は大きかったものと思われます。循環器疾患が具体的にどんな病気だったのかは不明ですが、あの体重は身体にとってきつかったのかなあと思います。

SNOBゆかさんのご冥福をお祈りします。

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