田辺聖子の夫や子どもと残した名言は?死因や臨終の様子に告別式はいつどこで?












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作家・田辺聖子(たなべ・せいこ)さんが6月6日、死去しました。91歳。夫や子ども、家族に残した名言、死因や臨終の様子に告別式の予定などを緊急リサーチです。

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胆管炎で死去、後日にお別れの会

氏名:田辺聖子(たなべ・せいこ)
生年月日:1928年(昭和3)3月27日
没年月日:2019年(令和元)6月6日(享年91)
死因:胆管炎
出生地:大阪市
学歴:樟蔭(しょういん)女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学、偏差値44~60)国文科卒業
筆歴:1964年『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』で第50回芥川賞、1987年『花衣ぬぐやまつわる……わが愛の杉田久女』で女流文学賞、1993年(平成5)『ひねくれ一茶』で吉川英治文学賞、1994年菊池寛賞。1995年紫綬褒章、2008年文化勲章。小説、エッセイの他に、古典の現代語訳や古典案内の作品も多い。代表作に、映画化された『ジョゼと虎と魚たち』、『道頓堀の雨に別れて以来なり』、『田辺聖子の小倉百人一首』など。2006~07年のNHK朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」のヒロインのモデル

「おせいさん」の愛称で知られる作家・田辺聖子さんが、6月6日午後1時28分、総胆管結石による胆管炎のため、神戸市内の病院で死去しました。91歳でした。

訃報が公表されたのは6月10日ですが、すでに通夜・密葬などは親族で済ませています。

後日、お別れの会を東京と大阪で開く予定です。喪主は、弟・田辺聰(あきら)さんです。※詳しい日時、場所が分かり次第、追記します。

田辺聖子さんは、人生の機微に触れる恋愛小説や、ユーモアあふれるエッセーなどで人気を集めました。大阪人特有のふんわりとした語り口、思わず笑いたくなる文章を物した素晴らしい作家でした。

大阪市生まれ。写真館だった実家が空襲で焼失し、終戦直後にお父さんを亡くしました。。

樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)を卒業後、大阪の金物問屋に就職。一家の生計を支えながら、大阪文学学校に通い、小説を書き続けました。

1957年、大阪弁で女の一生を活写した「花狩(はながり)」が雑誌の懸賞小説に佳作入選してデビュー。

1964年、放送作家の女性の恋を、女性の男友達の醒(さ)めた視点から切り取った「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」で第70回芥川賞を受賞しました。

鋭い人間観察にユーモアをちりばめた作品を多く発表。恋愛小説では働く女を、ドラマ化された「姥(うば)ざかり」シリーズでは老いを生きる女性ら、時代を象徴する人物像を描き続けました。

1987年には平岩弓枝さん(87歳)と共に女性として初めて直木賞の選考委員に就き、2005年まで務めました。

直木賞の最初の選考会で、平岩弓枝さんが「才筆かも知れないが、軽いという印象が強かった」とD評価を下した山田詠美さん(60歳)の『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』に対し、田辺聖子さんはA評価を付け、授賞を守り切ったのでした。

「山田氏の文学の最もすぐれた部分を示しているように思われる。物語の語り手の資質を顕示したのだ」
「やっとサガンを抜く女流作家が日本にも出たといったら過褒だろうか。とにかく私は山田氏をまず推した」

皆さんの中でも、2003年に映画化された『ジョゼと虎と魚たち』(1984)をお読みになった方は多いかもしれません。妻夫木聡さん(38歳)と池脇千鶴さん(37歳)の主演。足の不自由なジョゼとアパートの管理人・恒夫のラブストーリーです。

ネタバレになるので、詳しいストーリーは書けないのですが、ラストの美しさったらなかったです。

文学仲間の夫の後妻になった田辺聖子

1966年、当時38歳の田辺聖子さんは、皮膚科医・川野純夫さん(2002年死去)と結婚しました。

川野純夫さんは、田辺聖子さんの同い年の文学仲間・川野彰子(かわの・しょうこ)さん(1928~64、享年36)の夫でした。

田辺聖子さんは、早世した川野彰子さんの追悼文を書いたことが縁で、純夫さんと知り合い、後妻に入りました。2002年に純夫さんが亡くなるまで36年間、連れ添いました。

田辺聖子さんの人気エッセー「カモカのおっちゃん」シリーズのモデル、カモカのおっちゃんは当初、完全な架空の設定でした。

しかし、田辺作品のイラストを手がけていたイラストレーター高橋孟(たかはし・もう)さん(1920~97、享年77)が、飲み友達の純夫さんをモデルにイラストを描き始め、カモカのおっちゃんのモデルということになりました。

田辺聖子さんは、自分の子どもを産みませんでしたが、純夫さんと彰子さんの間の4人の子(2男2女)を育て上げました。

「私は、自分で子どもを持たないせいか(中略)血は水より薄い、と思っている。
人間の性格の合う合わぬは、血ではない。私は、肉親同士で全く、気質の合わぬ親子・兄弟を今まで、数組、見た。
 私は、血の濃さ、などを信じない」

(『ラーメン煮えたもご存じない』1977年)

「葬式はどんちゃん騒ぎで」


田辺聖子さんの臨終の詳しい様子は、まだ明らかになっていません。

しかし、田辺聖子さんのご自宅は、兵庫県伊丹市梅ノ木にあります。亡くなったのは神戸市内の病院なので、臨終に際しては、ご家族が見届けられたことと思います。

6月6日に逝去した田辺聖子さんの訃報は、4日後の10日に公表されました。

すでに親族で密葬は済まされています。後日、東京と大阪でお別れの会が予定されています。

田辺聖子さんはエッセー集『歳月切符』(1982)の中で、自身の葬式について、次のように書いています。

「私は、本音をいえば葬式にどんちゃんさわぎをやってほしい。
文庫本くらいの私の写真だけを飾っといて、みんな、たらふく、たのしく飲んだり食べたり、してほしい。会費制なんて、そんなみみっちいことはしない」

もしかしたら、田辺聖子さんの意志を継いで、楽しい会になるかもしれませんね。少なくとも、田辺聖子さんはメソメソとした告別式は嫌うでしょうね。

田辺聖子さんは、また人生の最後をこうも綴(つづ)っています。

「一日一日は長かったのに、終ってみれば何とあっけなく短い夏休みだったことだろう。人はその生を終るとき〈夏休み〉のところを、〈人生〉におきかえて、同じ感慨をもつのだろうか」

(『楽老抄 ゆめのしずく』(1999)

「人生でいちばんいい言葉は、
〈ほな〉
 である。
 これは席を起つ(人生の席でもある)ときの挨拶である。ほんなら(そんなら)これで失礼します。みなさん、お先に。面白かった、ありがとう……という意味である」

(『楽老抄 ゆめのしずく』1999)

今、天国から、田辺聖子さんは「面白かった」人生を振り返っていることでしょう。

田辺聖子さんのご冥福をお祈りします。

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