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フジテレビの新社長に、芥川賞作家・遠藤周作さん(故人)の長男・遠藤龍之介専務(63歳)が就任することが分かりました。6月末に開かれる株主総会で正式に決まります。新社長の嫁や家族、出身校、父・周作さんとのエピソードをリサーチしました。
芥川賞受賞にちなみ、龍之介と命名
氏名:遠藤龍之介(えんどう・りゅうのすけ)
生年月日:1956年6月3日(62歳)
出身地:東京都
家族:父・周作、母・順子、妻
学歴:慶應義塾幼稚舎(小学校)卒業、慶應義塾普通部(中学校)卒業、慶應義塾高等学校卒業、慶應義塾大学文学部仏文科卒業
遠藤龍之介さんは1956年、作家・遠藤周作さん(1923~96、享年73)の長男として、東京都で生まれました。きょうだいはいない、一人息子です。
生まれた前年の1955年7月、父・周作さんは『白い人』で第33回芥川賞を受賞しています。その芥川龍之介にちなんで、龍之介と名付けられました。いや、結構、迷惑な話ですよね。
幼稚舎から慶應義塾に入り、父や母と同じく慶應義塾大学文学部仏文科に進みました。
生前、遠藤周作さんは「大学受験は、何の役にも立たない。そんなものに貴重な青春時代を浪費するのは愚の骨頂だ」と考えてました。その通り、一人息子を幼稚舎に入れたのですね。
慶大時代、2歳年上なのに1学年下の女優で、作家・檀一雄さんの長女・檀ふみさん(64歳)から父・周作さんあてのはがきの追伸として、
「もしお暇でほんとによろしかったら、お声をかけてくれれば、どこへでもついていきます」
と誘われたのに、何の返事もしませんでした。相当な引っ込み思案だったんでしょうね(笑)。
遠藤龍之介さんが慶大に入学した1975年、檀ふみさんはすでに女優として活躍していました。
ショーケンこと故・萩原健一さん(1950~2019、享年68)主演の映画『青春の蹉跌』(1974年)で、萩原健一さんの婚約者役を演じています。
そんな新進女優さんをすげなく振るんですから、遠藤龍之介さんも、お父さん並みに相当な変人ですよね。
実際、趣味は将棋で、慶大時代は将棋部に所属していました。棋力は高く、慶大将棋部師範の原田泰夫九段(1923~2004、享年81)から強豪と呼ばれ、
「今春(1975年春)、合宿の折に龍之介さんと平手でテスト、その棋力、立派な態度に感心した」
と褒め称えられました。
また、将棋で作家・北杜夫さん(1927~2011、享年84)をあっさり打ち負かし、父・周作さんから、自慢されました。
「息子は将棋三段で、高校も大学も将棋部だから、北君が負けたって仕方がない」
その父・周作に対局を申し込まれたところ、遠藤龍之介さんは20回連続で勝ったため、母・順子さん(92歳)から「あなた、ちょっと負けてあげなさいよ」と、たしなめられたこともあります。
後に2013年8月4日、囲碁・将棋チャンネルのプロアマ指導対局(プロの角落ち)で、佐藤康光九段(49歳)に106手で勝利を収めています。
将棋の実力は、本物なんですね。
しかし、そんな龍之介さんに対して、お父さんの周作さんは、不満を持っていたんですね。
芥川龍之介(1892~1927、享年35)の長男で俳優・芥川比呂志(あくたがわ・ひろし)さん(1920~81、享年61)が、遠藤家に来て、周作さんと酒を飲んでいました。すると急に周作さんは龍之介さんを呼びつけて、
「龍之介は本当にダメだ。龍之介はなってない、バカモノだ!」
段々、芥川さんが嫌な表情になり、最後は本当にもう苦虫を噛み潰したような顔になったんですって。周りから見れば、何一つ不足のない息子さんでも、偉人の父から見れば不満があったんでしょうね。
“ドン”日枝体制で、2代社長を支えた遠藤龍之介
1979年、慶大卒業後、フジテレビに入社。
ディレクターから編成畑に進みました。
ドラマ「ジュニア 愛の関係」「御家人斬九郎」「銭形平次」などを手掛け、1993年には日本初の長編ハイビジョンドラマ「その木戸を通って」で市川崑監督を起用して制作しました。
編成部副部長、企画担当部長、編成部長を経て、2003年6月から広報部長。
広報部長時代の2005年には、ライブドアの堀江貴文社長(当時)によるニッポン放送株買い占めなどが起こり、メディアに対応しました。その頃に、お世話になった新聞や雑誌、放送記者がいそうですよね。
2006年から広報局長、2008年取締役(広報室担当)広報局長、2012年常務、2013年6月27日付で専務に就任しました。
同時に就任した1期下の亀山千広・前社長(62歳)を支えました。2017年、亀山千広さんから宮内正喜(みやうち・まさき)さん(75歳)が社長に就くと、引き続き専務としてフジテレビを支えました。
1988年からフジテレビ社長、会長を務めてきた“ドン”日枝久(ひえだ・ひさし)さん(81歳)が今回、代表取締役会長を退いたのに伴い、入社40年、ついに社長になったんですね。
ご承知かどうか、フジテレビは早稲田と慶應の学閥が存在します。
早大閥は、故・鹿内信隆(しかない・のぶたか)フジサンケイグループ会議議長(1911~90、享年78、政経学部)、日枝久会長(教育学部)、亀山千広・前社長(政経学部)、大多亮(おおた・とおる)常務(60歳、教育学部)らですね。
一方、慶大閥は、故・鹿内春雄フジサンケイグループ会議議長(1945~88、享年42、慶應義塾高校中退)、宮内正喜社長(法学部)、杉田成道(すぎた・しげみち)日本映画放送社長(75歳)らです。
遠藤龍之介さんは、大学の先輩である宮内正喜さんからバトンを渡される形で、フジテレビ社長に就きます。
しかし、生まれてから慶應義塾、フジテレビと2つの組織にしか所属しない遠藤龍之介さんって、凄い人生ですね。
同期入社の遠藤君ついに社長就任か。若い頃から大人(たいじん)の雰囲気を持つ男だったが、やっぱりね。素晴らしい人選でしょう。新人の夏、周作先生の軽井沢別荘に連れて行ってもらったなあ。別荘なんて行った事なかったから忘れないよ。#遠藤龍之介#フジテレビ https://t.co/dsNP628zUa
婚約者の前で赤面質問、彼女を間違われ
そんな遠藤龍之介さんの嫁や子どもですが、今まで“縁の下の力持ち”的存在だったためか、明らかにされていません。
ただ一つ、奥さんとのエピソードが分かっています。
結婚を控えていた当時、遠藤龍之介さんは、婚約者と共に父・周作さんの仕事場を訪れると、居合わせた夕刊フジ元学芸部長・金田浩一呂(かねだ・こういちろ)さん(1932~2011、享年79)にいきなり、
「龍之介君は婚前交渉は済んでいるんですか?」
と聞かれました。婚約者は真っ赤になり、周作さんは「親の私でも聞かないことを」と怒り出したが、金田浩一呂さんは平然としていました。
そのことを金田浩一呂さんを送る会の席上で、遠藤龍之介さんは故人のエピソードとして紹介して、笑いを取ったそうです。
いかにも、ユーモアにあふれる人柄を表していますね。
その後、ご結婚されて、お子さんもできたでしょうが、これ以上は明かされていません。分かり次第、この記事に追記してゆきますね。
もう一つ、遠藤龍之介さんの大学時代のエピソードなのですが、ガールフレンドが自宅に電話を掛けてきました。周作さんが取って、応対しました。
「鈴木と申しますが、龍之介さんいらっしゃいますか」
「ああ、鈴木さん、息子がいつもお世話になってます。鈴木さんはアレですね、先週末、息子と箱根へ旅行に行かれたお嬢さんですよね?」
電話を掛けてきた女性は、もちろん、箱根旅行になんか行っていません。そのため、めちゃめちゃな修羅場になり……(ry
いやはや、何とも迷惑なお父さんですよね(笑)。
2代の社長を支えてからのトップに就任する遠藤龍之介さん。フジテレビは近年、視聴率低迷に苦しんでいます。
2004年から2010年まで7年連続で視聴率三冠王(ゴールデンタイム〈19:00~22:00〉、プラムタイム〈19:00~23:00〉、全日)に輝いたのは、9年も前の大昔のお話。
ユーモアたっぷりの性格で知られる遠藤龍之介さんならば「オレたちひょうきん族」(1981~89)に代表される「楽しくなければテレビじゃない」路線、本来の「明るいフジテレビ」のイメージを取り戻せるかもしれませんね。その手腕に期待です。
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