西宮幸子女官長の大学や経歴に家族は?東宮時代の雅子さまに起用された理由も!












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5月1日に行われた新天皇陛下の即位式で、皇居に向かう雅子皇后の車に同乗していたショートヘアの宝塚風の女性がいましたよね。新任の西宮幸子女官長です。

西村幸子女官長の出身校の大学や経歴に家族は? 東宮時代に雅子さまに起用された理由や、雅子さまとのご関係についてリサーチしてみました。

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宝塚の男役ばり、新女官長・西宮幸子さん

皇居へ向かう新皇后雅子さまを乗せた黒塗りの御料車センチュリー。助手席の後部、雅子さまの座る後部座席との間に、宝塚風のショートヘアで、品のいい年配女性の姿がありました。

シルバーのシルクの衣装に、白いパールの2連ネックレス。襟元には、やはりパールで花をかたどったブローチと、耳元にはおそろいの一粒のパールのイヤリング。

第1ティアラと白のローブデコルテをまとわれ、華やかに笑む雅子さまにピッタリと付き添う謎の女性。

「あれは誰?」と思われた方も多いのではないでしょうか。

女性は、5月1日付で、東宮女官長(とうぐうじょかんちょう)から女官長に就いた西宮幸子(にしみや・ゆきこ)さんです。

ネット上では「キレイ」「年に見えない」「宝塚の男役みたい」との称賛の声が聞かれました。


私なんかも、思わず見入っちゃいましたよ。失礼ですが、4年前、58歳のときに東宮女官長になられたので、単純計算で今、61歳か、62歳ですよね。

それなのに、スッキリとスリムに痩(や)せておられます。フツー、同じ年頃のオバさんだと体形的に崩れているというか、ぶっちゃけ、太っているというか。

なのに、西宮幸子さんは全然、太っておられないですし、いまだにキレイですよね。テレビのキャスターやリポーターたちは、表立って言う人がいませんでしたが、中継を見ていた多くの人たちに強い印象を残したのではないでしょうか。

雅子さまの療養、愛子さまの不登校と重なった前任女官長

西宮幸子さんは2015年7月31日、皇太子妃に使える東宮女官長への就任が閣議で決定されました。

実に4年6カ月という“空白期間”にピリオドが打たれた瞬間でした。

東宮女官長とは、当時皇太子妃だった雅子さまに仕える側近中の側近です。

国内や国外を問わず、雅子さまのご公務に付き従い、関係各所との渉外役や調整役を担う重要な仕事です。

身分としては特別公務員なのですが、昼夜を分かたず、雅子さまに一心同体として、お仕えしなければならない激務です。

例えば、夜半になって、雅子さまや愛子さま(17歳)が、お腹を空(す)かされたとします。

私みたいな一般人なら、勝手に台所に立って冷蔵庫を漁ったり、カップ麺(めん)にお湯を注いだりすればいいのですが(笑)、皇族方は、そういうわけにもゆきません。

当然、人に頼んで、お夜食を持ってきてもらうことになります。ところが、口で言うほど、簡単じゃないんです。

まず第1に、御所に詰めている人たちは宮内庁の職員、公務員です。決して、天皇家の使用人ではないんです。

また、国民の税金で生活費を賄っている皇族方は、私たちが思う以上に公私の区別に厳しいものなんです。逆に言うと、公私を厳しく区別しなければ、どこまでも公私混同に突き進む恐れもあります。

なので、皇族方は、夜中にお腹が減ったぐらい、我慢されることが、ほとんどなんです。近所のファミレスやコンビニに行ったら行ったで、皇宮警察の職員に負担を掛けてしまいます。出前や宅配ピザを頼むのも同じことです。

しかし、どうしてもお腹が空いて眠れないほどなら、やはり人に頼むしかありません。そんなときに真っ先に、皇族方がご相談されるのがオクと呼ばれる女官、引いては女官長なんです。

女官長はまず、雅子さまと愛子さまにお目通りして、お腹の空き具合を伺います。うんと空いているようでしたら、女官に夜食を手配させます。さほどでもないようでしたら、自ら足を運んでリンゴなどの果物を取ってきて、お召し上がりいただきます。

その際、リンゴの皮を剥(む)いてほしいというご要望があれば、手ずから果物ナイフで皮を剥きます。喉も渇いたと仰るのなら、飲み物も用意します。召し上がり終えられたら、食器などを片付けます。

こんな感じで、特別公務員とは名ばかり、実際は、雅子さまのご一家と、ほぼ生活を共にするぐらいの激務なんですね。

なので、私生活に負担がないよう、歴代の女官長は、これまで“独身”の女性が選ばれてきました。

1993年6月9日に新天皇陛下とご成婚した雅子さまの初代東宮女官長は、故高木進・元学習院大学教授(1931~87、享年56)の妻みどりさん。1993年から2003年7月まで務めました。

2代目の東宮女官長は、木幡清子(こわた・きよこ)さん(75歳)。シリア大使を務めた木幡昭七氏の妻。夫が雅子さまの父・小和田恆氏と外務省の同僚だった縁で、1993年に東宮女官となり、2003年7月から、2011年1月17日まで東宮女官長を務めました。

しかし、木幡清子さんは、ちょうど、愛子さまの不登校が深刻化した時期(2010年2月~2011年秋)に東宮女官長で、東宮ではご一家を支える職員ら5人が退職するなど、療養中(2004年6月~2013年4月)の雅子さまとの意思疎通が不十分だったと言われています。
このためか、東宮女官長の職は4年半もの長きにわたり、空席が続きました。

朗らかな人柄の西宮幸子女官長、松井秀喜氏の表彰式にも

3代目の東宮女官長に、西宮幸子さんを抜擢したのは、当時、東宮大夫(とうぐうだいぶ)だった小町恭士(こまち・きょうじ)元タイ大使(73歳)だったとされています。

外務省出身の小町恭士・東宮大夫は、やはり元外交官の故西宮伸一さん(1952~2012、享年60)の残された妻です。

西宮伸一さんと言えば、民主党の野田政権(2011年9月~2012年12月)の下、尖閣(せんかく)諸島の国有化を巡る問題で日中の対立が激化した2012年9月、事実上更迭された丹羽宇一郎・中国大使の後任として、辞令が出されました。

しかし辞令を受けた2日後の9月13日朝、出勤途中に倒れ、16日朝、帰らぬ人となりました。そんな“幻の中国大使”だった西宮伸一さんを覚えていらっしゃる方もいるでしょうか。

西宮幸子さんは1957年、広島県出身。津田塾大学学芸学部(偏差値50~55)を卒業。

1979年から81年まで、銀行勤務を経て、西宮伸一さんと結婚。

夫を亡くし、子どもたちも独立し、雅子さまのお世話ができる状況が整ったことで、東宮女官長を引き受けたと見られています。

ニューヨーク総領事だった西宮伸一さんに付き添ったため、幸子さんは海外経験も豊富です。

朗らかな人柄で評判の女性です。伸一さんがニューヨーク総領事時代、当時ヤンキースの松井秀喜氏(44歳)の表彰式に、夫婦で出席したこともあります。

海外にいた頃は、現地で茶会や朗読会などのレセプションを取り仕切ったこともあります。そういった幅広い海外経験も、雅子さまの信頼を勝ち得る要因となっているのでしょう。

西宮幸子さんには、複数のお子さんがいらっしゃいます。1981年にご結婚されたので、常識的に見て、共に30代のお子さんでしょうね。

性別や出身校、どんな仕事に就いているかは未公表で、調べたけれど分かりませんでした。しかし、お母さまが新女官長になられたほどですから、それなりの仕事に就いておられるのでしょうね。それは確実です。

雅子さまの秘書役として、共に新時代に歩まれる西宮幸子さん。果たして、お2人にとって令和はどんな時代になるのでしょうか。

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