小出義雄監督の最愛の女子マラソン選手!高橋尚子か有森裕子それとも鈴木博美?












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肺炎のために亡くなった女子マラソン界の指導者、小出義雄監督(享年80)の告別式が4月29日、千葉県佐倉市内の斎場で行われ、陸上関係者ら約600人が参列しました。

ヒゲの名伯楽を納めた棺は愛弟子の高橋尚子さん(47歳)、有森裕子さん(52歳)らの手で運び出されました。棺を蓋(おお)いて事定まる――いちばん愛された弟子は誰なのか、リサーチしてみました。

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高橋尚子、有森裕子らの手で出棺

告別式では、2000年シドニー五輪金メダルの高橋尚子さんが、入院中の小出義雄監督に1送った手紙を読み上げる形で、弔辞を送りました。

「弱かった私を根気強く指導してくださって、ありがとうございました。貴重な時間を費やしてくださって、ありがとうございました」

小出監督を納めた棺は高橋尚子さん、1992年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅メの有森裕子さんらの手で運び出されました。出棺後、2人はメディアの取材に答えました。

有森裕子さん「平成元年(1989)に監督と出会い、平成の最後(2019)に監督とお別れ。監督から受けたものを次の世代に引き継いでいきたい」

高橋尚子さん「まだ信じられない気持ち。走る楽しさを伝えていけるようにしたい」

2003年世界陸上パリ大会銅の千葉真子さん(42歳)、1997年世界陸上アテネ大会金の鈴木博美さん(50歳)ら、多くの女子マラソン選手を育て上げた小出義雄監督。

果たして、最愛の愛弟子は誰だったんでしょうか?

願掛けで禁煙、思いに応えた有森裕子

その答えを探るヒントが、葬儀会場でひっそりと飾られていました。古ぼけたショートホープの箱。有森裕子さんとの思い出の品です。

かつて1日4箱のヘビースモーカーだった小出義雄監督。しかし、バルセロナ五輪の数カ月前から、願掛けのために禁煙しました。

「選手にだけ練習を強いて、自分が何もしないわけにはいかない」

そんな思いから、当時53歳の小出義雄監督は禁煙に踏み切ったんですね。

有森裕子さんは、小出義雄監督の思いに応えようと、ユニフォームのランニングパンツにショートホープを縫い付けて走りました。

本番のレース、35キロ付近で、有森裕子さんは、先頭を走っていたワレンティナ・エゴロワ(55歳、ロシア)に追い付きます。

モンジュイックの丘の急激な上り坂で、2人は、凄絶(せいぜつ)なデッドヒートを演じました。

メーンスタジアムに入る直前、残り1キロ地点で、エゴロワはラストスパート。引き離された有森裕子さんは追い付けず、わずか8秒差で銀メダルを獲得しました。

金メダルはならなかったものの、自分の育てた選手が初めて五輪でメダルを獲得した小出義雄監督。

有森裕子さんは、ゴール後、汗でグシャグシャになったショートホープを小出義雄監督に手渡しました。

「監督、思う存分、喫ってください」

有森裕子さんは1966年、岡山市出身。日体大時代は目立った活躍もなく、体育の教員を目指していました。ところが1989年、教育実習中に出場した記録会で、自己ベストに次ぐ好記録をマーク。止みがたい気持ちのまま、実業団に進むことに決めました。

しかし、無名選手の有森裕子さんを取ってくれる実業団はなく、やむなく有森裕子さんは、当時リクルートの監督だった小出義雄さんに自ら連絡を取り、入部を懇願します。

その熱意にほだされた小出義雄監督は、有森裕子さんにマネジャーの形で入部を認めました。

元々、3000メートルや駅伝の選手だった有森裕子さんは入部した1989年秋、小出義雄監督の勧めでマラソンに転向しました。

有森裕子さんは命令口調で話すと反抗する性格だったので、小出義雄監督は敢えて「有森先生」と呼んでいました。

思ったことをズケズケと口にするタイプの有森裕子さん。人から意見されることが大嫌いだった小出義雄監督はわざと「有森先生」とへりくだる格好で、一言居士の有森裕子さんをやり過ごしていたんですね。

有森裕子さん、いわく、

「監督と侃々諤々(かんかんがくがく)やったのは、私ぐらいじゃないかな」

しかし、そんな有森裕子さんをして、小出義雄監督がいちばん可愛がった教え子は、鈴木博美さんだと言わせます。

「監督がいちばん期待していたのは、鈴木博美だったんじゃないかな」

練習嫌いの鈴木博美を根気強く指導

その鈴木博美さんは1968年、千葉市出身。早くから小出義雄監督に見いだされ、市立船橋高校時代は小出義雄監督の下で陸上を続けていました。

「博美は本当に凄い。練習嫌いじゃなきゃ、世界一になるんだけどなぁ」

小出義雄監督は、友人同士のような雰囲気で、鈴木博美さんを指導。鈴木博美さんも、小出義雄監督がリクルートから積水化学に移ると、自分も移籍しました。

小出義雄監督は鈴木博美さんを引き合いに出して、有森裕子さんにハッパを掛けていました。

「(鈴木博美に比べて)お前は、身体的な素質はゼロ。だから、気持ちの“素質”で勝て!」

有森裕子さんは、小出義雄監督が最初に五輪で金メダルを取らせたかったのは、鈴木博美さんだと振り返ります。

鈴木博美さんは、夫の伊東浩司・甲南大学教授(49歳)と共に神戸市で暮らしています。小出義雄監督の訃報に接して、こんなコメントを発表しました。

「練習嫌いな私をあきらめることなく、根気強く育てていただいた。どれだけの情熱を持ってご指導にあたってくださったのかを知り、今はただ感謝しかない」

小出義雄監督が漏らした「やっぱり、Qちゃん」

しかし、生前の小出義雄監督は、こうも話していました。

「やっぱり、俺にとっては、Qちゃんなんだよなあ」

高橋尚子さんは1972年、岐阜市出身。県岐阜商から大阪学院大学に進んだものの、学生時代にチャンピオンになることはありませんでした。

教員になるべく、母校の県岐阜商で教育実習中に、恩師に助言を受けて、当時リクルートの監督だった小出義雄監督の面接を受けました。

小出義雄監督からは、社の方針として大卒は採用していないといったんは断られたものの、高橋尚子さんの熱意が届き、夏合宿に自費で参加できることに。

その合宿で、小出義雄監督は、高橋尚子さんの走りを見て、一目で素質を見抜きました。契約社員という形ながら、高橋尚子さんは、リクルートに入社できることになりました。
高橋尚子さんは、小出義雄監督に言われたことを素直にやるタイプ。小出義雄監督と共に、リクルート、積水化学、佐倉アスリートクラブと移籍しました。

小出義雄監督の指導は、基本的に褒めて伸ばす方法です。小出義雄監督は、わざと練習中の高橋尚子さんを無視したりしました。

「何で、褒めてくれないんだろう」と高橋尚子さんが焦り始める頃、小出義雄監督は練習後に電話を掛けるんです。

「Qちゃん、今日の走りはよかったぞ」

見捨てられたと思っていた高橋尚子さんは一転、翌日から張り切って練習に臨みました。

こんな風に、選手一人ひとりの特性に合わせて、きめ細かな指導を行ってきた小出義雄監督。

監督の思いとは別に、一人ひとりの選手たちは、自分こそが小出義雄監督にいちばん愛された選手だと思っているに違いありません。

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