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2000年シドニー五輪女子マラソンで金メダルに輝いた高橋尚子さん(46歳)らを育成した元マラソン指導者・小出義雄さんが4月24日、死去しました。80歳でした。
小出義雄さんの嫁や家族は、千葉真子さんらを育て上げた独特の熱血指導に基づく育成力、練習トレーニング方法などを緊急リサーチしてみました。
22歳で大学入学した苦労人
氏名:小出義雄(こいで・よしお)
生年月日:1939年4月15日
没年月日:2019年4月24日(80歳)
出身地:千葉県印旛郡〈いんばぐん〉根郷村〈ねごうむら〉(現・佐倉市〈さくらし〉)家族:妻・啓子(けいこ)さん(69歳)、長女、次女・正子(まさこ)さん(45歳、元陸上選手)、三女
学歴:根郷村立根郷小学校卒業、村立根郷中学校卒業、千葉県立山武(さんぶ)農業高等学校(偏差値40)卒業、順天堂大学体育学部(現・スポーツ健康科学部、偏差値47.5~57.5)卒業
職歴:1965年に大学卒業後、保健体育の教師として千葉県立長生(ちょうせい)高等学校、佐倉高等学校、船橋市立船橋高等学校に勤務。88年に教職を辞して、リクルート・ランニングクラブ監督。1997年、積水化学工業女子陸上競技部監督。2001年6月、佐倉アスリート倶楽部(SAC)代表兼監督。02年12月、積水化学を退社。19年3月31日、陸上指導者を引退
女子マラソンの千葉真子(ちば・まさこ)さん(42歳)や高橋尚子さん、有森裕子(ありもり・ゆうこ)さん(52歳)らを育てた小出義雄さんが、亡くなりました。享年80でした。
小出義雄さんは千葉県出身、実家は農家でコメ、ネギ、ホウレンソウなどを育てていました。
父親は育てた野菜を行商して回っていましたが、出向いた先で、酒をふるまわれると、お金を取らずに帰って来ることがしばしばありました。
姉が3人、妹が1人いる5人きょうだい。当然ながら、農家として生活はかなり苦しいものでした。
子ども時代、ガキ大将だった小出義雄さんは、よく近所の子らを集めて、駆けっこ大会をしていました。子どもの頃から、走ることが大好きだったんですね。
中学校に上がると、陸上部に入部。多数の陸上大会で、優勝しました。リアル韋駄天(いだてん)だったんですね。
当時、体育の粕谷先生に褒められました。
「お前の走りは、とても良い。五輪に行けるぞ」
小出義雄さんは、その頃から、独自に工夫して様々な練習をしました。
実家の畑の周りを父親の地下足袋を履いて走ったり、山を走って上り下りしたり、線路のまくら木をまたぎながら走ったり。
山武農高に入ると、1年から駅伝メンバーに選ばれ、3年時に全国高校駅伝にも出場しました。
実家の経済的な事情で、大学進学をあきらめ、半年間、農業をしていました。
でも、箱根駅伝出場の夢をあきらめ切れず、家出をして上京しました。
3年間、電話線工事、食堂の従業員、建築作業員などの仕事をして、学費を貯(た)めました。
22歳で入学した順天堂大学では、陸上部の仲間から「おじい」と呼ばれました。
当時の監督だった帖佐寛章(ちょうさ・ひろあき)さん(88歳)からは、徹底的なスパルタで鍛えられました。
そのかいあって、1年生から3年連続で、箱根駅伝に出場しました。
1年時の第38回は5区10位、2年時の第39回は8区3位、3年時の第40回は8区5位。
しかし、4年の秋、右足腱鞘炎(けんしょうえん)のため、箱根駅伝のメンバーから外れてしまいました。悲嘆に暮れた小出義雄さんは、周囲に当たり散らして、泣きわめきました。
1965年、25歳で大学を卒業した小出義雄さんは保健体育の教員として千葉県に採用されました。
県立長生高、県立佐倉高、市立船橋で教鞭(きょうべん)を執りました。
1971年に結婚した啓子夫人は長生高時代の教え子です。
1988年ソウル五輪背泳ぎ100メートルの金メダリストで、スポーツ庁長官の鈴木大地さん(52歳)は市立船橋時代の教え子で、順天堂大学の後輩です。
高校の陸上部監督としては、1978年、79年の佐倉高、86年の市立船橋と、男子チームを全国高校駅伝に3回、出場に導いています。
86年の市立船橋高校は、2時間6分30秒の当時の高校最高記録で、優勝を果たしました。
高校陸上部の監督を始めた当時、高校女子の長距離種目は800メートルしかありませんでした。
しかし、小出義雄さんは将来、必ず男子並みに、女子の種目が増えると予想して、データ収集を開始。佐倉高時代には、17人の選手を女子マラソンに挑戦させました。
また、自らも選手として1966年の別府大分毎日マラソンに出場(2時間26分46秒、46位)、16年連続で東日本縦断駅伝にも出場しました。
教員を23年間務めた後、88年に実業団のリクルートの監督に就任しました。97年からは積水化学監督、2002年からは自らの創立した佐倉アスリート倶楽部(SAC)の指導に専従しました。
明るく豪快な性格と、選手の素質を見抜いて褒めて伸ばす抜群の指導力で、マラソンで有森裕子さん(52歳)を92年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅の2大会連続メダルに、積水化学に移籍した97年は世界選手権で鈴木博美さん(50歳)を金メダルに導きました。
2004年から選手指導を委託されていたユニバーサルエンターテインメントとの契約が2019年3月末で満了したのを機に、指導者を勇退したばかりでした。
体調面も踏まえての決断でした。
2002年に米コロラド州ボルダーで脚の大動脈瘤(りゅう)の手術を受け、2015年に心疾患で倒れて心臓手術を受けてからは、ペースメーカーを入れていました。
指導者としての晩年は、入退院を繰り返して、現場に出る回数が減っていました。
「陸上が好き」小出義雄の熱血指導法
小出義雄さんの指導法は独特で、男子には鉄拳制裁も辞さぬスパルタ熱血指導。体罰禁止やパワハラという言葉のなかった時代のお話ですね。
しかし、女子に対しては、素質を見抜き、徹底的に褒め倒す指導法です。
練習は基本的に過酷で、朝から30キロを走らされます。
「世界記録を作りたいなら世界記録を作る練習、五輪でメダルを取りたいならメダルを取る練習があり、常識的な練習では常識的な記録しか出ない」
陸上が好き。雨でも嵐でも、練習は休みません。慢性胃炎で入院した時や、亡くなった知人の葬儀委員長を任された時も、途中で抜け出して選手と一緒に練習したほどです。
佐倉高陸上部の監督時代、自宅を改築して、選手を下宿させていました。
また、高地トレーニングのために、ボルダーに合宿所を購入しました。
97年世界陸上アテネ大会のマラソンレース前日、不安感で「明日、走れそうにありません」と言う鈴木博美さん(50歳)をリラックスさせるため、足腰を痛め、中耳炎を病んでいる体で、エーゲ海を一緒に泳ぎました。
2000年シドニー五輪では、マラソンコースの勝負どころ32キロ付近に、1年前からマンションを借りて、コースを研究しました。
その結果、高橋尚子さんは見事、金メダルを獲得。高橋尚子さんと約束していたトレードマークの髭(ひげ)を剃(そ)りましたよね。
アテネ五輪落選、Qちゃんと並び記者会見
好事、魔多し。
2003年11月16日の東京国際女子マラソンで、翌年8月のアテネ五輪女子マラソン日本代表選出を目指して出走した高橋尚子さんは、季節はずれの高気温24~25度と、風速3~6メートルの風の中、30キロ手前から突然の失速。
エルフェネッシュ・アレム(エチオピア)に抜かれて、日本人トップの座は守ったものの、タイムは2時間27分21秒で2位。2001年ベルリンマラソンで、自らがたたき出した当時の世界記録、自己ベスト2時間19分46秒にはるかに及ばないタイムでした。
その結果、女子マラソン代表選考は、難航してしまいます。
2004年3月15日、選考会の冒頭、挨拶(あいさつ)に立った当時の陸連副会長で、小出義雄さんの大学時代の恩師、帖佐寛章さんは強引に高橋尚子さんを代表に選出しようとして、会議は紛糾しました。
あるテレビは午後2時に、高橋尚子さんの落選を速報テロップで流しました。また、ある新聞は、午後1時半締め切りの夕刊一面で「Qちゃん五輪代表へ」と誤報を伝えたほどでした。
選考は、2003年世界陸上パリ大会2位で内定済みの野口みずきさん(40歳)、同大会4位の坂本直子さん(38歳)、高橋尚子さんで決まりかけていました。
結局、選考会直前の名古屋国際女子マラソンで優勝(2時間23分57秒)した土佐礼子さん(42歳)が駆け込みで代表に決定、補欠は世界陸上パリ大会3位の千葉真子さん、高橋尚子さんは落選しました。
五輪連覇の夢が消えた高橋尚子さんは、過去の実績があり、落選は賛否両論で大騒動になりました。
高橋尚子さんは小出義雄さんと並んで、NHKや民放各局で生放送の会見をしましたっけ。
不遇だった小出義雄の晩年
その後、高橋尚子さんは独立。小出義雄さんはパチンコ機メーカー〈ユニバーサルエンターテインメント〉の女子陸上部の指導を委託されていました。
2010年、2012年ロンドン五輪出場を目指していた原裕美子さん(37歳)が移籍してきました。原裕美子さんは、小出義雄さんの指導が功を奏して、1年8カ月ぶりに復帰した2010年北海道マラソンで優勝しました。
2013年、足の故障の悪化などを理由に、原裕美子さんは退社。2018年に万引きで2度、逮捕されました。
また、2017年11月に全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝)で〈ユニバーサルエンターテインメント〉女子陸上部は、5年ぶり2度目の優勝を果たしたものの、ドーピング違反が発覚して2018年7月に優勝取り消し。チームも出場停止の処分が下されました。
2019年3月末で〈ユニバーサルエンターテインメント〉女子陸上部の指導委託が終了したことを機に、小出義雄さんは陸上指導からの引退を発表しました。
こんな風に、晩年の小出義雄さんは心労が絶えず、失意のまま、指導者を引退してしまったと言えます。
もしかして、そんなことが、小出義雄さんの死期を早めてしまったのかもしれません。
小出義雄さんのご冥福を、心からお祈りいたします。
【高橋尚子さん 感謝でいっぱい】https://t.co/gNZJZilXMx
多くの名ランナーを育てた小出義雄さんが24日、死去した。小出さんの指導を受け、シドニー五輪の女子マラソンで金メダリストに輝いた高橋尚子さんは「今の自分があるのも小出監督のおかげ」と悼んだ。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2019年4月24日
教え子千葉真子さん「いつも太陽のよう」小出氏悼む #千葉真子 #小出義雄 #訃報 https://t.co/CWz2AY5daB
— 日刊スポーツ (@nikkansports) 2019年4月24日
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