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朝ドラ「まんぷく」のヒロインで注目を集める女優・安藤サクラさん(32歳)。映画『万引き家族』で演技が世界的に評価された安藤サクラさん、初の子持ちヒロインとして大阪に移り住み、撮影を重ねています。
そんな安藤サクラさんですが、家族や家系も凄(すご)いんです。父と姉は映画監督、母はエッセイスト、夫は俳優。もう家族だけで映画や、番組ができちゃいそうなほど豪華ですよね。芸能一家の中で、安藤サクラさんはどんな生い立ちをしてきたのか、知りたいですよね。そんなあなたのために、リサーチしてみました。
曾祖父は犬養毅、祖父は犬養健
芸名:安藤サクラ
本名:柄本さくら
生年月日:1986年2月18日(32歳)
出生地:東京都
家族:父・奥田瑛二(おくだ・えいじ)さん(68歳)、母・安藤和津さん(70歳)、姉・安藤桃子さん(36歳)、夫・柄本佑さん(31歳)、長女(4カ月)
学歴:学習院女子高等科卒業、学習院女子大学国際文化交流学部(偏差値50.0~52.5)卒業
身長:160センチ
所属事務所:ユマニテ(東京都渋谷区恵比寿西2丁目)
まずは、安藤サクラさんの華麗な家系から見てゆきましょう。
母・安藤和津さんの祖父、つまり安藤サクラさんの曾祖父は、五・一五事件で倒れた元総理大臣の犬養毅(いぬかい・たけし、1855~1932、享年76)。
祖父は、造船疑獄(1952年)で指揮権を発動をした元法務大臣の犬養健(たける、1896~1960、享年64)。
祖母は、元柳橋芸者で料亭〈をぎ野〉を切り盛りしてきた荻野昌子さん。
母の安藤和津さんは、粋筋として、政財界のエリートに囲まれて育ちました。上智大学独文科を中退して、2年間の英国留学。語学力を生かし、のちにCNNのメーンキャスターを務めました。
犬養毅や犬養健って、もはや日本史の登場人物じゃないですか。凄いの一言です。
一方で、父の奥田瑛二さんは、元・愛知県春日井市議を父に持つものの、半ば勘当された売れない役者でした。不遇時代に、代々木公園で3カ月も野宿生活をした経験もあります。
こちらのほうは、あまりエリートとは言えませんよね(笑)。
でも、そんな奥田瑛二さんも何とか役に恵まれ、ドラマ「金曜日の妻たちへⅢ 恋におちて」(1985年)、「男女7人夏物語」(1986年)、「金曜日には花を買って」(1986~87)などで売れ始めたときに授かったのが、安藤サクラさんだったんです。
5歳で女優宣言
安藤サクラさんが生まれた頃、多忙の奥田瑛二さんは、ほとんど家にいませんでした。
「子どもたちの朝ご飯までには、帰ってくる」というルールがありましたが、奥田瑛二さんは飲んだくれて帰ってきては、姉・桃子さんと安藤サクラさんをたたき起こす。
そんな幼少期だったので、安藤サクラさんは、ほぼ奥田瑛二さんと一緒の時間を過ごせなかったんです。
ところが、そんな安藤サクラさんは5歳のとき、奥田瑛二さんの舞台を見て、指さし、
「チャク(サクラ)ちゃん、あれになる!」
何と、5歳にしての女優宣言です。
伝え聞いた奥田瑛二さんは、思わず、
「あちゃ~。頼むから、女優にだけはならないでくれ。お願いだから」
自分の経験から、女優がいかにつらい仕事か知り尽くしていたんですね。
そんな奥田瑛二さんの願いもむなしく、安藤サクラさんは自ら舞台に立ち始めるようになります。
母の安藤和津さんは、幼い安藤サクラさんを見て、確信したんですって。
「ああ、この子は女優になる」
母の見立て通り、安藤サクラさんは、幼稚園のお遊戯会から、舞台に立ち、才能の片鱗(へんりん)を見せ始めます。
小5の安藤サクラを泣かせた父の熱血指導
小学5年のとき、安藤サクラさんは、学芸会で『夕鶴』の主役の座を射止めます。
このときは、安藤和津さんに懇願されて、奥田瑛二さんが安藤サクラさんに演技の指導をしました。
「15分だけだぞ。正座して『お願いします』と言わなけりゃダメだ」
安藤サクラさんが言われる通りにして始めたお稽古(けいこ)は、気付いたら20分、30分も過ぎていました。
「違う、そうじゃない。小学生みたいな芝居してんじゃねえよ」
奥田瑛二さんが気付いたら、1時間半もお稽古をつけていました。
「バカヤロー、学芸会みたいな芝居してんじゃねえんだよっ!」
ついに、安藤サクラさんは泣き出しました。
「だって、これ学芸会だもん」
「あの顔で、女優?」
高校を卒業する2004年頃、安藤サクラさんは、両親の部屋を訪ねて、膝を揃えました。
「お父さん、話があります」
「何だ」
「女優になりたいんです」
重い沈黙が下りてきました。暫くして、奥田瑛二さんは観念しました。
「分かった、認めてやろう。だがな、何も助けてはやらん。自分で道を切り開け。親を頼るな」
肯いた安藤サクラさんは、自分で調べて演劇のワークショップに通い始めました。
しかし、実際はその当時、ずいぶんひどい言い方をされたりもしました。
「あの顔で、女優を目指すわけ?」
「親の七光りが、どこまで通用するのかしら」
折しも、奥田瑛二さんは俳優から、映画監督への道を歩み始めていました。
2004年、松坂慶子さんを主役にした監督第2作『るにん』(2006年公開)。
3作目の『長い散歩』(2006年公開)は、モントリオール世界映画祭でグランプリも獲得しました。
しかし、独立プロ作品ということもあって、日本国内での反応は冷ややかでした。
映画に大金を注ぎ込む奥田瑛二さんの家庭は、次第に追い詰められてゆきました。
夫を支えるために、安藤和津さんは手持ちのアクセサリー、毛皮、ブランド品を全て売り払いました。
ロンドン留学中の姉・桃子さんは、学費も家賃も払えない状態に追い込まれました。
そんな、さなか、監督奥田瑛二さんの第4作『風の外側』(2007年公開)で、主演女優さんが突如、降板するというトラブルが起きたのです。
クランクインまで、あと10日でした。奥田瑛二さんは、仕方なく撮影を延期するつもりでしたが、プロデューサーが提案してきたんです。
「サクラさんは、どうですか?」
確かに、娘のサクラだったら、どんなスケジュールでもやり繰りして、自分の映画に出てくれるだろう。
しかし、監督として、父として、すぐには首を縦に振れない。
そこへ、安藤和津さんが助け船を出してくれたんです。
「あなたは、サクラを主演にしたくないのよね。でも、今回は、神様のプレゼントだと思うの。どう、やってみたら」
奥田瑛二さんは、急に腑に落ちたんですって。
「あ、これは運命なのか」
それで、奥田瑛二さんは渋々、安藤サクラさんを主演に起用しました。
最初の1週間、奥田瑛二さんは現場で怒鳴りまくっていたんです。
しかし、1週間経ったら、
「サクラがスコンと変わって『あ、こいつ、化けやがった』」
残りの20日間、奥田瑛二監督は、安藤サクラさんの演技に一切注文を付けませんでした。
これが、女優・安藤サクラのサクセスストーリーの始まりでした。
朝ドラヒロイン、家族総出で応援
女優としての道を歩み始めた安藤サクラさんは2012年、俳優の柄本佑さんと結婚します。
2017年6月、安藤サクラさんは、長女を出産します。
その年の10月、NHK大阪から朝ドラ「まんぷく」の主演の打診が届きました。
安藤サクラさんは、両親に打ち明けました。
「朝ドラ、ヒロインのオファーが来ちゃった」
安藤和津さんは、
「えーっ! 凄いじゃない」
でも、安藤サクラさんは、
「私、できない……」
子どもを産んだら、仕事はできるだけセーブするつもりだった安藤サクラさん。
しかし、奥田瑛二さんは、
「絶対にやったほうがいい。子育ては任せておけ。ジイジとバアバで育てたっていいんだ」
安藤和津さんや姉・桃子さんも、夫・柄本佑さんも、後押ししてくれました。
ファミリー一丸の応援を得て2018年1月、安藤サクラさんは涙ながらに、ヒロイン決定の記者会見に臨みました。
「お話を頂いてから、すごくたくさんのことを考えて、たくさんの時間を使って、悩んで、覚悟を決めてきました。そうして、ここに立っていることが、何てありがたいんだろうと思って、ちょっと泣けてきました」
ファミリーの愛に包まれて、朝ドラ99作目にして初の育児ヒロインになった安藤サクラさん。
インスタントラーメンを生みだした安藤百福の妻のモデルです。まさに、安藤つながり。
そんな安藤サクラさんを、これからもずっと応援してゆきたいと思います。
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