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プロ野球「読売ジャイアンツ」の終身名誉監督で国民栄誉賞を受賞した“ミスター(プロ野球)”こと長嶋茂雄(ながしま・しげお)さん(82歳)が極秘で緊急入院したとの報道が8月9日、なされました。
御年82歳。何かあったらと思うと心配ですよね。14年前、あの脳梗塞(のうこうそく)から奇跡の復活を果たしたように、今度も帰ってきてください。太陽のように明るい不死身の“ミスター”が死ぬもんですか。長嶋茂雄さんの回復を願って、倒れた病気や容体、それと付ききりで看病する次女・三奈(みな)さん(50歳)と、長嶋茂雄さんの第1子にして長男・一茂(かずしげ)さん(52歳)の確執の噂などを緊急リサーチしてみました。
7月上旬ゴルフ大会欠席、下旬に入院
報道によると、長嶋茂雄さんは7月8日(日)、男子プロゴルフトーナメント「長嶋茂雄招待セガサミーカップ」(北海道・千歳市〈ザ・ノースカントリーゴルフクラブ〉)で行われた最終日、恒例の1番ホールでの各出場選手のスタート見送りを欠席しました。
「長嶋茂雄招待セガサミーカップ」は2007年に創設されましたが、長嶋茂雄さんが欠席したのは初めてでした。
主催者側からは「風邪の影響」と説明されましたが、その後、回復したという話は聞かれません。
当日、取材に当たったゴルフ記者や、スポーツ記者らから疑問の声が上がったと聞きます。
実は、長嶋茂雄さんは、単なる「風邪」なんかではなくて、もっと思い病気に罹(かか)っておられたのでした。
関係者の話を総合すると、7月中旬頃、長嶋茂雄さんは東京都心にある大学病院に運び込まれました。
プロテニスプレーヤー錦織圭(にしこり・けい)選手(28歳)や、フィギュアスケートの羽生結弦(はにゅう・ゆづる)選手(23歳)らVIPアスリートも通うセキュリティー万全の病院とのことなので、ほぼ慶応義塾大学病院で間違いないでしょう。
慶応義塾大学病院にはスポーツ医学総合センターがありますからね。
長嶋茂雄さんも、かかりつけの病院です。
長嶋茂雄さんは今回、最上層の病室に入院したとありますので、3号館6階の特室1(1日の料金19万4400円・税込み)に入っておられるのかもしれませんね。
胆汁が腸に流れてゆかず……一進一退の病状
長嶋茂雄さんの症状は、
「高熱が続き、我慢できないほどの腹痛」
と訴えて、内科に罹(かか)りました。
内科では、長嶋茂雄さんが白目や肌が黄色くなる黄疸(おうだん)の症状が出ていたので、緊急で検査を行いました。
その結果、肝臓のすぐ近くにある胆嚢(たんのう)の状態が悪いと判明しました。
消化液の胆汁(たんじゅう)は肝臓で作られて、胆嚢に蓄(たくわ)えられます。
食事をすると、十二指腸からコレシストキニンというホルモンが出て、胆汁は、胆嚢から十二指腸へと流れてゆきます。
長嶋茂雄さんの場合、胆嚢の働きが低下し、胆汁が十二指腸に流れてゆかない状態です。
胆汁が逆流して肝臓に溜(た)まってしまい、黄疸の症状が出たと見られています。
また、胆嚢の中に胆汁が石化した胆石が出来てしまっています。
それだけなら、実は大したことがないんです。
高齢者の5人に1人は、胆石を持っているからです。
しかし、胆石が、胆嚢と十二指腸を結ぶ管(胆管)に詰まってしまったら大変です。
(1)まず腹痛、背中の痛み、発熱などの症状を起こします。
(2)さらに、胆汁が十二指腸に流れてゆかなくなるので、肝臓に逆流してしまいます。
(3)肝臓に溜まった胆汁は、血液に溶け出すので、脳やその他の臓器に悪影響を及ぼします。
(4)眼球や肌が黄色くなり、全身にかゆみが出て、押さえられなくなります。
(5)もっと重症化すると、肝臓の細胞が壊れ始め、意識が混濁してゆきます。
以上の症状の進行程度から、長嶋茂雄さんは(4)の段階にいるのだと推測されます。
7月中旬に入院して、すぐに処置が施された長嶋茂雄さんですが、いまだに病状は一進一退を繰り返しています。
ちゃんと処置したはずなのに、なぜ、黄疸の症状が収まらないのか。
“ミスター”といえど、もう82歳です。
高齢で、肝臓や胆嚢自体の動きが鈍くなっているのかもしれません。
医療スタッフたちは、どうにか治療の糸口を発見しようと、懸命に手探りしているところです。
復帰時期を巡り、一茂と三奈が対立
さて、長嶋茂雄さんが前回、病気に倒れたのは2004年3月4日でした。
東京都大田区(おおたく)田園調布(でんえんちょうふ)の自宅に迎えに行った運転手さんが、約束の時刻を2時間すぎても現れません。
不審に思った運転手さんが思い切って、自宅に入ると、長嶋茂雄さんは自室で意識朦朧となって倒れていました。
運転手さんは驚いたものの、機転を利かせて、救急車は呼びませんでした。
そのまま、長嶋茂雄さんを背負って、車で大学病院に急行しました。
診断は脳梗塞で、重篤な状態でした。
一命は取り留めたものの、右半身にマヒが残り、言葉も出づらくなりました。
しかし、厳しいリハビリを続けた結果、長嶋茂雄さんは右手が自分で動かせるようになり、言葉もはっきりしてきました。
ところが、長嶋茂雄さんの回復とは裏腹に、家族の間に“すきま風”が吹き始めるようになりました。
特に、長男・一茂さんと次女・三奈さんの対立が鮮明化してゆきました。
一茂さんは、少しでも早く長嶋茂雄さんを公の場に出して、元気な姿を見せて、多くのファンを安心させてあげたいと考えました。
一方、三奈さんは、長嶋茂雄さんの名誉やプライドを重んじて、完全に回復するまで人前には立たせたくない考えです。
しかし結局、発病から1年3カ月29日後の2005年7月3日、長嶋茂雄さんは東京ドームで行われた巨人―広島戦に姿を現し、大歓声を浴びました。
一茂さんは当時、巨人球団特別代表補佐を務めており、プロ野球人気回復をもくろむ読売グループの要請を断れなかったと見られています。
それまで、ほぼ24時間、付きっきりで看病していた三奈さんは、球場に姿を見せませんでした。
代わりに、主治医を含む4人の医師が、長嶋茂雄さんに付き添ったのでした。
商標登録で行き違い、兄妹に深刻な亀裂
2007年9月、長嶋茂雄さんの亜希子夫人が、心不全のため、急死しました。享年64。
それまでは、亜希子夫人が何かと、一茂さんと三奈さんとの間のクッション役になっていました。
それが、なくなっちゃったんですね。
亜希子夫人に代わって、三奈さんが長嶋茂雄さんの個人事務所「オフィスエヌ」を継ぎました。
ところが、少しして、一茂さんの個人事務所「ナガシマ企画」が「長嶋茂雄」の商標登録を申請していたことが分かったんです。
そもそも「長嶋茂雄」の商標は、2011年3月に「オフィスエヌ」が取得・登録しています。
またも行き違い、亀裂が生まれてしまったんですね。
それまで、双子の娘を連れて、しばしば田園調布の長嶋茂雄邸を訪ねていた一茂さん。
まるで張り合うように、今度は三奈さんが足繁く通うようになりました。
結果的に、一茂さんの足は遠のきました。
長嶋茂雄さんは、せっかくの孫に会えなくなったうえ、兄妹の対立の深さに、かなり心を痛めていたみたいです。
今、長嶋茂雄さんの病室には、三奈さんが付きっきりで看病している状態です。
三奈さんは8月13日(月)、「熱闘甲子園」(テレビ朝日系)で北海道日本ハムファイターズの栗山英樹(くりやま・ひでき)監督(57歳)と、7年ぶりにコンビで1夜限りの復活出演を果たしました。
番組では、三奈さんは当日に甲子園取材をしていたほか、特集で事前に高知商の山中大河(やまなか・たいが)キャプテンへの取材・インタビューも行っていました。
表向きは、明るく爽(さわ)やかにふるまっていた三奈さんですが、心の中では父・長嶋茂雄さんの病状を心配していたに違いありません。
対照的に、今最も忙しいタレントの一茂さんは、病室に顔を出していない状況です。
東京五輪の聖火ランナーが夢
長嶋茂雄さんは、亜希子夫人と1964年の東京五輪がきっかけで知り合いました。
2004年のアテネ五輪は、脳梗塞で倒れるまでは、長嶋茂雄さんが監督として指揮を執っていました。
それほどまでに、五輪への思い入れが強い長嶋茂雄さん。
実は、長嶋茂雄さんは2020年東京五輪での聖火ランナーを目標にしていました。
そのために、長嶋茂雄さんはリハビリで汗を流し続けてきたんです。
「巨人軍は永遠に不滅です」と引退セレモニーで、言葉を残した長嶋茂雄さん。
そんな燃える男が、ここで力尽きるわけがありません。
“ミスター”長嶋茂雄さんの復活を心から祈っております。
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