栗城史多(くりきのぶかず)が遭難死!エベレスト8度目の挑戦も無念












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エベレスト登頂を目指している登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さん(35歳)が5月21日、下山途中で死亡しました。栗城史多さんは4月17日から通算8度目のエベレスト登頂を目指していました。

過去のエベレスト登頂失敗で、指9本を失っていた栗城史多さん。それなのにエベレストを再び挑み、山頂からのインターネット中継を目指していた栗城史多さんの勇気、男気、生き方を緊急リサーチしてみました。

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7大陸の最高峰6に登頂、残すはエベレスト

氏名:栗城史多(くりき・のぶかず)
生年月日:1982年6月9日
没年月日:2018年5月21日(享年35)
出身地:北海道檜山(ひやま)振興局瀬棚郡(せたなぐん)今金町(いまかねちょう)
家族:父・敏雄(としお)さん(75歳)
学歴:北海道立檜山北高等学校(偏差値41)卒業、札幌国際大学人文社会学部(偏差値41~46)社会学科卒業
活動歴:2002年~2018年

栗城史多さんは札幌国際大学に入学後、山岳部に入りました。

大学2年で本格的な登山を始め、2004年、22歳のときに北米最高峰のマッキンリー(標高6194メートル)に登頂しました。

さらに2005年、南米最高峰アコンカグア(標高6959メートル)、ヨーロッパ最高峰エルブルース(5642メートル)、アフリカ最高峰キリマンジャロ(5895メートル)登頂。

2006年、オセアニア最高峰カルステンツ・ピラミッド(4884メートル)登頂。

2007年、南極大陸最高峰ビンソンマシフ(4892メートル)と世界7大陸のうち、六つの最高峰に登頂を成功させました。

最後に残されたのが、今回、下山中に命を失った世界とアジアの最高峰エベレスト(標高8848メートル)でした。

無線連絡取れず、撮影隊が栗城史多さんの遺体発見

栗城史多さんは今回、ネパール側から単独でエベレスト登頂にアタックしました。

しかし、体調不良から7400メートルで登頂を断念、下山を開始しました。

栗城史多さんの公式ブログには、5月21日付で「下山します」という記事が投稿されています。

(栗城中継班より)
栗城は体調が悪く、7400m地点から下山することになりました。

今後の行動は未定で、栗城が無事に下山して状況がわかり次第、お知らせいたします。

関係者らによると、栗城史多さんは下山を開始した直後に無線連絡が取れなくなり、下から見ても、ヘッドランプの光が見つからないことから、キャンプ2(標高6400メートル)に待機していた撮影隊が、同じルートをたどって捜索を開始。

5月21日の朝になって、栗城史多さんは、キャンプ3(標高7400メートル)付近で倒れているのが発見され、低体温での死亡が確認されました。

栗城史多さんの遺体は首都カトマンズに搬送され、日本大使館員が本人確認をする予定です。

栗城史多さんは、小型カメラを使って、インターネットで動画配信しながら登ることで知られています。

今回も、途中まで登山の様子が撮影・配信されていました。

栗城事務所のスタッフは、公式ブログの「栗城についてご報告」という記事で、

生きて帰ることを誓っておりましたのに、
このような結果になり大変申し訳ございません。

と記しています。

栗城史多さんの死を悼む声が続々

栗城史多さんは2012年8月、4度目のエベレスト挑戦を行いました。

キャンプ2に達した時点で、人さし指が凍傷に罹患(りかん)していましたが、登頂を続行。

キャンプ4(7500メートル)から最終アタックに出発したものの、強風のため、登頂を断念しました。

さらに凍傷が悪化し、キャンプ4からの自力下山も不可能になり、シェルパによってキャンプ2まで下ろされ、ヘリコプターで病院に搬送されました。

結果的に、このときの凍傷が原因で、両手の指9本を失ってしまいました。

しかし、栗城史多さんは怯(ひる)むことなく、3年後の2015年に5度目、2016年に6度目、2017年に7度目の挑戦をし続け、2018年8度目の挑戦で無念にも息を引き取ったのでした。

そこまでして、エベレストに挑み続けたのはなぜか。

栗城史多さんは公式サイトで、こんな文章を書いています。

今まで山を登ってきて最も心に残っているのは、登頂した山よりも登ることができなかった山の方かもしれません。

それは決して苦い思い出としてではなく、自然の偉大さに触れ、謙虚さ、優しさを教えてくれました。

つまり、何かに挑戦するということは、成功・失敗、勝ち・負けを超えた世界が必ずあるということです。

まさに、栗城史多さんのスピリット、勇気、生き方を、まるごと表現しています。

栗城史多さんの訃報を受けて、各界から死を悼む声が上がっています。

栗城さんと親交があった作家の乙武洋匡氏はツイッターで、

「悲しい。ただただ悲しい。栗城さん、もっとたくさんお話ししたかったよ…」

脳科学者・茂木健一郎氏も、ツイッターで、

「栗城さん、どうか、無事でいてください」

「誤報であってほしい。。。」とツイートし、さらに、

薄い空気、恐ろしい強風、富士山で知った山の厳しさ

個人的な話で恐縮ですが、わたし自身、2011年に富士山(3767メートル)にツアーで登頂したことがあります。

3000メートルを超すと、さすがに空気が薄くなって、頭がぼんやりして、軽く頭痛がしていたのを思い出します。

本8合目の山小屋に夕方到着して、夕食を取り、窮屈な寝床で横になります。

それでも寝られたもんじゃありません。

午前1時に山小屋を出発して、ヘッドランプの明かりを頼りに、頂上を目指しました。

9合目を過ぎると、俗に言う“胸突き八丁”で、岩をはい上がる感じです。

耳元では、強風の荒れ狂う音が、悪魔の叫びのように鳴り響きます。

本当に、凄まじい世界でした。

途中、落ちてきた岩に当たって、中国の登山者たちが負傷して、救助を待っていました。

ツアー参加者の一人が、大学の山岳部で本格的に登山を経験した人だったのですが、

「日本人として、けがをした中国の登山者を見捨てては行けない」

と、ご自分は登頂を断念して、居残って、負傷者らに付き添ってくれたのです。

もしかしたら、転がってきた岩に当たったのは、中国人グループではなく、わたしたちだったのかもしれないのです。

山の恐ろしさ、厳しさを、これほど実感したことはありません。

しかし、そうまでして乗り越えた、富士山頂での景色は、息をのむほど美しかったです。

一生、忘れることはありません。

栗城史多さんも、そんな美しい景色をどうしても見たくって、インターネット中継でエベレストに来られない子どもたちやお年寄りに、見せてあげたかったのかもしれませんね。

不世出の登山家を失って、悲しむばかりです。

今はただ、栗城史多さんのご冥福(めいふく)を、心からお祈りしています。

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