西城秀樹の死因になった病気は?嫁と子供や在日の噂や本名を検証!












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「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN」など数々のヒット曲で知られる歌手・西城秀樹(さいじょう・ひでき、本名・木本龍雄=きもと・たつお)さん(63歳)が5月16日午後11時53分、急性心不全のため、横浜市内の病院で亡くなったと、17日に明らかにされました。

昭和を代表するポップ歌手で、元祖二枚目キャラだった西城秀樹さん。西城秀樹さんを死の引き金となった病気や嫁と子供、さらには在日の噂や本名を緊急リサーチしました。

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脳梗塞から復活2度も、ついに帰らず

芸名:西城秀樹(さいじょう・ひでき)
本名:木本龍雄(きもと・たつお)
生年月日:1955年4月13日
没年月日:2018年5月16日(享年63)
出身地:広島市東区東蟹屋町(ひがしかにやちょう)
家族:妻・美紀さん(46歳)、長女・莉子さん(15歳)、長男・慎之介さん(14歳)、次男・悠天さん(13歳)
学歴:私立山陽高等学校(偏差値39~44)入学、1年時に明治大学付属中野高等学校定時制(現在は廃止)に転校・卒業
身長:181センチ
血液型:AB型
活動期間:1972年~2018年
所属事務所:アースコーポレーション(東京都渋谷区西原3丁目1-4 市川ビル3F)

西城秀樹さんは2003年、韓国でのディナーショーの後、脳梗塞(のうこうそく)を発症しています。

うまく言葉を発音できない障害に襲われながら、執念のリハビリで復帰しました。

ステージにも立ちましたが、2011年に脳梗塞を再発し、右半身が不随となっていました。

2018年の4月25日に病院に入院しましたが、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

通夜は5月25日18:00から、葬儀・告別式は26日11:00から、東京・青山葬儀所で執り行われます。

まずは、ご冥福(めいふく)をお祈りいたします。

紅白出場18回…「ヒデキ、感激!」昭和を駆け抜けたアイドル

さて、西城秀樹さんといえば、米軍岩国基地(山口県岩国市)に近い広島市出身、ジャズ好きのお父さんやロック好きのお兄さんたちの影響で、物心ついたころから洋楽を聴き始めました。

ロック華やかなりし1966年、小学5年生で兄とエレキバンドを組み、ご自分はドラムスを担当しました。

高校1年時の1971年、ジャズ喫茶で演奏していた際に偶然、スカウトされました。

頑固で厳しい父親の猛反対を押し切って、家出同然で上京、当初は芸能プロダクション〈芸映〉(東京都目黒区)に所属して、1972年3月にシングル「恋する季節」(作詞・麻生たかし、作曲・筒美京平)でデビューしました。

瞬く間にスターダムを駆け上り、郷ひろみさん(62歳)、野口五郎さん(62歳)と共に「新御三家」と呼ばれ、トップアイドルとなりました。

1974年から2001年にかけて、NHK紅白歌合戦に出場18回。

日本レコード大賞歌唱賞を受賞3回。

テレビドラマ「寺内貫太郎一家」(1974年、TBS系列)、映画『愛と誠』(1974年)と人気作に出演しました。

また、1973年から85年まで、ハウス食品「バーモントカレー」のCMに出演し、「ヒデキ、感激!」などのキャッチフレーズで一世を風靡(ふうび)しました。

高身長の181センチ、長い足、ワイルドな長髪といった、昭和を代表するアイドル歌手でしたね。

韓国名「李龍雄」という西城秀樹の在日説を検証

そんな西城秀樹さんですが、日本人離れしたスタイルやルックスから、在日韓国人ではないかと噂されたこともあります。

調べてみると、出身地の広島市東区東蟹屋町は、JR広島駅に程近い盛り場ですね。

西城秀樹さんのご実家は、そこでパチンコ店を営んでいました。

韓国名は「李龍雄」と言われていますね。

広島県や山口県、それに福岡県は地理的に韓国に近いので、在日の方が結構おられますね。

山口県下関市出身の俳優・松田優作(まつだ・ゆうさく)さん(1949~89、享年40)、広島市出身の矢沢永吉(やざわ・えいきち)さん(68歳)、北九州市出身の伊原剛志(いはら・つよし)さん(54歳)らも朝鮮半島にルーツのある方たちです。

その流れから言えば、西城秀樹さんも朝鮮半島にルーツを持つ方だったのかもしれませんね。

ただし、いまだに日本国籍を取得していたかどうかは、はっきりとは分かりませんでした。

「官報」に記載される日本国籍取得者の名には「李龍雄」という人物は見当たりません。
代わりに、1975年12月10日付の「官報」に、

李乙龍(木本龍雄)昭和30年(1955)4月13日生 東京都港区

という日本国籍取得者の名があります。日本名と生年月日はピッタリ一致しているので、おそらくこの時期に西城秀樹さんは、日本国籍を取得したのでしょうね。

しかし、西城秀樹さんご自身は、反日感情などはまったく持ち合わせていない人でした。

むしろ逆に1988年、ソウル五輪前夜祭にはチョー・ヨンピルさん(68歳)らと出演、日本語の歌謡が禁止されていた韓国で、初めて電波に乗った日本語の歌「傷だらけのローラ」を歌いました。

むしろ、日本を愛していた人と言っても、過言ではないでしょう。

昭和を代表するスターだった西城秀樹さんの安らかな眠りを祈ってやみません。

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