石川昂弥(たかや)の東邦が夏の甲子園大暴れ?彼女や意中の球団は!












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2017年4月、名古屋市の野球名門校・東邦(とうほう)高校に逸材と言われる石川昂弥(いしかわ・たかや)選手が、入学しました。早ければ、この夏、甲子園に初登場、大暴れする可能性があります。

高校野球ファン大注目! そんなプロ注目の石川昂弥選手の生い立ちや家族、彼女の噂や、意中のプロ球団などをいち早くリサーチしてみました。

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両親とも東邦高校出身

本名:石川昂弥(いしかわ・たかや)
出身地:愛知県半田(はんだ)市
生年月日:2001年6月(15歳)
家族:父・尋貴(ひろたか)さん(45)、母・由香子(ゆかこ)さん(44)、弟
身長:185センチ(2017年4月時点)
体重:72キロ(2017年4月時点)
投打:右投げ右打ち
守備:投手、遊撃手
学歴:愛知県半田市立有脇(ありわき)小学校卒、半田市立亀崎(かめざき)中学校卒、私立東邦高等学校(偏差値52~49)1年在学中
球歴:ツースリー大府(おおぶ)、知多(ちた)ボーイズ

石川昂弥選手は2001年6月、自動車会社に勤める父・尋貴さんと母・由香子さんの間の長男として生まれました。

尋貴さん自身、身長181センチの巨漢で、高校時代は、東邦高校で野球部に在籍していたそうです。

世代的にいって、尋貴さんは、中日ドラゴンズと広島東洋カープに在籍していた元プロ野球選手の山田喜久夫(やまだ・きくお)さん(45)の同期ですね。

山田喜久夫さんのいた頃の東邦高校と言えば、山田喜久夫さんは入学直後の1年からエースを務め、1988年春に第60回選抜高等学校野球大会に出場して、準優勝しています。ちなみに、このときに優勝したのは、故・上甲正典(じょうこう・まさのり、1947~2014年、享年67)監督率いる愛媛県代表の愛媛県立宇和島東(うわじまひがし)高校です。宇和島東高校は、春の選抜初出場で初優勝の快挙でした。

雪辱を期して翌1989年の第61回選抜高等学校野球大会では、山田喜久夫さんのいた東邦高校は見事、優勝を果たしています。延長10回、3-2のサヨナラ勝ち、相手校は大阪府代表の上宮(うえのみや)高校で、チームには元中日、横浜、西武の種田仁(たねだ・ひとし)さん(46)、元巨人の元木大介(もとき・だいすけ)さん(45)なんかがいましたね。

そんな東邦高校の黄金期に野球部に在籍していた尋貴さんですが、捕手としてベンチ入りできず、甲子園ではアルプス席で声援を送っていたそうです。

あ~、あるあるですね~。1989年当時、甲子園のベンチ入りメンバーは1チーム15人。レギュラー9人に対して、控え6人ですよね。このうち半分の3人が投手として、残りは3人。内野手、外野手、捕手がそれぞれ1。つまり、チームのうち捕手は2人しかベンチに入れません。下手したら、捕手兼任の内野手だったりしますからね。

お父さんの尋貴さんの無念は、いかばかりだったか、分かるような気がします。

お母さんの由香子さんも、東邦高校の1年後輩だったそうです。

お二人の出会いやなれそめは、ちょっと不明なんですが、めでたくご結婚して、長男の昂弥さんを授かったそうです。

野球の英才教育

石川昂弥さんが生まれてほどなく、父の尋貴さんは、昂弥さんに野球を始めさせます。まずは、野球のボールに触れさせることから。

昂弥さんが保育園に入ると、年長組(満5歳、来春に小学校入学予定児)の子どもたちを対象にした野球教室に参加させ、さらに野球に触れさせたそうです。

石川昂弥さんも、やっぱりお父さんのDNAを受け継いだんでしょうか、小さいころから野球ひとすじで、サッカーやバスケットボールには眼もくれなかったみたいですよ。やっぱり、もって生まれた性質なんでしょうかねえ。

さらに、石川昂弥さんが有脇小学校2年になると、地元で最も厳しいと評判の少年野球チーム〈ツースリー大府〉に入れました。

今も〈ツースリー大府〉の監督を務める下村勉さん(62)は、「鬼の阪口」と異名を取った東邦高校野球部の元監督、阪口慶三(さかぐち・けいぞう)さん(72)=現・大垣日大高校監督=に徹底的にしごかれた世代です。

愛知大学を卒業後、22歳で母校・東邦高校の監督になった阪口慶三さんは毎日、4キロのウサギ跳びを選手に課す鬼監督でした。ひえ~、怖っ!

その流れをくむ下村勉監督は、土日や祝日の休みはほぼ一日中、練習か試合漬け。子どもたちがエラーしたり、危険なプレーをしようものなら、語気鋭くしかり飛ばす熱血指導ぶりだそうです。

石川昂弥さんは、どうも性格的に、そういうチームは苦手だったみたいなんですが、お父さんの尋貴さんが「どうせ、将来も野球を続けるのなら、まだ小さいうちに徹底的な厳しさを経験しておくことが大事」と考えて、〈ツースリー大府〉に入れたみたいですね。

石川昂弥さんも、鬼コーチにおびえながらも、どうにか〈ツースリー大府〉で野球を続けていったそうです。

当時の石川昂弥さんのポジションは、投手と内野手の二刀流で、全身をめいっぱいに使い、すでに130キロ台のストレートを投げ込んでいたそうです。

これって、どんなにすごいことかと申しますと……平均的な高校生投手の投げる球は、120~130キロほど。130~140キロの球速を投げられれば好投手、140キロ以上を投げられたら超高校級投手、150キロ以上ならプロの即戦力投手と言っても、過言じゃないです。

なので、石川昂弥さんは小学生にして、並の高校生投手以上だったわけですよ。これは、もうほんと、マジにすごいですって。

努力が実ったおかげで、石川昂弥さんは2013年、小学校6年のとき、札幌ドームで開かれたプロ野球12球団のジュニアチームが優勝を争う〈NPB 12球団ジュニアトーナメント ENEOS CUP 2013〉にドラゴンズジュニアの一員として出場します。石川昂弥さんは背番号6、ショートのレギュラーでした。

しかし、このときの大会、石川昂弥さんのドラゴンズジュニアは初戦のタイガースジュニアにサヨナラ勝ちしましたが、次戦のジャイアンツジュニアに2-0の完封負け。決勝トーナメント進出を逃してしまいました。

それに奮起したか、石川昂弥さんはさらなるレベルアップを図るべく、父の尋貴さんと相談して、知多ボーイズの練習の傍ら〈野球道場メジャー〉という野球スクールに通い始めます。

〈野球道場メジャー〉の指導者は3人とも東邦高校のOBで、中でも経営者の戸田幸男さん(62)は甲子園出場2回、名古屋商科大でも野球を続けた人です。

そんな野球スクールで、石川昂弥選手はバッティングやピッチングの個人練習を重ねました。

その甲斐(かい)あって2016年8月、石川昂弥選手は野茂(のも)ジャパンのメンバーに選ばれ、米国への遠征も経験しました。

その頃になるともう、石川昂弥選手は愛知県の野球界では名が知られるようになり、父の尋貴さんは、会う人から「昂弥は、やはり東邦に入れるんだろう?」と聞かれるようになります。

ちなみに、東邦高校の野球部の森田泰弘監督(48)は、かつて阪口慶三・元監督の下でコーチとして尋貴さんを鍛えた人。親子2代で野球の指導を受けることになったわけで、気心もだいぶ知れているでしょう。

愛知県には愛知私学4強といって、東邦高校のほかに、楽天イーグルスの嶋基宏(しま・もとひろ)選手(32)の中京大中京(ちゅうきょうだいちゅきょう)、大リーグのマイアミ・マーリンズのイチロー選手(43)の母校でもある愛工大明電(あいこうだいめいでん)、中日の大島洋平(おおしま・ようへい)外野手(31)らが輩出した享栄(きょうえい)の強豪高校が4校あります。

余談ですが、戦前から私学4強が強かった愛知県の高校野球界。他県と違って、高野連の理事長ら役職者は、もっぱら私学4強出身者が占めるんですよ。ちょっと、他県じゃ考えられないですよね。

両親とも東邦高校卒で、周りの野球指導者も東邦高校で占められた石川昂弥選手に取って、東邦以外の3校への進学は全くありえなかったでしょう。ましてや、愛知県外への進学は全く考えられなかったはずです。

それでも、2017年春の選抜高校野球大会で優勝した大阪桐蔭高校の西谷浩一(にしたに・こういち)監督(47)に2016年、何度も熱心に進学を勧誘されたそうです。西谷浩一監督が眼をつけるぐらいですから、石川昂弥選手の素質は、本物なのでしょうね。

そんな自然な流れの中で、石川昂弥選手は2017年春、東邦高校に進みました。

早ければ、こんな夏の甲子園に内野手としての出場を目指しています。

石川昂弥選手の意中の球団はドラゴンズ

プロ野球関係者である中日ドラゴンズの少年野球指導担当、水谷啓昭(みずたに・ひろあき)さん(63)は、石川昂弥選手の才能を高く評価しています。

「1年からレギュラーになれる力があります。バットの振りも鋭い。強肩で、投手としても球威があります。プロ野球なら、巨人の坂本勇人(さかもと・はやと)みたいな内野手になれる可能性があります」

やはり東邦高校OBの水谷啓昭さんは駒大、新日鉄名古屋を経て、投手として1979年から1983年まで中日ドラゴンズでプレー。引退後は中日ドラゴンズで投手コーチやスカウトを歴任。

もちろん、水谷啓昭さんは、石川昂弥選手とはお父さんの尋貴さんも含めて交流があります。そんな流れから、石川昂弥選手のあこがれの球団は、中日ドラゴンズであると容易に推測がつきます。ていうか、愛知県の野球少年で、超人気球団の中日ドラゴンズがあこがれでない子って、まずいないんです。

よって、意中の球団は、中日ドラゴンズと決定!

課題は食の細さ

しかし、石川昂弥選手にも課題があります。まだ成長期にあって、食が細いのだそうです。お母さんの由香子さんの話では、油っこい物が苦手で、ご飯も量が少ないみたいですね。

確かに、見た感じ、ひょろっとしていますね。普通の人なら十分な体形ですが、プロ野球選手になるならもう少しガッチリしたいところですよね。

同クラスになれると評価された坂本勇人選手(28)は身長186センチで、石川昂弥さんとほぼ変わらないのに、体重は86キロと、72キロの石川昂弥さんをはるかに上回っています。

石川昂弥さん、もっといっぱい食べて、大きな身体をつくってくださいね。

二刀流の先輩、北海道日本ハムファイターズの大谷翔平(おおたに・しょうへい)選手(22)は、岩手県の花巻東(はなまきひがし)高校入学時に身長183センチ、体重は何と65キロでした。

大谷翔平選手は、あまり、ご飯を食べられない体質で、中学生の時はちゃわん1杯分しか食べられなかったそうです。

それを佐々木洋(ささき・ひろし)監督に一食につきドンブリ3杯、一日10杯のノルマを課せられ、ドラフト指名時には身長193センチ、体重85キロにまでなっていたのです。トッププロとなった今は、体重100キロです。

石川昂弥選手も、大谷翔平選手を見習って、もっともっと食べまくってくださいね。そして、この夏、甲子園で大暴れする姿を見せてくださいね。

彼女の存在は

さて、そんな石川昂弥選手、まだ正式な彼女はいないみたいです。もっとも、イマドキの子ですし、モテないはずがないので、水面下では女子の争奪戦があったかもしれません(笑)。

ミニ情報ですが、愛工大明電や享栄と違って、東邦高校と中京大中京には野球部の寮がありません。必然的に、自宅通学になります。

また、野球部の練習グラウンドは、名古屋東郊の東郷町(とうごうちょう)にあります。最寄り駅は名鉄豊田線の黒笹(くろざさ)駅です。

東郷町のグラウンドから自宅がある半田市に帰るには、名鉄豊田線と名古屋市営地下鉄名城線を乗り継いで、名鉄名古屋本線の金山(かなやま)駅まで出る必要があります。金山から一本で知多半田駅で下車になりますが、全行程で1時間半以上はかかる長距離通学になります。

基本的に、ご両親の車での送迎になると思うのですが、時には電車の乗り継ぎで帰宅しなければならないでしょう。

まあ、行きの登校は、知多半田から名鉄名古屋まで40分ぐらいなので比較的、楽ではありますが。

なので、自宅通学とはいえ、彼女をつくっている暇はないでしょうね。でも、逆に考えれば、内緒ですが、電車通学時に知り合えるチャンスはあるかも!?デス。あ、そこの君、これはあくまで、ワタクシの想像ですからね。真に受けないように(苦笑)。

順調に行けば、2019年のドラフト会議の目玉になる石川昂弥選手。それまでに絶対に、甲子園で優勝を勝ち取ってください。心から、応援しています。

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