佐藤寛一郎の役者デビューは父のコネ?家族や彼女に学歴も調査!












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佐藤浩市(さとう・こういち)さん(55)の長男、佐藤寛一郎(かんいちろう)さん(20)が来年、映画で役者デビューする予定です。
大物俳優の息子さんがまたもデビュー。それって親のコネ? 七光り? 学歴は?

父親の血を受け継いだイケメンですが、ほとんど情報が上がってきません。どんな人なのか気になりますよね。そこで、あなたに代わってリサーチしてみました。

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極秘デビューのわけは?

大正時代の日本を舞台に、理想を追い求めるアナキストと、かつて盛んだった女相撲の力士との交流を描いた、来年公開の映画『菊とギロチン』(瀬々敬久=ぜぜ・たかひさ=監督)の主要キャストがこのほど、決まりました。

ヒロインに映画初主演の木竜麻生(きりゅう・まい)さん(22)、共演に東出昌大(ひがしで・まさひろ)さん(28)、井浦新(いうら・あらた)さん(42)といった豪華キャストに交じって、アナキスト古田大次郎役に佐藤寛一郎さんの名がありました。

佐藤寛一郎さんは名優・三國連太郎(みくに・れんたろう)さん(1923~2013、享年90)の孫で、佐藤浩市さんの長男です。父子3代の俳優デビューになります。

実は、このことは当初、厳重に伏せられていたそうです。佐藤浩市さんと佐藤寛一郎さんからのたっての希望だったそうです。

というのも、三國連太郎という名優を父に持つ佐藤浩市さんには、偉大な父と同じ道に進む重圧を、誰よりも分かっていたからではないでしょうか。

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佐藤浩市さんは小学6年のとき、両親が離婚。三國連太郎さんは、佐藤浩市さんに、

「ここでお前と別れる。今日から他人になる。一切関係を断つ。これから一人で、一生懸命生きてくれ」

と言い置いて、家を出て行ったそうです。

その後、母親に内縁の夫ができた佐藤浩市さんは、実家に居づらくなり、高2で一人暮らしに。喫茶店でアルバイトをしながら、映画の専門学校に通いました。

やがて、父と同じ役者の道を志した佐藤浩市さんは、地下鉄早稲田駅で三國連太郎さんと待ち合わせ、「役者をやりたい」と告げたそうです。

しかし、三國連太郎さんは「そうか」とだけ言い残して、立ち去りました。以後、三國連太郎さんが佐藤浩市さんを手助けする、便宜を図るといったことは一切なかったそうです。

それは三國連太郎さんが冷酷な人間というより、真に役者としての成功を願った行動にも思えます。

佐藤浩市さんも今回、同じ思いで、佐藤寛一郎さんの役者デビューをあえて突き放したのではないでしょうか。

しかし、佐藤浩市さんと三國連太郎さんに確執が残りました。

1996年公開の映画『美味しんぼ』の製作会見では、お互いに「三國さん」「佐藤くん」と他人のように呼び合いました。

さらに、佐藤浩市さんが「俳優はサービス業」と発言すると、三國連太郎さんが「サービス業などという考え方は間違っている」と言い放ち、共演の羽田美智子(はた・みちこ)さん(48)も押し黙るほど、一気に険悪な雰囲気になってしまいました。

同じ頃、佐藤浩市さんは2番目の妻で、舞台俳優だった広田亜矢子(ひろた・あやこ)さんとの間に長男、佐藤寛一郎さんが生まれました。

「子はかすがい」とはよく言ったもので、三國連太郎さんは孫が生まれると頑なな態度が一気に解けました。

三國連太郎さんは、幼い佐藤寛一郎さんに自分を「レンちゃん」と呼ばせて、佐藤浩市さんが「カン」と呼ぶ息子さんの誕生日や運動会には必ず駆け付けました。

一説には、佐藤寛一郎さんは、小学校から成城学園に進んだそうですが、2009年、小学校の卒業謝恩会で「奇跡の共演」が起こったそうです。

佐藤浩市さんの友人、三谷幸喜さん(55)が脚本を書き、三國連太郎さんと佐藤浩市さんで父子の掛け合い朗読劇が演じられたそうです。

カン君の前で、レンちゃんとパパの豪華な夢の共演に、会場は大きな笑いと感動の渦に包まれていたそうです。

もしかしたら、それがきっかけで、佐藤寛一郎さんも役者を志したのかもしれませんね。

2013年、三國連太郎さんが急性呼吸不全で亡くなると、佐藤浩市さんは葬儀で喪主を務め、「最後にまた三國連太郎に教えられた気がします」と涙ながらに挨拶(あいさつ)しました。

その傍らで、三國連太郎さんの遺影を持った佐藤寛一郎さんが、じっと聴いていました。

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その醸し出す雰囲気に引かれた映画関係者が声を掛けたのがきっかけで、佐藤寛一郎さんの役者デビューが実現したそうです。

まさに、こうなる運命だったのかもしれませんね。少なくとも、コネとは言えないと思います。

明石家さんまが“父代わり”

さて、そんな佐藤寛一郎さんですが、佐藤浩市さんの友人・明石家さんまさん(61)と“父代わり”と言えるほど非常に親しいそうです。

幼い頃から何度もオーストラリアに一緒に旅行し、父親に話せないことまでも話せる仲なのだそうです。

もしかしたら、彼女のことも相談したのかもしれません。モテモテの明石家さんまさんですから、ひょっとして女の子を紹介してくれたかも、です。

映画ロケで長期間、父親が家に不在の佐藤寛一郎さん。バツイチで男の子のいない明石家さんまさん。それぞれが、それぞれに求め合う関係だったのかもしれません。

2016年6月5日放送の「さんまのまんま」(フジテレビ系列)に佐藤浩市さんがゲスト出演した際、こんなトークがありましたヨ。

明石家さんま「カン君っていうんですけどね、なかなか、いい男なんです。男前が3代続いて、役者になるとか、ならないとか、5歳ぐらいから言ったけど、本人は『嫌だ、嫌だ』っていう日もあったしね」

佐藤浩市「僕も二十歳前に、この仕事を始めたけど、それまでは人に言われても『いや、やらないっす』って言ってたもん」

佐藤寛一郎さんは米国に短期留学し、人知れず演技の勉強を続けてきたそうです。

元々は音楽を志向していたそうなんですが、佐藤浩市さんや三國連太郎さんの映画を見るうちに、祖父と父の偉大さを知り、人を感動させられる俳優になりたいと思うようになったみたいです。

念願がかなって、映画『菊とギロチン』でのデビュー。本当によかったですね。

メガホンを取る瀬々敬久監督は、2016年公開の映画『64(ロクヨン)』で、主演の佐藤浩市さんとお互いをよく知る仲です。

しかし、佐藤浩市さんから瀬々敬久監督に、一切のアプローチはなかったそうです。

自分が三國連太郎さんから受けた“親心”を、佐藤寛一郎さんにも与えて、あえて厳しい道を進ませたのでしょう。

それは「自分で這(は)い上がってこい」という激励であり、また“佐藤浩市の息子”という看板を背負わせないようにするという意味があったのかもしれません。

奇(く)しくも父と同じ二十歳でデビューする佐藤寛一郎さん。実はもう1本の映画も撮影中だそうです。

三國連太郎、佐藤浩市の血を引くサラブレッド。父子3代の長いヒストリーを継ぐ佐藤寛一郎さんの映画公開が待ち遠しいですね。

いつの日か、父・佐藤浩市さんとの共演が見られたら、と思います。

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