宮崎緑に経歴詐称疑惑!夫や息子と有識者会議メンバーはどうなる?












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元NHKキャスターの千葉商大教授で、天皇陛下の生前退位を巡る有識者会議のメンバー、宮崎緑さん(58)の経歴詐称疑惑を、9月29日発売の「週刊文春」が報じています。

事実とすれば、由々しき事態です。社会的な信用を失っては、学者としてやっていけません。当然、有識者会議のメンバーも、大学教授の職も辞めなければならないでしょう。

宮崎緑さんの経歴詐称疑惑やプロフィール、夫と息子の現在などを緊急リサーチしてみました。

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宮崎緑のプロフィールは?

本名:宮崎緑(みやざき・みどり)
生年月日:1958年1月15日
学歴:湘南白百合小、横浜国大教育学部附属鎌倉中、神奈川県立湘南高、慶大法学部政治学科卒、慶大院法学研究科修士課程修了

宮崎緑さんは慶大政治学科の神谷不二(かみや・ふじ)ゼミ在学中から、NHK教育テレビの中高生向け教養番組「ジュニア文化シリーズ・サイエンスレーダー」のリポーターを務めていました。

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1982年4月、24歳、大学院生のとき、NHK「ニュースセンター9時」の初の女性キャスターに就きました。ちなみ、当時の男性キャスターは、木村太郎さん(78)で、宮崎さんにとって慶大政治学科の大先輩です。

当時の宮崎さんは、知的なクールビューティーで、サラリーマン世代を中心に、男性の圧倒的な人気を誇っていましたね。才色兼備という言葉が、ぴったりでした。

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宮崎さんは1988年3月まで、6年間にわたって「ニュースセンター9時」のキャスターを務めました。番組最後のキャスターでもありますね。

私生活では1988年、東大卒で87年に弁護士登録したばかりの椿康雄さん(62)と交際数カ月の電撃結婚。媒酌人は、三井物産会長だった八尋俊邦(やひろ・としくに)さん(故人)夫妻。ホテルオークラで行われた結婚披露宴には故宮沢喜一蔵相、故井深大(いぶか・まさる)ソニー名誉会長、故平岩外四(がいし)東電名誉会長ら、そうそうたる顔ぶれが並びました。

結婚1年後の1989年に一人息子が生まれると、田園調布の高級マンションから、鎌倉の実家に移り住みました。

結婚で椿姓に変わり「椿緑」という濃ゆい名前になったのを、よーく覚えております。当時は、結婚した女性が姓を変わるのは大半で、こういった例は、得てしてよく起こっておりました。わたしの知り合いにも、ヒライ・テルヨさんになっちゃった人がおります(笑)。

しかし、好事魔多し。宮崎さんは3年後の1991年、椿さんと離婚してしまいます。離婚の理由は、宮崎さんいわく「非常に嘘の多い人だったんです」というものでした。

今にして思えば、予兆だったのでしょうか、椿さんはその後、2005年後半に東証マザーズ上場の検査装置メーカー〈オー・エイチ・ティー(OHT)〉の株価を不正につり上げて株価操縦し、巨額の利益を得た疑いで2007年、逮捕状が出されます。

椿さんは2007年5月に海外に逃亡、2016年8月にタイで警察当局に拘束され、日本に送還になったニュースはまだ記憶に新しいですよね。

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他方、宮崎さん自身は1995年、発生した直後の阪神大震災で、毛皮のコートを着て取材していた、と「女性セブン」で報道がなされたのを機に、メディアに失望して去り、再び学界に戻りました。

毛皮うんぬんは全くの事実無根とはいえ、宮崎さんが小学校時代の作文で「おかっぱにしたら、クレオパトラみたいとお母さんに褒められた」と書いたのを掘り起こされ、世間の冷たい視線を浴びたのは事実です。

やっぱり、美人はつらいですね。何かとアラ探しをされては、批判を浴びる。毛皮のコートも、おかっぱも、わたしにはどうでもいいような、全く本質的でない話に聞こえるのですが。

学界に戻った宮崎さんは東工大社会工学科講師(詳細は後述)を経て、2000年に千葉商大政策情報学部助教授となり、2006年に教授、2010年に学部長、2015年から国際教養学部教授兼学部長に就任、現在に至っております。

他の公職としては、2001年、鹿児島県奄美市の〈奄美パーク〉園長と、付属の〈田中一村(いっそん)美術館〉館長を兼任。

また、神奈川県教育委員、ソニー教育財団理事、昭和シェル石油監査役なども歴任。

2015年10月、東京都教育委員に任命されています。

更に2016年9月23日、天皇陛下の生前退位を巡り「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」のメンバー6人に、政府から選ばれました。他には、今井敬・経団連名誉会長、御厨貴(みくりや・たかし)・東大名誉教授(政治学)ら、そうそうたるメンバーが選ばれています。

経歴詐称疑惑とは?

「週刊文春」が報じた経歴詐称疑惑とは、宮崎さんの「東工大講師」という経歴についてです。

既出の通り、メディアの世界に嫌気が差して去った、当時38歳の宮崎さんは、1988年以来関係のあった東工大で「講師」になります。

しかし、東工大関係者の内部告発を受けた「週刊文春」の報道によると、実際は「講師」ではなく、講義の「司会役」でしかなかったそうです。

90年代当時、有名だった熊田禎宣(くまた・よしのぶ)教授(1939~2009、享年69)の研究室に週1回ほど出入りしていたそうです。

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熊田教授は月曜日の4時限目に「計画理論概論」という講義を持っていましたが、熊田教授自身は講義には出席せず、元知事や自治体の課長らがゲストとして話をし、宮崎さんは「司会役」だっただけとか。

宮崎さん本人は、特に講義をするわけでもなく、司会進行を行って、講義のおしまいに「本日は、ありがとうございました」とあいさつするだけだったそうです。

その後、宮崎さんは、東工大時代の“恩人”教授が、千葉商大に移ると同時に、自分も助教授となりました。教授に就任後は、順調な出世を遂げ、国際教養学部長の職にも就いています。

さて、この文春報道を、学界の人間は、どう見るか。大学で働く友人に、話を聴きました。

友人によると、大学の講師には職員録にも載る正式な講師と、その時々の教授の判断で講義を手伝う、講義に参加する私的な非常勤講師がいるそうなんです。いわば、正規雇用と非正規雇用みたいな関係でしょうかね。

なので、その教授が私的に依頼した「講師」職を「大学講師ではない」とは言い切れないそうなんです。

というのも、極端な話、大学の教授が、講義中に学生を指名して「今日は、君が講師を務めるように」と命じたら、その学生はやっぱり「講師」です。

逆に、宮崎さんが1990年代の東工大熊田研究室で非常勤講師でなかったとしたら、では何と呼ぶべきなのでしょう。そういう問題にまで、なってしまうんだそうです。と考えるとき、わたしなんかは、やっぱり「講師」と呼ぶのが、ナチュラルではある気がしているんですが。

また、文春報道によると、本当は学識能力に欠ける宮崎さんが、いかにも教授の“引き”で出世の階段を上ったみたいな印象を受けますが、そもそも学者の世界はコネや引きで出来上がっているもので、それをうまく表現すれば学縁、人脈と呼ぶのだそうです。

さらに、千葉商大の内幕も語ってくれました。千葉商大はそもそも、宮崎さんの母校、慶大とつながりの深い大学らしいです。

というのも、前の第6代学長の加藤寛さん(故人)は慶大名誉教授。宮崎さんが千葉商大に移られたときの学長ですね。

現在の第7代学長の島田晴雄さん(73)も慶大名誉教授。他にも、井関利明、三橋規宏(ただひろ)といった教員の慶応人脈があります。

そんなこんなで、千葉商大と慶大は切っても切れぬ関係があり、そのつながりの中で、宮崎さんが教授となり、学部長も務めたのは納得できるとの話でした。

今後はどうなる? 

東工大講師の肩書が事実だったか否か、という問題では、前出の通り、正規雇用の講師ではなかったということで落ち着くでしょう。

文春報道通り、講師というより単なる司会だったのかもしれません。

でも、それはあくまでも主観に基づく判断で、虚偽であったとまでは言い切れません。

なので、この件に関して直接、責任を取るという事態は考えにくいのではないでしょうか。

それよりはむしろ「世間をお騒がせした」という形での責任を取って、有識者会議などの公職を退く可能性のほうが強いかもしれません。

美人キャスターと騒がれた宮崎さんも58歳。元夫はこの夏逮捕され、一人息子も現在27歳のはず。

いずれせよ、宮崎さんは「人生の転機」差し掛かった時期なのは間違いないでしょう。。

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