ムッシュかまやつの嫁や息子は?肝臓がんからの復帰はいつ?












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肝臓がんで、東京都内の病院に入院中の〈ムッシュかまやつ〉こと、かまやつひろしさん(77)が9月中旬、レギュラー出演中のJFN系FMラジオ番組「ムッシュかまやつ Keep On Running」を病室で収録していたと、明らかになりました。

ムッシュかまやつさんといえば、今年5月に受けた定期検診で肝臓がんが見つかったと告白。手術は回避し、抗がん剤治療を通院で受けてきましたが、8月23日に脱水症状で緊急搬送され、そのまま検査入院しています。

9月10日には、都内で泉谷しげるさん(68)と予定していたトーク&ライブもキャンセルしています。

ムッシュかまやつさんの現在と病状が非常に気になりますよね。復帰の見込みや、時期などをリサーチしてみました。

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ムッシュかまやつのプロフィールは?

本名:釜萢弘(かまやつ・ひろし)
出生:1939年1月12日(77歳)
出身地:東京都
学歴:青山学院高等部、青山学院大
血液型:B

ムッシュかまやつさんは、日系2世でジャズピアニストの父、ティーブ釜萢さん(1911~80、享年68)と結婚した浅田恭子さんの間に生まれました。

お母さんの妹さんでジャズ歌手の浅田陽子さんは、ティーブ釜萢さんのジャズ仲間で、同じく日系人の森山久さんと結婚、間に生まれたのが歌手の森山良子さん(68)です。

なので、ムッシュかまやつさんと森山良子さんは、いとこ同士の間柄なんですね。

おふたりのどこかカラッと乾いた、日本人離れした感性も、ルーツは、米国ロサンゼルス育ちの日系人のお父さんにあるのかもしれませんね。ちなみに、日本のジャズ界の草分けとして活躍したティーブ釜萢さんは生涯、ほとんど日本語を話せなかったそうです。

お父さんの影響で、幼少から音楽に親しんだムッシュかまやつさんは、青山学院高等部時代にカントリー&ウエスタンの歌手としてプロデビュー。

ミッキー・カーチスさん(78)らと共に、1958年に始まった音楽フェスティバル、日劇ウエスタンカーニバルにも出演しています。

1961年、ザ・スパイダースの結成に参加。スパイダースの代表作である「フリフリ」(1965年)、「ノー・ノー・ボーイ」(1966年)、「なんとなくなんとなく」(1966年)、「いつまでもどこまでも/バン・バン・バン」(1967年)、「あの時君は若かった」(1968)などを作曲しました。

音楽家としてのムッシュかまやつさんの功績は、ブリティッシュビートの影響を強く受け、当時の日本にはなかった斬新(ざんしん)でポップな曲調を日本に持ち込んだことです。それでいて、どことなくコミカルな味わいのある作風でもあるんですね。

1967年ごろ人気絶頂期だったザ・スパイダースは以後、人気が下り坂になり、グループサウンズブームのさなか、若手に押される形で、観客動員数が落ちてゆきました。

69年ごろからメンバーのソロ活動が優先されるようになり、70年2月、ムッシュかまやつさんは初のソロアルバム「ムッシュー/かまやつひろしの世界」を発売。9月、ザ・スパイダースの最後のシングル曲で、ムッシュかまやつさんの作曲「エレクトリックおばあちゃん」を発売するもセールスは低迷しました。

1970年11月、ムッシュかまやつさんはザ・スパイダースを脱退しました。この結果、ザ・スパイダース自体も70年限りで解散しました。

ムッシュかまやつさんはその後、ソロとして吉田拓郎作詞・作曲の「シンシア」(1974年)、「我が良き友よ」(1975年)などのヒットを飛ばします。

また俳優や、テレビ司会者としても活躍し、現在に至っています。

嫁や息子は?

ムッシュかまやつさんの奥さんは、名前も含めて非公表です。

お子さんは一人息子の太郎さん(46)がおられます。

その太郎さんの話によると、ムッシュかまやつさんの奥さんは、不在がちのダンナさんをあまりよく思っていないらしく、芸能界NGで育てられたみたいです。

いわゆる反面教師なんでしょうか。

太郎さんは3歳でクラシックピアノを習い始め、6歳のときには初めての作曲をしたそうです。また作曲家の黛敏郎さん(1929~97、享年68)について14年間もピアノを学んでいたそうです。

慶応中等部、慶応高校時代には野球部に所属し、野球にも熱中した太郎さんですが、慶応大学入学と同時にバーやラウンジなどでピアノの弾き語りのバイトをするようになりました。

大学卒業と同時にプロ音楽家への道も考えたそうですが、ムッシュかまやつさんに「一般社会を一度は見たほうがいい。これからの時代は音楽は(サラリーマン兼業だった)小椋佳さんみたいにやるほうがいい」と説得されて、フジテレビに入社しました。

太郎さんは就職後も友人たちと時々、ライブ活動を行っていましたが、そのデモテープが関係者の手に渡り、2005年、ビクターエンターテインメントからシングル「風のわだち」でメジャーデビューしました。

そのことを、ムッシュかまやつさんは全く関与しておらず、デビュー前々日のスポーツ紙を読んで初めて知って驚いたそうです。

「風のわだち」は評判がよく、有線リクエストで13位になるなどヒットしました。

さすが、音楽一家のDNAですよね。

太郎さんは現在、フジテレビを退社して、TAROかまやつとしてシンガー・ソングライターの活動を続けています。

肝臓がんの容体は?

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ムッシュかまやつさんは2016年9月6日、4日後に出演予定だった泉谷しげるさんとのライブをキャンセルし、肝臓がんであると所属事務所から発表されました。

事務所を通して「絶対復活するから心配しないでください! それまでいろいろご迷惑おかけします!」とメッセージを寄せています。

肝臓がんが発見される人は、50代が最も多く、次いで60代、40代の順になり、働き盛りの人に多いのが特徴です。

肝臓がんの患者さんの多くには、慢性肝障害が見られます。70%は肝硬変の人に、25%は慢性肝炎の人に発生しています。

原因は、B型とC型の肝炎ウイルスで、ウイルスにより肝細胞が炎症を繰り返す過程で、遺伝子に異変が起こり、がん細胞が発生すると考えられています。

また、同時に脂肪肝は肝炎を招きますから、食べ過ぎ、飲み過ぎ、たばこやストレスなども肝臓がんの引き金になってしまうそうです。

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肝臓がんは、肺がん、胃がんに次いで多く、世界で年間約70万人が肝臓がんで亡くなっていると推定されています。

発生初期にはほとんど自覚症状が見られませんが、腹痛、食欲不振、お腹の張りといった消化器症状や、肝臓の炎症での発熱もあります。また、急激な体重の減少も見られたりします。

まさに、肝臓は「沈黙の臓器」なんですね。肝臓には神経が通っていないので、異変が生じたかどうか、本人には直接分かりません。

当たり前ですが、暴飲暴食は控えて、適正な体重の維持が肝臓がん防止のためには重要なんですね。

さて、そんなムッシュかまやつさんの気になる病状ですが、詳しい状態は分かりません。
しかし、77歳という高齢からして緩やかに進行しているものと常識的には考えられます。

手術を回避して、抗がん剤治療を選んだのも、医師の勧めがあったのかもしれませんね。

あのひょうひょうとしたムッシュかまやつさんです。病床においても、ラジオ出演するなど、意外にお元気であるみたいです。

こういった病気は、気持ちが落ち込みがちだと思うのですが、さすがムッシュかまやつさん、そんな様子はみじんも感じられません。

病室で収録したラジオ番組では、ムッシュかまやつさんは吉田拓郎さんから励ましメールが届いたと紹介。実は吉田さん自身、2003年に肺がんから立ち直った経験がおありなんですよね。

ムッシュかまやつさんは、吉田さんへの感謝の言葉を述べて「我が良き友よ」を掛けたそうです。

更に最後には「お騒がせしましたが、絶対に復活します」と締めくくったそうです。

予想以上にお元気そうで、本当によかったです。この調子では、もしかして年内復帰もあるかもしれませんよ。

一刻も早い復帰をお祈りしています。

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