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サンフレッチェ広島の森保一(もりやす・はじめ)監督(48)が8月29日(月)のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演します。
監督に就任してから、4年間に3回もJリーグ優勝。名将という呼び方がすっかり定着しましたね。
そんな森保監督のプロフィール、嫁や子供、日本代表監督になれるかどうか、チェックしてみました。
プロフィールは?
森保監督は1968年8月23日、静岡県掛川市で生まれました。サッカー王国・静岡で出生するなんて、やはりサッカーとの縁が深いのでしょうか。
しかし、お父さんの仕事の関係で、幼い頃から引っ越しを繰り返します。名古屋市、神奈川県横須賀市、佐賀県唐津市を経て、小学1年から長崎市に定住するようになります。
長崎市立深堀(ふかほり)小5年のとき、土井首(どいのくび)サッカースポーツ少年団で本格的にサッカーを始め、6年で全日本少年サッカー大会にGKとして出場しています。
名ボランチと呼ばれた森保監督が小学時代、GKだったなんて信じられませんよね。でも案外、GKの意識や視野が、森保監督のサッカー選手の礎になっているのかもしれません。
市立深堀中から長崎日大高に進むも、当時の長崎県は県立の島原商と国見の2強がぬきん出て、全国大会への出場はかないませんでした。国体選抜に選ばれたものの、全国的には全く無名の選手だったのです。
しかし、そんな森保監督を身近で見て、誰よりもその才能を見抜いている人がいました。サッカー部顧問の下田規貴(のりたか)先生です。下田先生は1986年正月の年賀状で、当時マツダで強化部長をしていた今西和夫さん(75)に「ぜひともプレーを見てもらいたい森保という選手がいるので、一度お越し願いたい」と書き送ったのです。
今西さんはコーチだったハンス・オフト(69)と共に長崎日大高を訪れました。今西さんは、森保監督を見て「姿勢がええのう。首を振ってよう周囲を見とる。目立たんが、視野が広いんじゃな」と思ったそうです。
夏休みに、森保監督はマツダの練習で、入団テストを受けました。ところが、森保監督は練習に付いていくだけで精いっぱい。でも、コーチに「下手くそだけど、ハードワークを厭(いと)わない姿勢はすごくいい。その努力を、これからも続けていきなさい」と評価されたそうです。
結果は、意外にも「合格」でした。こいつは伸びる。どこか、そう感じさせるものがあったんでしょうね。逆転の採用でした。
以来、マツダ、サンフレッチェ広島、京都パープルサンガ、ベガルタ仙台と16年間プレーし、434試合出場、48得点を挙げました。
日本代表としては1992年、オフト監督から初招集。以来、35試合出場、1得点です。93年のあの「ドーハの悲劇」も体験しています。
2003年、引退。サンフレッチェ広島、アルビレックス新潟のコーチを経て2012年、サンフレッチェ広島の監督に就任します。
嫁は? 息子は?
森保監督は1990年、由美子夫人と結婚、3人の息子さんがいます。
長男・翔平さん(25)は法大からJ2カマタマーレ讃岐にDFとして入団しましたが2015年に退団、現在は移籍先などを模索中です。
次男・圭吾さん(23)は流経大を出て、オーストラリアのナショナル・プレミア・リーグ(2部リーグに相当)の北ニューサウスウェールズ地区のエッジワース・イーグルスに所属、MFとして活躍しています。
3男・陸さん(16)は広島県立吉田高に在籍しつつ、サンフレッチェ広島ユースでDFとして修業中です。
森保監督自身は「いつも朝から晩までクラブハウスで仕事。家庭は全く何もしていない」そうですから、3人のお子さんをサッカー選手として育てた由美子夫人に全く頭が上がらないでしょうね。
「シーズンオフの家族旅行が、楽しみ」と話していた森保監督。日頃の感謝を、家族旅行で伝えているのでしょうね。
日本代表監督は?
実績、人柄共に申し分なく、ハリルホジッチ監督(63)の後任の有力候補となっています。
ハリルホジッチ監督の任期が2018年のW杯ロシア大会までですから、その次の2022年カタール大会は、森保ジャパンで戦うといいですね。
折しも、2020年東京五輪のサッカー予選が2019年に始まります。U-23日本代表に陸さんが選出される可能性もありますよ。
そうなったら、父はW杯、息子は五輪と父子で夢の大舞台をめざす姿が見られるかもしれません。
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