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戦争廃絶を訴えたジャーナリストむのたけじ(本名・武野武治)さんが2016年8月21日、老衰のため、さいたま市の次男宅で亡くなりました。享年101。ご冥福を祈ります。
実は2013年、むのさんの講演会を聴きました。そのときの講演内容に質疑応答で聞けたマル秘エピソードを交えて、直に触れたむのさんの人柄を、当ブログ限定のオリジナル記事にしてみました。
どんな人?
むのさんは1915年(大正4)1月2日、秋田県六郷町(現・美郷町)の貧しい小作農家に生まれました。
刻苦勉励して、県立横手中(現・横手高)に進み、東京外語学校スペイン語科を卒業し、報知新聞記者を経て、1940年(昭和15)朝日新聞社に入社しました。
在職中には近衛文麿、東条英機、鈴木貫太郎らの政治家・軍人、また画家の藤田嗣治、小説家の火野葦平らにインタビューした経験があるとか。
出世コースを順調に歩み、中国や東南アジアの特派員を歴任しました。
1945年(昭和20)8月15日、敗戦を機に、太平洋戦争の戦意高揚に関与した責任をとり退社しました。
1948年元日、妻と長男、次男を連れて、埼玉県浦和市(現・さいたま市)から秋田県横手市に帰りました。
2月にはタブロイド判の週刊紙「たいまつ」を創刊、反戦の立場から言論、執筆活動を続けました。
1978年に「休刊」するまで30年間、780号を出し続けました。
一言で表現すると、戦中・戦後を知る最後のジャーナリストでした。
日本が戦争に敗れた1945年8月15日にむのさんは、すでに少壮の30歳でした。
厚労省によると、日本に100歳以上のお年寄りは6万1568人いますが(2015年9月11日現在)、終戦時に日本の政官界の中枢に近く、時代のうねりを目撃した人は、むのさんぐらいでしょう。
家族は?
妻・美江さん(享年92)を、2006年に亡くしています。
お子さんは長男・鋼策さん、次男・大策さんの二人です。
晩年は、さいたま市の大策さん宅で同居し、そこで亡くなりました。
実は、むのさんは戦前、朝日新聞に勤めている頃、さいたま市に住んでいました。電車で、有楽町の朝日新聞に通ったそうです。
むのさんによると戦前戦中、政治評論家で上司だった細川隆元・元編集局長とは同じ町内でした。細川さんが町内会長だったので、むのさんが頼まれて副会長を務めたそうです。
当時から、さいたま市は東京のベッドタウンだったとか。でも、助け合い精神のある温かい街で一度、猛吹雪で、川口の近くで電車が止まってしまったとき、乗客の男性が手つなぎで女性を囲んでね、駅まで歩いて行ったそうです。
また、あるとき、浦和支局に行ったら、本土決戦で輪転機が止まったときのために、謄写版の用意をしていて、驚いたそうです。いざというときには手書き・手刷りで新聞を出すつもりだったんですね。
終戦の日のエピソードは?
むのさんは、もともと、戦意高揚の記事を載せ続ける朝日新聞に対して不満を持っていたそうです。
当時、情報統制のため、憲兵隊は2人を、朝日新聞に常駐させていました。
しかし、その二人の憲兵隊員は、実際には何も動きませんでした。
実際に言論統制に走ったのは、憲兵隊はなく、朝日新聞社自体でした。
「こんな記事を載せたら、まずいのではないか」「この記事では、軍は怒るだろう」
そうやって自分たちで自主規制しまくっていた。そんな状況に、むのさんは不満に思っていました。
1945年8月15日(水)未明、当時社会部で朝刊の制作を終えたむのさんは、編集局で、
「おれ、会社辞めるよ。明日から来ないよー」
と宣言して会社を出ました。
そのとき、1人の記者が追いすがってきました。
「ぼくだって同じ思いだ。でも妻子がいて、ぼく1人じゃないから……。君はバカにするだろうな」
と目を伏せたそうです。
むろん、むのさん自身、失業への恐れはありました。でも、けじめをつけなければならないと思ったそうです。
そのまま帰宅したむのさんは、美江夫人に「会社辞めたから」と言うと、美江さんは「ああ、そうなると思ってました」。
ちょうど、鋼策さんが生まれたばかりだったそうです。
幸い朝日時代のたくわえがあったので、売り食いして生活したそうです。でも、当時、売り出されたばかりの宝くじがやたら目についたそうですよ。
話は戻りますが当時、戦争責任を取って朝日新聞を辞めた記者は、むのさん以外に一人もいなかったそうです。
あれだけの悲惨な戦争だったのに、朝日新聞は、1カ月してから本格的に戦争を批判する社説を載せました。
9月になったら、記者がぞろぞろ辞め出したそうです。
むのさんは、68年経っても、批判していました。
「本当は、次の日からすべきだった。戦争の本当のことを書けなかったんだから」
戦前・戦中・戦後を生き抜き、大往生を遂げた最後のジャーナリスト、むのたけじさん。
71回目の終戦記念日8月15日から7日目で亡くなった、むのたけじさん。
ご冥福を心からお祈りします。合掌。
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