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栄和人コーチ(56)率いるリオ五輪女子レスリング代表が、スゴイ状態になっています。
出場6階級中、5階級で決勝へ。惜しくも優勝を逃した53kg級の吉田沙保里選手(33)を除いて、4人が見事、金メダルを獲得しました。
全日本女子代表コーチだけではなく、至学館大(旧・中京女子大)レスリング部の監督も務める栄和人さんって、どんな人でしょうか。
世界一の選手たちを指導している、世界一の指導者ですよね。
何でも、教え子との結婚、離婚歴があるそうです。
再婚した教え子や、二人の間のお子さんも、気になりますよね。
自身の競技歴は?
栄コーチは1960年6月19日、鹿児島県奄美市生まれ。56歳なのに、身長166cm、体重65kgと中年太りとは無縁の精悍な体形です。
しかし、さすがに頭のほうは、眉もひっくるめてツルッツル。やはり年齢と共に薄くなった髪を、豪快に剃っちゃってるらしいですね。
普段、プライベートではカツラを被って行動という噂ですが、ちょっと考えられませんね。カツラを付けるぐらいなら、普段からカツラを被るんじゃないかと思います。
でも、そのスキンヘッド、決して強面(こわもて)ではなく、愛敬のあるクリクリとした目と相まって、リングサイドでは何とも目立って、かわいいんですよね。
リオ五輪69kg級の決勝で、土性沙羅選手(21)が残り1分を切ってからポイントを奪い、試合終了までの間、リングサイドでたたらを踏む栄コーチ、何ともおちゃめでしたね。
実は韓国籍との噂も、全く根拠がありません。そもそも、日本国籍がなければ五輪に出場はできません。
しかも、栄コーチは奄美大島のご出身。人口4万の小さな街で、韓国籍だったら、たちまち広まってしまいますよね。こちらも、考えられないと思います。
栄さんは相撲、柔道を経て1976年、入学した鹿児島商工高(現・樟南高)で、レスリングを始めました。レスリング選手としては結構、遅いスタートなんですね。
日体大に進学すると、1年生の時点で116戦全勝。
1983年に全日本選手権フリースタイル62kg級で初優勝。同年、アジア選手権にも優勝しました。
でも、1984年ロサンゼルス五輪は、5歳年下の赤石光生(当時日大2年)に敗れ、出場できませんでした。その赤石選手は、五輪本番で銀メダルを獲得。
1987年、仏クレルモンフェランで行われた世界選手権フリースタイル62kg級で銅メダルを獲得しました。
1988年、やっと念願の夢がかなって、ソウル五輪に出場も、4回戦で敗れました。
失意の栄コーチを、更なる非運が襲います。
肝炎で、生死をさまよったのです。集中治療室(ICU)の1カ月間で、人生の目標を改めて考えました。
84年ロス五輪を逃し、87年世界選手権も3位。金メダルが期待されたソウル五輪も4回戦敗退……その自分が果たせなかった夢を、後進に託したいと思ったそうです。
1990年、京樽に入社し、女子レスリング部監督に就任。
2007年に中京女子大付高の教諭。翌08年から中京女子大教授。
2004年から全日本女子ヘッドコーチ、08年から日本協会女子強化委員長を務めています。
これまでに浜口京子(72kg級、アテネ五輪銅)、浦野弥生(70kg級、世界選手権金6回)、成国晶子(65kg級、世金2)、伊調馨(63kg級、アテネ、北京、ロンドン、リオ五輪金)、西牧未央(63kg級、世金2)、宮崎未樹子(61kg級、世金1)、坂本涼子(57kg級、世金1)、小原日登美(51kg級、ロンドン五輪金)、吉田沙保里(55kg級、アテネ、北京、ロンドン五輪金、リオ五輪銀)、伊調千春(48kg級、アテネ、北京五輪銀)といった世界王者を育ててきています。
嫁は?
1993年、教え子の坂本涼子さん(46)と結婚し、翌94年3月14日、長女・希和さん(22)が生まれました。でも、後に離婚しています。
希和さん自身も、中学2年でレスリングを始め、日本選手権60kg級で優勝しています。
リオ五輪51kg級金の登坂絵莉(とうさか・えり)選手とは同学年、至学館大学の同窓生ですね。
坂本涼子さんは離婚後に現役復帰するも引退、母校・中京女子大のコーチを経て現在、芦屋学園レスリングクラブのコーチに就任しました。同クラブは、中高大の10年間を一貫して育成するシステムです。
栄コーチは2008年5月14日、元教え子の岩間怜那さん(37)と再婚しました。
岩間怜那さんとの間にも娘が生まれましたが、岩間怜那さんの強い意向で、もう一人子づくりをするそうです。
リオ五輪後の落ち着いた時期に、おめでたとなるかもしれませんね。
娘は?
さて、レスリング選手となった希和さんですが、両親の離婚後は坂本姓を名乗り、愛知県大府市に移り住んでいました。
大府市立大府北中2年のとき、一念発起してレスリングを始めました。
両親から受け継いだDNAのおかげでしょうか、練習3カ月で全国中学生選手権3位。
それまでブラスバンド部に所属し、トロンボーンに熱中していたのに、両親の後を追うと決意します。
3年生になった翌年には見事、中学生選手権で優勝。
至学館高校から至学館大学に進み、大学入学時に「何かと都合がいいから」と坂本姓から栄姓に変えました。
希和選手は2015年6月、全日本選抜選手権60kg級で見事、逆転優勝。
しかし、60kg級は五輪種目ではないため、今回のリオ五輪に出られませんでした。
でも、希和選手は、将来的には「五輪に出たい」という気持ちもあるそうです。
栄コーチは氏は「58kg級で、伊調馨という大きな壁に挑戦するのも、面白い」と話したとか。
次の東京五輪、伊調馨選手の意志を継いで、希和選手が父娘で金メダルができたら、いいですね。
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