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細川護煕(ほそかわ・もりひろ)元首相(78)が、TBSで8月21日(日)23:00から放送予定の『情熱大陸』に出演が決定、細川護煕さんへの関心が高まっています。
そこで放送前に、細川護煕さんのプロフィールを、もう一度、おさらいしておきましょう。
生まれは、出身校は?
細川護煕さんは1938年(昭和13)1月14日、東京生まれ。
父は、関ヶ原の戦いなどで活躍した戦国大名・細川忠興(ただおき)と明智光秀の娘、玉(ガラシャ)の間の子孫で、旧熊本藩主細川家第17代当主・細川護貞(もりさだ)です。家系図を見ただけでクラックラしますね。
長男である護熙さんは、生まれながらの“お殿様”ですね。
母は、A級戦犯に指定された近衛文麿(このえ・ふみまろ)元首相の娘、温子さん。つまり、護熙さんは、公家の血も引いています。
母方のご先祖様をたどれば、あの藤原鎌足(ふじわらの・かまたり)にたどり着くという、とんでもなく高貴なお方です。さすが、ルビなしでは読めない名前の方々が、ご一族に揃っていますね。
就職は?
学習院高等科から、祖父の近衛文麿さんと同じ京都大を受験するも失敗。一浪して再挑戦するも失敗、上智大法学部に入って、卒業後は朝日新聞社に入社しました。
鹿児島支局に配属されましたが、お殿様なのに、意外にも、警察ネタの事件記事に強かったそうです。
というのも、当時の鹿児島県警には、熊本の細川家に仕えた人の子孫がいて、護熙さんにそば近く接触できることに感激、ちょくちょく“ご注進”申し上げていたそうなのだとか。
その効果か、東京本社に呼び戻され、社会部記者として配属されました。そのときも、意外に大活躍でした。
あるとき、皇族の一人が病に倒れて、マスコミがお屋敷の周りに張り込み始めました。そのとき、屋敷のドアが開いて中から護熙さんが現れました。
あっけに取られた先輩記者が「お前、何しているんだ」と聞くと、護熙さんは「宮内庁から連絡があって、お見舞いに行ってきました」。
その後、先輩記者と護熙さんは、病床の皇族の具合や家族の様子などを独占スクープ。当たり前といえば当たり前ですが、他の記者に決して真似できませんね。
政治家のキャリアは?
細川護煕さんは朝日新聞社を退社した1969年、旧熊本1区から総選挙に無所属で出馬し、落選。
ですが、2年後の1971年、今度は参院選全国区から自民党公認で出馬し、初当選しました。
2期目の1977年、参院選熊本選挙区から出馬して、当選。大蔵政務次官や自民党参院副幹事長などを務めました。
更に1983年、熊本県知事選に出馬して当選、当時の全国最年少の知事になりました。熊本県知事時代は、北海道で行われた冬季国体のスキー大回転に出場して、残念ながら最下位に終わってしまいましたが、大きな話題になりました。
熊本県知事を2期8年務めた後「権不十年」(同じ者が権力の座に10年以上あるべきではない)を唱え、3期目は出馬しませんでした。
1992年、東京に戻り「日本新党」を結成。参院選比例区で当選。
1993年、小池百合子・現都知事らと衆院にくら替えして、衆院初当選。
自民党が過半数割れの状況下で、キャスティングボートを握り、野党統一候補として首班指名に臨みました。
その結果、第79代首相として細川内閣をつくりました。
これは異例中の異例で、知事経験者の首相就任は初、衆院当選1回での首相就任は吉田茂以来45年ぶりでした。
首相として、自民党単独政権のいわゆる「55年体制」を終わらせた画期的な政治家です。
以後の細川護煕さんの活躍は、まだ皆様のご記憶に新しいところですよね。
政界引退後は?
1998年、代議士を辞職して政界引退。
その後、神奈川県湯河原町(箱根)の邸宅に工房茶室〈不東庵〉を開き、陶芸家、茶人として活動しています。
軽い斜視なの?
最近の写真を見ると、以前よりやぶにらみが、斜視が出て来たように思えます。
でも、本当は50%の人は元々、斜視(斜位)なんです。
年齢を重ねると眼球の筋肉が衰えるので、どうしても斜視が出てしまうんです。
ちなみに、死んだ人間は全員、眼球が外斜視状態になっています。
それほど、気にしなくてもよさそうでしょうね。
夫人は?
上智大時代に知り合った佳代子夫人(74)は現在、NPO法人スペシャルオリンピックス日本の名誉会長です。
相変わらず、若々しく美しい方ですね。
2005年に長野で開かれたスペシャルオリンピックス冬季大会の会長を務めました。
ちなみに、スペシャルオリンピックスとは知的障害者のためのスポーツの祭典。IOCがパラリンピックにも使わせない「オリンピック」という言葉を冠した大会です。
息子は?
護熙さんには海老蔵似の長男、護光さん(44)と奥様、孫娘さんがいます。
護光さんは東京生まれですが、生後間もなく、両親と共に熊本市に移りました。
中学卒業後、米国に渡り、高校、大学と進みました。
しかし、入学1年で日本に帰国し、東京の大学に編入したものの「もともと学校というところがどうも苦手」で、悩んだ挙げ句、辞めてしまったそうです。
その後、写真の学校に行ったり、いろいろなアルバイトでお金を貯めて、インドを放浪してみたり、阿蘇(あそ)の鉱山で働いていたこともあったそうです。
お殿様の血を引く、両親ともに上智大卒のエリートのイメージとは裏腹に、いろいろ紆余曲折のあった方のようですね。
現在、父と同じ陶芸家として、活動しています。
全国を回って個展を開いておられるそうなので、興味のある方は直接、お目にかかって会話も可能かもしれません。
長男の嫁は?
護光さんは一時、同じ箱根の邸宅で護熙さんと同居していたそうですが、現在では、亜衣(あい)夫人(44)や娘さんと共に熊本市で暮らしています。
亜衣さんは大学卒業後、イタリアに留学し、帰国後、料理教室を主宰。
2009年9月、結婚を機に熊本市に移り住みました。現在、熊本市で料理教室〈カメリア〉を月4、5回開催し、生産者と消費者をつなぐマーケット活動にも力を入れています。
「食記帖」(リトル・モア)「イタリア料理の本」(アノニマスタジオ)「わたしのイタリア料理」(柴田書店)「スープ」(リトル・モア)「愛しの皿」(筑摩書房)など、旧姓の米沢亜衣名義も含めて著書多数です。
2015年春からは熊本朝日放送(KAB)の「つながるひとさら~細川亜衣の食日記~」というテレビ番組に出演中です。
知的で、おしゃれで、爽やかなママさんですね。
すてきな家族に囲まれ、悠々自適のセカンドライフを過ごす細川護煕さん。
才能に恵まれた家族の方たちからも、目が離せません。放送が楽しみですね!
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